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【富田林市】富田林最高峰の金胎寺山は、夏のプチ登山に超おすすめ!登山初心者でも絶景が愉しめます

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市は、直接金剛山地と接していないので、市内の最高峰は標高296.4メートルの金胎寺山となります。近くに金剛山や葛城山があるだけに、金胎寺山の標高だけで見てしまうと、低いなぁと思わざるを得ません。

しかし、この金胎寺山に実際に登ってみるとわかりますが、そのような意識は見事に吹っ飛びます。楠木七城のひとつ「金胎寺城」もあったという歴史ある山。この山に実際に登った様子をレポートします。

地図で確認すると、金胎寺山に登るのは近鉄汐ノ宮駅か河内長野駅からとなります。今回は汐ノ宮駅から向かいました。トイレは山頂付近にありますが、登山口の北側、腰神神社にトイレがあるので、そこで済ませておくのも良いですね。

また金胎寺山の登山道はひとつしかなく、他のルートや縦走などをしようにも、周辺は個人所有のため、立ち入りができなくなっています。

今回は近鉄汐ノ宮駅側から石川を渡り、横山地区から嬉地区に入りました。次の交差点で左に曲がると、金胎寺山の登山道です。

なお、金胎寺山登山口は嬉地区にありますが、山頂付近は伏見堂地区になります。

案内板を見ると、頂上まで約40分かかるそうです。さっそく登ってみましょう。

金胎寺山は、地元の嬉登山クラブが整備をしていて、登山道の案内板や道標などを登山道の随所に設置。さらに、無料のパンフレットまで配布しています。

私たちが登山道に向かっていると、登山クラブの方でしょうか?声をかけてきて、金胎寺山について簡単なアドバイスをしてくれました。

さて、いただいたパンフレットを片手に、金胎寺山を登っていきます。この辺りは登山道というより山のすそ野を歩いている感じ。

やがて山道となりました。目の前にゲートが見えてきました。これはイノシシが里に降りてこないために設置しているものです。

最初にこのゲートの存在を知ったときには、一瞬入りづらいと感じたものです。しかし、入る際にゲートを閉め忘れなければ問題ありません。

ゲートの横には竹の杖が置いてあります。トレッキングポールを持っていないときには、この杖で登ると、結構楽に上がれます。

これにはイノシシ除けの鈴が入っています。必要に応じて借りておくと安心です。なお、杖にしても鈴にしても帰りに返すのを忘れないようにしましょう。また、寄付金入れもここに設置していますので、整備してくれている嬉登山クラブへのお礼も忘れずに。

杖と鈴を借りて、本格的な登山開始です。

いきなり登山道の左奥にイノシシの罠を発見。

また、登山クラブによるものでしょうか?画像のように説明版がところどころにあるので、そこにかつて何があったのか想像できます。

金胎寺山は、山の名前になっている金胎寺があったのでその名前がついています。ここは寺に向かう大門跡のようですね。大門に運慶作の仁王像があったそうですが、それが今は河内長野にある天野山金剛寺に祀られているとか。

参考画像:天野山金剛寺の四天王像
参考画像:天野山金剛寺の四天王像

ただし、今の天野山金剛寺の門にあるのは仁王像(金剛力士像)ではなく、四天王の増長天立像と持国天立像。運慶が活躍したのと同じ、鎌倉時代に作られたとか。この金剛寺の像は、いずれも国の重要文化財に指定されています。

とはいえ、個人的には、金胎寺とはまったく無関係とは言いきれない気もしています。

さらに少し上がると、寺の跡がありました。伝承によれば、もともと金胎寺は山頂にあったそうですが、楠木正成が築城する際に西麓の嬉に移転したとあります。恐らくこの場所に移されたのでしょう。

金胎寺のほかに、観音寺や初方寺など10棟の建物があったそうですが、現在の山の中の木々の様子を見ると、とても信じられません。

今では山の名前としてだけ残っている金胎寺ですが、現在京都府和束町(わづかちょう)と滋賀県栗東市に同名の寺があります。ただしこの山と関連性があるかどうかは不明です。

ここから少し急な坂になります。階段や山道が歩きやすいように整備されているので、私のような登山初心者でも安心ですね。

ここで道が二手に分かれており、山頂とは別に馬廻しに向かう道がありました。ちょっと寄り道。

馬廻しに行く人は少ないようで、落ち葉が溜まって滑りやすいだけでなく、道幅もかなり狭いです。この辺りは青竹が茂っている竹林だったので、青竹を手で支えながら歩きました。

青竹は体重をかけてもびくともせず安心ですが、少しでも茶色くなっている竹は、弱くてグラつくので注意しましょう。

馬廻しまで来ました。説明にあるように、ここまでは馬で攻めてきた北条(鎌倉幕府)軍ですが、ここから上は馬で登れないからと、馬を廻して帰ったからだとか。

正成の後、戦国時代にこの地域を支配していた畠山氏のころには、史料として金胎寺城が出てきます。畠山義就が北側にある嶽山城に籠城した際に、金胎寺城も義就側の城として兵が守りました。

1462(寛正3)年に合戦が行われ、当初は攻め込んできた泉州勢を次々打ち破れるほどの天険の要害(急な斜面や崖)であったとあります。しかし、後に攻め手側の策略により落城。

さて、馬廻しから頂上への道に戻りました。少し歩くと「頂上まであと15分」とあります。山頂までの所要時間が40分とプチ登山で楽しめる金胎寺山。頂上まで過半数を過ぎたと見るだけで、ぐーんと気が楽になりますね。

楠木軍兵舎跡とあります。合計3か所の兵舎跡があったそうです。

兵舎跡と思われる場所を撮影。少し平たんになっているところに竹が生えていました。

想像ですが楠木軍の後の時代に城に入った畠山や甲斐荘と言った武将たちの兵も、ここにいたのでしょうか?

立派な石の道標があります。この登山は驚くほど多くの道しるべがあり、登山道が非常にわかりやすいです。

それから登山口のあたりや頂上近くを除くと、森林におおわれている日陰の中を歩いていくので、これから夏になる暑い時期でも、それほど暑さを感じない気がしました。

実際に私が登った6月上旬の時も気温が30度近くに上がっており、登山前に「暑さでばてる」のではとちょっと心配。しかし、実際の登山ではときおり風が吹くと涼しいくらいで、特に暑さを気にすることはありませんでした。

山頂を前にして、突然、金胎寺山からの展望が開けました。まさに絶景ですね。

しかし、ここは頂上ではありません。中間展望台と呼ばれる地点。中間という表記ですが、頂上まであと5分と見ると、最後の力が出るというもの。

ただ、他の山では「頂上に来たかな」と思うと、まだ山頂までの道のりがかなり続いているということが何度かありましたが、金胎寺山はほんの少しだけでした!

桜公園というのがあります。再度寄り道。

草むらのようなところが広場になっていました。木の幹を見ると桜の木のような気がします。春の桜の咲く時期に行くと綺麗なのでしょうね。

もう少し歩くと、また道が分かれ、頂上側とは違う右側に青い小屋が見えます。あれは山頂付近のトイレです。

ところで登山口の地図に会った「楠公さんの隠し井戸」なるものが山頂付近にあるようですが、今回、見つけられませんでした。馬廻しのような道標もなく、もしかしたらこのトイレのさらに奥にあったのかもしれません。

ともかく金胎寺山山頂に無事到着しました。

山頂に説明書きがあります。地元では城山と呼ぶそうですね。

こちらが金胎寺山山頂の三角点と思われます。

山頂のベンチに座りました。296.4メートルということは300メートルまであと3.6メートル足りません。目の前に見える木のてっぺんであれば、300メートル地点になるのでしょうか?

冬場であればもっと空気が澄んでいると、登山口前で地元の方に教えてもらいました。初夏のタイミングで登ったときなので、確かにやや靄(もや)があるものの、遠くまで視界が開けていて、あべのハルカスらしき建物も見えました。

角度を変えると、明石海峡大橋?と思われる物も見えました。私はちょうど正午ごろに登りましたが、夕暮れの時に登ると夕日がきれいなのではと思います。

今度は近くを見てみましょう。ちょうど近鉄長野線の列車が走っています。金胎寺山の登山中、鉄道の物と思われる音が普通に聞こえていました。

山頂の反対方向、東の方も見てみましょう。

この山の左が大和葛城山で、右が金剛山なのだとか。

どちらも頂上の標高は金胎寺山の3倍以上ありますね。初心者が頂上まで登る困難さを考えたり、登山口に行くまでの手間を考えたりすると、山頂から見えるの絶景の良さでは金胎寺山も決して引けを取らない気がしました。

山頂にはクスノキが植えられていました。楠木氏つながりでしょうか?

ということで、金胎寺山に登ってきました。300メートルに満たない低い山ながらも何カ所か急なところがあり、かつ歴史のある山。さらに山頂からの絶景も素晴らしいです。

本格的な登山をしている人からすれば確かに物足りないかもしれませんが、初心者や普段山歩きをしない人、子供さんがチャレンジするのには、ちょうど良い高さと所要時間だと思います。

河内長野市の灰原池から金胎寺山方面を見る
河内長野市の灰原池から金胎寺山方面を見る

以前にネットの口コミで「ストレス発散でサクッと岩湧山に登った」というのがありました。

私は岩湧山に実際に登ったことがあるのでわかりますが、登山初心者にはそんなサクッと登れる山とは到底思えません。しかし金胎寺山ならストレス発散にサクッと登れるのかなと思います。

金胎寺山(金胎寺城跡)
住所:大阪府富田林市伏見堂
アクセス:近鉄汐ノ宮駅から金胎寺登山口まで15分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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