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【河内長野市】新興住宅地、大矢船北町内にあるパワースポット!楠木正成ゆかりの矢伏観音とは?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

三日市町から南側といえば、山の上を切り開いた新興住宅地と、山の谷間に点在する昔ながらの集落がありますが、歴史的なスポットは通常、昔ながらの集落のほうにあります。

しかし、新興住宅地のすぐ横にもそういうスポットが稀に存在するのも事実。今回の矢伏観音も中世の楠木正成ゆかりのスポットですが、新興住宅地の大矢船北町内にありました。

大矢船は、もともとイトーピア長野という名前で伊藤忠不動産が計画した住宅地。記録を見ると、1970年ごろから造成され、1974年ごろから入居開始とあります。北町のほかに、中町、南町、西町とあり、今回の矢伏観音は北町なので、いちばん北側になります。

とはいえ、三日市町駅からバスに乗って向かうと南花台を通過した奥にあるので、ずいぶん山の上にあるんだなという印象でした。

大矢船北町に到着しました。南の方には、まだ標高の高いところに住宅がありますね。標高は170メートルを少し越えた地点ですが、南町や西町まで行くと標高200メートルを越えているようです。

もちろん山を造成した住宅地なので、周辺には緑があります。とりあえず矢伏観音の方に近づいていくと。

突然昔の緑が残っているところの前に来ました。この奥にあるようです。

ところがです。中に入ると不思議な力のようなものを感じました。河内長野は古い神社仏閣や地蔵堂などいっぱいあるし、これまでいろいろなところに行きましたが、ここまで空気ががらりと変わって、不思議な力を感じたのはそんなに多くはありません。

いわゆるパワースポットなのでしょうね。

下の方にも道がありますが、そもそも方向が違いましたし、「おりるな」と書いてありましたので、降りませんでした。

あとから地図で確認しました。このように坂の下には加賀田の集落があるので、そこにつながっているようです。加賀田小学校への近道でもあるので、大矢船に住む児童がこの急坂を降りて学校に行くことを警戒しての注意喚起と考えられます。

また大矢船北町の住宅地ができる前からこの場所に観音堂があったわけですから、昔は集落から山を登ったところにある観音堂に拝みに行ったのでしょう。

歩いていくと矢伏観音が見えてきました。ここで楠木正成ゆかりの矢伏観音のエピソードについておさらいしましょう。

楠木正成がまだ少年で「多聞丸」と呼ばれていたころ、観心寺で学びながら、毎日、加賀田にある大江時親の元に兵法を習っていました。そのときに、この近くの山道を通り、当時から存在したここの観音堂に手を合わせて学問の成就を祈っていたそうです。

楠木正成は、観心寺から三日市町を経由して加賀田の大江時親邸まで歩いたといいます。あくまで推測ですが、恐らくこういうルートで歩いていたのでしょう。その途中に矢伏観音があるので休憩を兼ねて毎日参拝していたようです。

ところが、当時楠木氏と敵対していた勢力が、多聞丸を殺害しようと、観音堂の裏山で待ち伏せします。多聞丸が観音堂で祈っていると、敵は多聞丸の背に向けて矢を射ます。

しかしその際に風が吹き、観音堂の扉が開いたかと思うと、その矢が勢いをなくして地面に伏して(落ちて)、多聞丸まで届かなかったので難を逃れました。

敵方は何度も矢を射かけますが、多聞丸に当たらず、やがて観音堂の扉に当たります。

それでようやく気付いた多聞丸は、多くの矢が地面に落ちていることを知り、近くに敵がいると判断。その敵を刀で返り討ちにしました。このとき多聞丸少年は、目の間の観音様の力で助かったと考えます。

そのため地元の人が、「矢伏観音」と名付けたそうです。この中に鎮座している矢伏観音は十一面観音菩薩です。

楠木氏の当時の敵は鎌倉幕府や北朝の勢力ではなく、楠木氏と領地を接していた八尾(矢尾)顕幸(けんこう)の勢力です。ちなみに顕幸は、後の時代に正成の重要な家臣として楠氏八臣のひとりに数えられ、正成の子、正行にも仕えました。

はっきりとはお顔が見えませんでしたが、参拝させていただきました。

観音堂の隣には、小さな鐘や石塔がありました。

隣にあるのが、山塚大明神です。山塚大明神について調べましたがはっきりはわかりません。ただ四国の屋島寺の蓑山大明神(日本三大タヌキ・太三郎狸)の記述が複数件ヒットしましたので、もしかしたら関係があるのかもしれませんね。

ほかにも小さな社があります。説明では天照皇大神、神武天皇、一言主神を祀っているとありました。

このほか瀧不動尊や白玉大明神を祀っているという情報もあり、確かにこのような小さな社が複数存在していました。

さて、観音堂の先を歩いてみました。宅地開発の前からあったであろう自然が残っていますね。

休憩できるようにベンチもあります。あとで地図を確認すると、ここは大矢船第2公園です。

三角点を発見しました。地形図を確認するとこの地点と思われるところで標高が書かれており、174.2メートルだそうです。

さらにまっすぐに歩いていくと下り道になっています。

このような下りになっていて、住宅地の前に戻ってきました。

先ほど歩いていた緑地は住宅地の道路側から見るとこんな風になっていました。1970年代に作られた新興住宅地の端に残ったパワースポット、八伏観音。中世の歴史を感じるこの場所に、森林浴をかねて訪ねてみてもよさそうです。

矢伏観音
住所:大阪府河内長野市大矢船北町5
アクセス:南海三日市町駅からバス 大矢船北町バス停から徒歩5分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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