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【河内長野市】河内長野最古の非公開寺院、河合寺は奥の院であれば柵の外から建物が見られます。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

ネットで「河内長野最古の寺」を検索したところ、トップに天野山金剛寺が出てきます。金剛寺は、伝承では天平年間(729年~748年)に行基(ぎょうき)が建立したとされています。

もうひとつの有名寺院である観心寺は、伝承としてそれよりも古く、大宝元年(701年)役小角(えんのおづぬ)が創建したとのこと。

しかし、この両寺院よりも古くからある寺としては、河合寺(かわいでら)があります。河合寺の創建は、伝承として皇極天皇2年(643年)に蘇我入鹿(そがのいるか)により建てられたとあります。

聖徳太子の時代より少し後、大化の改新の2年前のことですから、本当に古いですね。

歴史ある河合寺は、その所在地の名前も河合寺、そしてバスの停留所にも名前が残っていますが、残念ながら寺そのものは現在、内部非公開です。

立派な建物があるのにもったいない気がします。詳しくはわかりませんが、以前、非公開にせざるを得ない理由があると聞いたことがあります。

現在は正面の階段から山門までが立ち入ることができるようになっており、ここに河合寺があることがわかります。

正面から見て右側には河合寺に関する説明と仏像があります。

河合寺の説明文です。文章がずいぶん剥げていますが、頑張って読んでみました。以下に引用します。

宝珠峰山河合寺
当山の創建は、皇極天皇二年(六四三)とされる。河合寺縁起によれば、当時、この辺りの山々に幾重にもわたって五色の雲がたなびき、不思議に思われた天皇が蘇我入鹿に調べさせたところ、光がきしている松の大木の根元から金色に輝く千手観世音菩薩の像があらわれ、驚かれた天皇は蘇我入鹿に命じ、ここに本堂を建てさせ、千手観世音菩薩を祀られたのが河合寺の創建である。
当山は、歴代天皇の信仰厚く、特に天智天皇は藤原鎌足に勅を下して宝塔一基を建立し、国家安全を祈念される等、法灯すこぶる栄え、承平(九三一~九三七)の頃には塔頭二十四坊がそびえ、河南の三大名刹の一つとして知られた。

しかし、正平三年(一三四八)楠木正行が四条畷に戦死して後、足利氏の攻めるところとなり、一夜にして大伽藍は消失し、寺宝は失われた。

その後、織田信長に寺領を没収される等、寺運は更に衰微し、幾多の荒廃の年月を経たが、近年、山門前に慈母観世音菩薩を迎える等、ようやく寺運を回復しつつある
平成元年十二月吉日 当山住職

こちらは説明文にも紹介されていた子育て慈母観音像です。

河合寺の慈母観音菩薩像設置についての情報は見つかりませんでしたが、慈母観音菩薩についての説明がありました。

それによると、慈しみの母であり、衆生の私たちを常に母親の愛情で見守る意味があり、家内安全・子授け・子供無事成長・水子供養等々の願いを成就するというものです。

観音像をよく見ると像の下に小さな子供と思われる像があり、手を合わせています。その上を見ると観音像が瓶をさかさまにしています。

愛情に関する何かを子どもに向けて落としているようにも見えますね。

山門の横にある石碑です。勅願の道場、吉野朝史跡、河合寺と書かれています。吉野朝とは南朝のことですね。

石碑を見ると「泉州上神」の後が「若」「君」とも見えるのですが、調べると現在の現在の堺市南区には、かつて和泉国大鳥郡上神谷村があり、そのことから泉州・上神谷(にわだに)と思われます。

昨年の千代田天神祭りで出店していた上神谷のお酒
昨年の千代田天神祭りで出店していた上神谷のお酒

ちなみに上神谷地域はは、泉北高速の泉ヶ丘駅と栂・美木多駅の間にある谷の南側に該当します。つまり上神谷地域に住んでいた西尾千代松という人が河合寺に寄進したようです。

山門の前に来ました。門は固く閉ざされており、ここから先には進めません。

河合寺は真言宗(御室派)の寺院です。

河合寺には国の重要文化財として次のものが所蔵されています。

  • 木造千手観音及び不動明王、毘沙門天立像
  • 木造持国天立像
  • 木造多聞天立像

その他、河合寺には木造大日如来坐像があったそうですが、それは現在静岡県にある佐野美術館(外部リンク)が所蔵しているとのこと。

寺の右横の道、これは奥河内あじさい公園に向かう道ですが、その横から河合寺の屋根の部分だけが見えます。

河合寺の境内は入れないばかりか、黒い壁で遮られていて外からも建物の様子が全く見られないのかと思っていました。

しかし、奥の院の部分だけは外観が見られることがわかりました。

遊歩道を展望台方向まで登っていくとちょうど河合寺と交差する場所があり、河合寺への敷地内は閉鎖されています。

反対側に階段があります、これは河合寺の奥の院に続く階段です。

このように石碑があります。という事で階段を上ってみると、

フェンス越しですが、このように奥の院の建物を見ることができました。もちろん中には入れません。

さらに遊歩道の先にはこのような展望スペースがあります。

その横側からも、このように奥の院の建物の一部が見られます。鐘楼もありますね。

本当は公開を再開してほしいと思う気持ちもありますが、こればかりは事情があるので仕方がありませんね。

というわけで、河内長野で最も古くに創建されたと伝わる河合寺を紹介しました。内部は現在非公開になっていますが、現時点では山門の手前の部分と奥の院をフェンス越しに眺めることができます。

河合寺
住所:大阪府河内長野市河合寺876
アクセス:南海近鉄河内長野駅からバス 河合寺バス停から徒歩すぐ

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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