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【河内長野市】京都国立博物館の特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺」を河内長野市民の目線で見学!

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

日本でトップクラス、場合によっては世界に誇れる観光都市京都は、社寺がたくさんある文化財の宝庫ですね。その京都で、この河内長野の名宝が一堂に会すという、鳥肌もののイベントが開催されています。

京都国立博物館にて特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺─真言密教と南朝の遺産─」が7月30日から9月11日までの期間で始まりました。これは京都まで行くべきだと思い、どんな様子なのか、さっそく河内長野市民の目線で展覧会を見てきました。

ひとつの自治体の文化財だけで国立博物館の特別展を行うのは正直驚きましたが、なぜそんなことが起こりえたのか?実は背景があります。

京都国立博物館(以下、京博)は、記録や文化財を後世に遺す(のこす)ことを何よりの目的として、1980年代より「社寺調査」という名前で、京都府下やその近隣の古社寺に伝わる文化財の調査を行っています。

京都府外での事例として、2016年から19年にかけて、観心寺と金剛寺において詳細な調査を行いました。

その結果、次々と新しい発見があり、この調査での成果を報告するという位置づけで特別展の開催が決まったのです。

京都国立博物館の近くにある七条大橋
京都国立博物館の近くにある七条大橋

本来なら開催日初日に行けばよかったのですが、当日であると、展示室の撮影はできません。そこでYahoo!地域記者として京博に申し込みをし、開催日前日の7月29日に、記者発表会と内覧会に行ってきました。

というわけで、開催開始前日に京都国立博物館に行きました。手続きを行い、中に入ります。まず、地下一階の講堂で記者発表会がありました。

スタートは、京博の松本伸之館長のあいさつでした。

続いて檜尾山観心寺、永島全教住職のあいさつ。

天野山金剛寺、堀智真座主のあいさつと続きます。

両寺院の代表の挨拶の中で特に印象が残ったことでは、「京博を観心寺と天野山金剛寺で占拠するということは、普通はお願いしてもできることではない。

それほどすごいことなので、河内長野の地元の人たちに京博まで足を運んでいただいて、地元の良さを再発見してほしい」とのこと。

また、地元以外の人には、「この京博で河内長野の文化財に触れていただくことで、河内長野にも足を運んでいただけたら」とも。「ここまで守り抜いたものを見ていただけることは、ほんとうにありがたいこと」ともおっしゃっていました。

お三方のあいさつの後、特別展の担当者である井並林太郎研究員による解説が始まりました。

それによると、観心寺と金剛寺については、1960年代に大阪市立博物館で展覧会が行われたことがあったそうです。ですから、今回は約60年ぶりとなるわけですね。

社寺調査では、蔵の隅々まで徹底的に調査を行うそうです。特別展で展示される両寺院の文化財は、130件のうち国宝4件、重要文化財30件となりますが、新発見の文化財が約35件程度展示されるそうです。

つまり、この調査で新たに発見されたものが、この特別展で初めて見られるということです。

記者発表会の終了後、展示室の内覧と撮影を行いました。

展示室は1-3階までのフロアとなっていますが、3階は名品ギャラリー(平常展示)で、河内長野の特別展は1階と2階を使用しています。見学のルートとしては、2階が特別展の入口となっているので、注意が必要です。

第一章:真言密教の道場のコーナーでは、主に平安時代から鎌倉時代の文化財が展示されています。

仏画の掛け軸や歴史ある仏具などの作品が並んでいます。

こちらの非常に小さな作品は「厨子入愛染明王坐像」とよばれるもの。こちらは金剛寺のものですが、観心寺の「厨子入愛染明王坐像」も別の展示スペースで展示してあります。

こちらの赤い下敷きに置かれている物は、新発見の作品です。

これは「万葉集」や「源氏物語」にも大きな影響を与えたという、中国唐の時代に張鷟(文成)が書いた小説「遊仙窟」の現存する最古の写本です。

これは従来から金剛寺に保管されていた重要文化財だったのですが、途中の部分、6割が欠けた不完全な状態だったそうです。

ところが、今回の調査でその欠けていた部分が見つかり、ほぼすべてがそろった状態で復元されました。これは文学史上においても、とても大きな発見!

金剛寺の国宝「日月四季山水図屏風」も展示されています。これをみると少し前に河内長野市立東中学校での特別授業で、この屏風をテーマにして生徒に授業していたことを思い出しました。

1階に降りると仏像が並んでいます。以前に観心寺の宝物館でも拝見したものも多く来ているのですが、広い空間で仏像を際立たせる照明の当て方など、京博だからこその演出。同じものなのに、また違った雰囲気で見られます。

第二章は、南朝勢力の拠点のコーナーです。ここはいわゆる南北朝の時代、河内長野とその周辺が日本の政治の表舞台に登場するころのもの。記者発表会で「一時期、河内長野が現在の霞ヶ関と同じ役割を果たしていた」という説明があった時代の展示です。

ここでは、南北朝時代の甲冑が並んでいる様子が圧巻です。両寺に、楠木正成とその一族が奉納した「腹巻」22点がすべて展示されています。

源平合戦のころとも戦国時代とも違う、中世南北朝時代の貴重な甲冑が、後や横からも見られる、またとないチャンスです。

第三章は河内長野の霊地ということで、室町から江戸時代にかけての作品が並んでいます。

江戸時代の商人と思われる人が、両寺院に寄進した作品などが並んでいます。

また金剛寺に伝えられている17世紀の狩野派の「芦雁図」、また観心寺の調査で発見された、かつてあった鎮守社のご神体「板絵種子五社明神図」などを見ることができます。

画像中央は、観心寺の本尊で秘仏の国宝、如意輪観音坐像の模刻像
画像中央は、観心寺の本尊で秘仏の国宝、如意輪観音坐像の模刻像

ほかにもいろいろ見どころが豊富ですが、大まかな点について紹介しました。

今回は作品の単体での撮影は認められておらず、雰囲気だけという条件で撮影しています。より詳しく作品をご覧になりたいときは、ぜひ京博に行って間近で鑑賞してください。

40分程度の見学と撮影時間が終わりロビーに戻ってくると、あのモックルが京都に現れていました。両手を上げ堂々と入場する様は、存在感が絶大でした。

モックルの左にいる猫のようなキャラクターは、京博の公式キャラクターで「トラりん」です。

なんと、トラりんは名刺を所持していました。虎形琳ノ丞(こがたりんのじょう)が本名だそうです。

関係者による記念撮影、真ん中の白い服の方は、ご存じのとおり河内長野の島田市長です
関係者による記念撮影、真ん中の白い服の方は、ご存じのとおり河内長野の島田市長です

本来なら29日の取材が終わったら、とっとと河内長野に帰ればよいのですが、どうも私は河内長野市民の一員として、初日の様子が大変気になりました。そこで30日の特別展初日の様子を見ようと再度京博に行ってきました。

また、島田市長の右後ろの元河内長野市教育委員会の尾谷雅彦氏による記念講演会が行われるということで、これも拝聴させていただくことにしました。

時刻は10時少し前、当日は一観覧者として正面から入ります。この時間に来たのは10時から記念講演会の整理券が配られるからです。

整理券を待つ列。ほぼ満席の状況で人気の高さがうかがわれました。

観心寺、金剛寺以外の河内長野の名所を紹介するコーナー。私はほぼすべてに行きましたが、「別久坂(べっくざか)」など、非常にマニアックな名所も載っていて驚きました。そういえば寺ヶ池公園もありましたね。

この後、改めて展示室を見学しました。やはり取材枠で撮影主体で鑑賞するのと、一観覧者として鑑賞するのとは気持ちが違います。このときは制限時間がありませんので、ひとつひとつの作品を丹念に見ました。

ふたつの寺だけの特別展なので、見学前は展示作品のボリュームについて気になっていました。内覧会ではサクッとしか見れずわかりにくかったのですが、ひとつひとつの説明を読みながら改めてじっくり見ると、2時間以上かかりました。

他の特別展と比べても、まったくそん色のない展示作品の量でした。

13:30から尾谷雅彦氏の講演が始まりました。

南北朝時代の解説を聞きながら、河内長野のふたつの寺院の重要性、さらに南にある大和国の吉野や今の五條市に当たる賀名生(あのう)との関係、特に奈良県五條市は河内長野と接しているだけに、その関係の深さが手に取るようにわかりました。

なお、記念講演会は8月以降も次の日程で行われます。10時から整理券が配られるようなので、河内長野からだと早起きになりますが、講演が行われる日に行ってもよいですね。

  • 8月20日(土)「観心寺・金剛寺の歴史と文化財調査」講師:井並 林太郎(京都国立博物館 研究員)
  • 8月27日(土)「観心寺・金剛寺の金属工芸」講師:末兼 俊彦(京都国立博物館 主任研究員)
  • 9月3日(土)「観心寺・金剛寺の聖教」講師:上杉 智英(京都国立博物館 研究員)
  • 9月10日(土)「真言密教のみほとけたち―観心寺・金剛寺を中心に―」講師:淺湫 毅(京都国立博物館 上席研究員)

いずれも時間は13:30~15:00で、会場は平成知新館の地下一階の講堂です。定員が100名の予定で、全席自由席です。

見学が終わったらミュージアムショップに立ち寄ってみましょう。8月2日~10日まで、河内長野の物産販売も行われる予定で、数量限定で「天野酒僧房酒」も販売されるそうです。

京阪七条駅から七条通を歩けば京博
京阪七条駅から七条通を歩けば京博

最後に河内長野から京博までのアクセスですが、鉄道なら京阪七条駅から歩いて10分弱のところにあります。もっともオーソドックスな方法なら、南海高野線で新今宮駅まで行き、大阪環状線に乗り換え、京橋から京阪電車に乗れば行けますね。

また京都駅からもバスが出ています。D2のりばから市バス206・208号系統にて博物館三十三間堂前で下車すると目の前に博物館があります。

また京都駅八条口のりばからプリンセスラインバス(京都女子大学前行き)を使えば東山七条にて下車し、そこからは徒歩1分です。

また公共交通からではなく車で行く場合は、京都東ICの出口からおおよそ20分で、京博前にある三井のリパーク京都国立博物館前に駐車できます。

駐車料金は有料ですが、京博への入館目的で利用する場合は割引の適用があります。

ということで、河内長野市民の目線で京博の特別展を見学しました。普段はふたつの寺院の倉庫や宝物館に眠っている文化財の数々を、この機会に一堂に見られるのは、本当にうれしいこと!

今回の特別展には、新発見として初めて展示しているものがいくつもありました。これを機会に感染対策をしっかりとしながら京都に出向き、改めて住んでいる町、奥河内での文化の再発見をしてみましょう。

観心寺 大阪府河内長野市寺元475 アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 観心寺バス停下車徒歩3分

金剛寺 大阪府河内長野市天野町996 アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 天野山バス停すぐ

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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