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【富田林市】河内長野市ふるさと歴史学習館で展示会のあった喜志南遺跡の発掘現場。今はどうなっているの?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

富田林市内は宅地や道路開発が難しい町と言われているようです。その理由として、市内にはあまりにも多くの遺跡があるため。もしかしたら奈良県の明日香村と同等の遺跡の宝庫ではと思うほどです。

いろいろ調べてみると、遺跡だった所にすでに建物がある場合、その建物を建て直す等の工事のタイミングで改めて遺跡調査がおこわれるようです。その結果、新発見があるなど、きっちりと成果が現れているから驚きですね。

喜志町1丁目にある喜志南遺跡もそのような遺跡のひとつで、2015年に発掘調査されています。その時の遺跡の様子を写真で、また発掘された出土品の現物が、今年7月、河内長野市にあるふるさと歴史学習館で展示されました。

説明によれば、この発掘時、喜志南1号石室が新たに見つかったそうです。年代ははっきりしていないようですが、5・6世紀ののころであることは間違いないそうです。

パネル写真では発見した様子もあり、こういうものがいろんなところで発見されている富田林の凄さを感じます。

もしタイムマシンなどがあってその時代に行くと、富田林が想像を絶する文化の中心地である可能性がありますね。

実際に発掘された土器が展示されていました。

というわけなのですが、これで終わると「富田林市の遺跡で出土したものが河内長野市の展示室で実際に見ました」になってしまいますが、そういうことではありません。

であれば、この喜志南遺跡は今どうなっているのか?現地に行ってみることにしました。

ということで喜志に来ました。喜志南遺跡は、富田林市の北部、石川河川敷喜志グラウンドの西側に広がる、縄文時代から中世にかけての遺跡群とのこと。それにしてもずいぶん長い間ですね。

この辺りは古い町並みが残るようで、非常に細い道が多かったです。それと石川が近くにあるためか、坂道も多かったですね。

喜志南遺跡の範囲がこの図の丸で囲ったあたり、喜志グラウンドの西側にあります。その中で発掘したのが、斜線が入っているところとのこと。

そのあたりに来ました。新しい住宅が建っています。恐らく遺跡の発掘調査の後に建てられたようですね。

周囲の古い町並みとは明らかに違って、新興住宅地という趣です。報告書によると、遺跡の南端に近い地点について、遺跡調査の申請者として羽曳野住宅(株)の協力とあります。

新しく家を建てる前に、しっかり調査しようということだったんですね。

新しい住宅と古い家との境界線上です。

ちょうど遺跡調査の写真と見比べると右側に大きな家があります。そしてこの遺跡のところに今は白壁の新しい住宅が建てられたということですね。

ということで喜志南遺跡の現在の様子を見てきました。ここが遺跡現場だと知らないと、単なる住宅地にしか見えません。それでもかつて遺跡があり、発掘調査が行われた場所と知ってみると、また違った気持ちで町の様子が見られました。

喜志南遺跡
住所:大阪府富田林市喜志町1丁目
アクセス:近鉄喜志駅から徒歩10分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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