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【河内長野市】ハイキングとサイクリングに最適な南海高野線旧線跡。通称「トトロ街道」を歩いてみました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市内を南北に通っている南海高野線は、今は複線ですが、かつては単線でした。廃線となったその単線区間の一部(三日市町から天見駅)が、今はサイクリングロードとして散策できるように。

誰がつけたのかわかりませんが、いつしか「トトロ街道」と呼ばれるようになりました。そこで、旧線跡を歩いてみて、実際にどうなっているのか確認することにしました。

南海高野線の歴史を確認すると、1915(大正4)年の3月11日に紀見トンネルが開通し、三日市町駅と橋本駅間が単線として開業しています。それから複線化への流れを見ると次のようになっています。

  • 1938(昭和13)年2月11日:金剛駅 - 長野(現河内長野)駅間が複線化
  • 1964(昭和39)年2月25日:紀見峠駅 - 御幸辻駅間が一部複線化
  • 1974(昭和49)年3月24日:河内長野駅 - 三日市町駅間が複線化
  • 1979(昭和54)年5月26日:天見駅 - 紀見峠駅間が複線化
  • 1983(昭和58)年6月5日:千早口駅 - 天見駅間、紀見峠駅 - 御幸辻駅間が複線化
  • 1984(昭和59)年3月6日:三日市町駅 - 千早口駅間が複線化
  • 1995(平成7)年9月1日:御幸辻駅 - 橋本駅間が複線化

平成時代になって、ようやく橋本駅までが複線化されたんですね。橋本駅より先は今でも単線です。これはあくまでも私の推測ですが、複線化はしない気がします。

さて、トトロ街道こと旧線跡を歩いてみましょう。スタートは天見駅です。多くの人は三日市駅側からこの旧線跡を歩きますが、よくよく考えると、このルートでは県境越えを目指していますから緩やかでも上りです。

それでは余計な体力を消耗するかもしれないので、念のため逆方向、緩やかな下りで三日市駅方向を目指すことにしました。

ちょうどスタートしようとしたその時、特急列車が通過していきました。

天見駅を見ながら千早口方向を目指します。この道の先には天見小学校があり、毎朝天見の駐在さんがパトロールをしているところですね。

まっすぐ歩くと、すぐに南天苑さんの看板がありますが、ここから戻ったところにあるという意味。右側が今回通る旧線跡(自転車と歩行者専用道)なので、その方向に進みましょう。

旧線跡を歩きます。舗装されているので確かに自転車でも走りやすいですね。

どうせここを行くなら、かつて列車が走っていたことをイメージしながら歩きたいところ。例えば右手の斜面が盛り上がっている所などは、「かつて車窓から見えたのかな?」とか。

その当時は、列車に乗っている人が左側の民家の様子なども見たりしていたのでしょうか?

と、ここで、階段が右側にありました。気になったのでちょっと寄り道。

階段を上がったところです。道が続いていて、白い壁のようなところに向かっていますね。後で確認すると白い部分の上には道路があり、石仏バイパスとつながっているようです。

元の道に戻って千早口駅を目指します。

道の右手に白い壁が続いています。こういうのを見ると、かつてここに線路があった名残を感じますね。単なるサイクリング道では、ここまでの立派な壁は恐らく作れないでしょう。

今度は、左側です。自然のものかもしれませんが、ひょっとしたら岩が削られているようにも見えますね。これについては確認は取れてませんが、もしかしたら大きな岩盤を破壊してレールを通したのではと。

左手を見ると、天見川が流れています。この川の水質は、AAの石見川に次ぐAとのこと。かつて車窓から渓流が見えたのでしょうか?

道は延々と続きます。山道でもないですし、河内長野市内で良くありがちな急な坂もないので、本当に歩きやすいです。

と思っていたら自転車の人が通過していきました。サイクリング道でもあるので、平日でも自転車の人が多いです。右手に見える壁も、鉄道の横でがけ崩れが起こらないように設置されたのではという気がします。

山の切れ目の開けたところが見えてきました。千早口駅のようです。

こうして千早口駅に到着しました。

今まで歩いたところを紹介するとこの通りです。

千早口駅から先ですが、先ほどのような自転車専用道がいったんなくなっています。一瞬この細い路地が旧線跡?とも考えましたが、さすがに細すぎますよね。

千早口駅の周辺には旧線路跡の存在がはっきりわかりません。ここでは天見地域ガイドマップに書かれた遊歩道のルートに従い、三日市町駅方面を目指します。

ここは延命寺方向に通じているハイキング道とも共通の道です。

この辺りは旧線跡というよりも、千早口駅にある岩瀬地区の古い道のような気がします。

ここで道が分かれています。この道を右側に行けば美加の台を経由して延命寺に行ける道ですね。

ところでこの下り具合をみると、列車が大きく左にカーブをしているところ、後方の車両の車窓からなら前方の車両が撮影できそうな想像をしてしまいます。

歩いていくとこのような道が出てきました。これは旧線跡のような気がしてなりません。

先ほどの道はここに降りてきました。この画像の壁も古くて、旧線と関係ありそうですね。

さてまた森のようなところに入っていきます。この辺りは旧線跡のにおいがします。右側の古いコンクリートの壁と鉄の柵。この雰囲気は如何にもですね。

この道の左側にみえる錆びた柵も、列車の横で崖を守るためにあった気がしますね。道路が少し広いので、後に拡張した。それとも線路に並行して細い道があったのか?

しばらく歩くと、自転車歩行者専用道に着きました。ここからは正真正銘の旧線跡です。

横に流れている川は天見川です。

川を渡った反対方向は高野街道です。

川沿いの旧線跡と言えば、京都にあるJR嵯峨野線のトロッコ列車のあたりとか、兵庫県にある宝塚から三田方向にあるJR福知山線の旧線跡を思い出します。

天見川から離れているように見えますが、すぐ近くを流れています。

「うぐいすばし」と書いてある橋を渡ります。昔は鉄橋だったのでしょう。

このあたりは、確かに森の中を歩いているような気がしました。緑に囲まれた別世界。これを見て、誰かがジブリ映画のトトロの世界をイメージしたのかもしれません。

本当にトトロがいそうなファンタジーなトトロ街道をさらに歩いていくと。

突然現実に戻されたような人工的なものが現れました。これは石仏バイパスです。

高架をくぐったところ、まもなく美加の台駅です。

旧線跡は、ひき続き森のようなところに続いています。

現在の南海線との高架ですね。もっと高いところにあるのかと思いましたが、それは美加の台駅の出口が、駅ホームよりもさらに高いところにあるから錯覚したようです。

複線のために高い規格で掘削されたトンネルが見えます。河内長野駅方面から天見方面に向かう際、美加の台駅を越えると最初にくぐるトンネルです。

ちょうどタイミングよく列車が通過していきました。

ここに少し横に広がった場所があります。恐らくこの辺りに旧加賀田信号所跡(複線になっていて列車同士がすれ違う場所)があったものと推測しました。

美加の台駅を通過した旧線跡ですが、これはもう少し続きます。ただし三日市町駅までではなく途中の踏切までしかありません。

森になっているようなところを歩いているようですが、

すぐに開けたところに出てきました。左側には現在の南海線が見えてきました。

ここは少し前に紹介したつつじ街道のあたり。列車も見られる名スポットですね。

さて、ゴールの踏切が見えてきました。旧線の道が現在の南海高野線に吸収されるように近づいています。

おおよそこんな感じで歩きました。

ということで、トトロ街道こと南海高野線旧線跡を歩きました。文中でも書きましたが、天見駅から緩やかな下りでしたので体力的な負担もなく、良い散歩となりました。

距離にして4キロ程度なので「軽く体を動かしたいけど、山登りほど重いのはちょっと」と思ったら気軽に歩いてみてください。途中で疲れたと思えば、電車に乗ってしまうこともできます。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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