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【河内長野市】まもなく節分!雑草の無い冬だから見えました。鬼の盥をよく見ると岩が赤く染まっています。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

まもなく節分です。節分と言えば鬼ですが、河内長野で鬼と言えば2020年の秋に、河内長野を舞台にした「鬼ガール」という映画が上映されましたね。

あの映画の元になった鬼住橋や鬼の盥(たらい)という場所は、1889(明治22)年までは鬼住村、それから1954(昭和29)年まで川上村鬼住(現:神が丘)だったところです。

ところで先日、近くを歩く機会があったので、改めて鬼の盥を覗いてみたのです。するとその場所の岩だけが真っ赤になっていたのです。

そのときは、延命寺から三日市町駅に向かって歩いていました。この石見川の支流である鬼住川の流れ沿いに歩いていく先に、鬼の盥があります。

こちらが鬼の盥です。ただ、この木の表示だけでは、歩いていても見落としやすいですね。

このような伝承が残っているようです。一部を紹介しましょう。

昔、村の入口の出雲路に大きな洞穴があり、いつの頃からか鬼が住みついた。この鬼は、時々穴から出て来ては鬼のタライと呼ばれる大きな深い淵で行水を使い、終わると村に出て来ては子女や家畜をさらって行った。

どんな感じなのかと思って、覗き込んでみると、画像左側は黒っぽい川の流れなのに、途中から川が赤くなっています。伝承の続きを見ると

困った村人はある日集まって鬼退治の相談をし、九人の人をくじで選び退治することになった。九人の人は早速鬼の一番嫌がる桃の木で弓矢を作り、洞穴の近くで待ち伏せをした。

鬼の嫌がるのが桃の木というのは桃太郎の伝承が混じりこんでいるようですね。

このように鬼の盥のあたりから水の色が明らかに違います。まるで温泉の色のようですね。

この河内長野地域周辺には、温泉旅館もありますし、汐ノ宮や鳥地獄など、このように色が変わっている場所がいくつかあります。ですから、この水の流に温泉が湧き出ていて、赤く染まっていたとしても驚くことではありません。

さらに鬼の盥の周辺をよく見ると、岩の間から湧き出て見える部分がより赤くなっているところがありました。

鬼はいつものように出て来て行水使い始めた。九人はここぞとばかり矢を射かけた。驚いた鬼は、あわてて洞穴と反対の方へ逃げだした。九人は散々矢を射かけ鬼を退治した。喜んだ九人は鬼の死体を鬼のタライに運び村人にみせたところ人々は非常に喜び九人の功名を讃えた。

伝承が正しければですが、鬼の死体を盥のところまで運んだのでこの赤いのは鬼の血?とは考えたくないですね。

完全に銅をさらに赤っぽくしたような色です。このあたりからも温泉(鉱泉?)のような成分が出ているように見えます。

改めて見てみると、ここが鬼の盥と呼ばれている理由がうなづけますね。赤鬼が洗濯や行水をしているのを想像してしまう光景です。

ここで湧き出た水が延命寺方向から流れる鬼住川の水と混ざって、赤っぽい色になるようです。

鬼が住んでいたから「鬼住」退治したところを「伏谷」と呼ぶようになったということで、「追矢」という名も追って行って矢を射かけたからと伝えられます。

鬼住の近くには実際に伏谷という名前の集落があったようです。

また延命寺和尚の二代目に当たる蓮体が著した「観音冥府集」によれば、鬼退治した人は天皇より上田の姓を賜ったと記されているそうで、鬼退治に使った桃の弓矢は延命寺に伝えられています。

鬼の盥の上流に延命寺があり、さらに上田という地名が鬼住川から見て下流のあたりにあるのも関係あるような気がします。

また鬼の盥については河内長野市電子図書館で「川上地区の民話」のひとつとして公開されている民話があります。それを以下に引用しましょう。

昔な、えらい日照りが続いておりましたわな。はて、みんなで「鬼のたらい」さらいに行きました。雨乞いでんな。村の人がみんなバケツ持ってあこさらいに行てな、はて、たらいひっくりかえそかいわはりましたてん。鬼のたらいちゅうてもいわやさかい、ひっくり返しまへん。ほで、その回りさらっといたけどな。
和泉に父鬼ってゆうとこな、ありますわな。ほんでここは母鬼ってゆいまんね。鬼のたらいてな、こんくらいの穴あいてまんや、そのあなからな、鬼行きかいしてましてんて、
和泉の父鬼とここの鬼住のたらいとこな、それ子鬼やてゆいまんな、当たり前のことやけどな。ハハハ。
わたいの母がな、ここの生まれでんね、ほんで、ちいさいときにな、姉妹でいじいちゃんと大阪い行てな。見世物でろくろ首なんかしててな、珍しうてそれ見てておじいちゃんとはぐれたんやな。ほしたらな。「お前どこから来た」ちゅうてお廻りさんに聞かれてな。「鬼住から来た」てゆいましてん。はいたらな、「船に乗って来たんやろか」ちゅうてな、ハハ...。あこに、みなはれ、子供の鬼イいてて、ユメジの向こうにおます「手洗い」ちゅうとこ。子供のな、洗濯したとこ。こっちや、オニノタライ(鬼のたら)ゆいまんね。

鬼の盥から少し歩くと鬼住橋(おにすみばし)に着きました。あの赤い色が赤鬼の象徴で、それが理由で鬼が住んでいるという感じなのかなとも思いました。

鬼住について、鬼の正体のことなどさらに興味ある方は、河内長野市立図書館YouTube歴史講座「鬼住村と鬼伝説」をご覧ください。

この石橋にも苔が生えていて、実に趣がありますね。ところが鬼住橋は1935(昭和10)年6月の集中豪雨で流出したという記録があるので、現在の橋はそれ以降のものとなります。

鬼住橋の近くです。まだ少し茶色っぽい色をしていますが、鬼の盥よりは色が薄まっている気がしました。節分を前に、鬼の名前がつくスポットを訪ねてみても良さそうです。

鬼の盥と鬼住橋
住所:大阪府河内長野市神が丘
アクセス:南海三日市町駅から徒歩25分

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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