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【河内長野市】4年ぶりに秋祭りに奉納!数百年の歴史がある日野地区獅子舞の練習風景を見学しました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

秋祭りのシーズンで河内長野を含めた南河内や泉州地域で思い出すのは、何と言ってもだんじりですね。しかし、河内長野にはだんじりとは別に、伝統的な民俗芸能が残っている地域がいくつかあります。その中のひとつが日野地区獅子舞です。

どのような獅子舞なのかは、こちらの動画で紹介されています。日野地域の民俗文化財で、数百年の歴史がある河内長野市指定文化財です。

先日、文化財保護課から連絡があり、「河内長野版歳時記プロジェクト」と呼ばれる企画を行っているとのこと。市内の行事の記録や撮影をプロの業者に依頼して、記録映像を撮るという事を行っているそうです。そして今度、日野地区獅子舞の撮影をするとの連絡をいただきました。

そこで私は、もちろんとても気になったので、該当日にバスに乗り日野地区に向かいました。高向地区まではよく行くし、その先の滝畑地区に行く機会はまだあるのですが、日野地区に行く機会は意外と少ないですね。

日野の集落を越えて石川を渡った先、日野コミュニティーセンターバス停で降りました。

到着した日はちょうど彼岸の中日とあって、田んぼの手前に赤い彼岸花が見えています。

会場である河内長野市立日野コミュニティセンター・みのでホールはこの坂を下ったところにあります。日野獅子舞保存会の幟が紅白交互に立っています。

みのでホールの前には、自治会のちょうちんがあります。

日野コミュニティセンターみのでホールの入り口です。その続きを見ると(ふれあい館・ししまい館)と書いてあります。「ししまい館」というのがあるのが驚きですが、それだけ日野地区獅子舞の保存のために尽力しているという事でしょう。

撮影前の準備で保存会の方々が忙しそうでした
撮影前の準備で保存会の方々が忙しそうでした

ここで日野地区獅子舞についておさらいをすると、日野地区に数百年の昔から伝えられている獅子舞であり、「六斎念仏」「人形芝居」などと深いつながりをもっているそうです。そのため別名「六斎念仏獅子」という名前があります。

ししまい館の入口には獅子舞の頭が飾られています。日野地区獅子舞は5つの舞で構成されており、こちらは最初に行われる「巣垣の舞(すがきのまい)」というものに使うもの。忍んで入り邪魔者がいないか巣を張るように確認します。

2番目は「乱曲の舞(らんぎょくのまい)」です。喜怒哀楽や無病息災、悪霊払いなどの人の弱さを獅子に託すような意味合いがあるそうで、能の舞になぞられた節があるとも書いてありました。最初の段階で邪魔者がいないのを確認したので、獅子が踊りまわるそうです。

3番目が「床几の舞(しょうぎのまい)」で、「曲舞い」という名前もついているそうです。特に逞しい村の若者による舞で、若者の身体を鍛え上げる目的もあるとのことですから相当激しい舞だというのがわかります。床几の舞は高い床几の上で舞うのが大きな特徴。

4番目は「花の舞(はなのまい)」で、五穀豊穣を祝って村人が感謝の気持ちを表す舞とのこと。3番目の床几の舞の激しいのとは対照的な印象ですね。獅子が牡丹の花と戯れるそうです。

最後はこちら「地巣籠の舞(じすごもりのまい)」です。子孫繁栄を願った舞ですが、この舞だけは別の存在が現れるようです。

それがこちらの狐です。狐と獅子の戯れも気になりますね。

「まだ始まるまで時間があるので、日野獅子舞とつながりの深い六斎念仏の足跡が中日野にありますよ」ということで、いったん中日野に行ってみました。

日野獅子舞とかかわりの深い六斎念仏とは、仏教の思想で毎月8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日間を六斎日と呼ぶのですが、この六斎日のタイミングに行われた念仏とのこと。

講と呼ばれるグループを作って活動していたそうです。分布としては京都や和歌山の北部紀ノ川沿いや奈良の吉野川沿い、奈良盆地、福井の若狭や滋賀の朽木などにもあるそうです。

そんな六斎念仏が河内長野の日野にも伝わったそうで、その足跡のひとつがこちらの地蔵仏とのこと。

伝統的な集落や古い街道沿いには地蔵堂を多く見かけますが、中日野にある地蔵菩薩は裸のまま。そのため全体が良く見渡せます。

地蔵尊の由来が書いてあります。引用しましょう。

地蔵尊の由来
お地蔵さんは、寛文七年(一六六七)霊元天皇の時代、この地方に疫病が流行した時、その退散を祈願し、日野村の六斎念仏講の人たち二十人がお祠りしたものです。最初は春日神社(現日野地区東集会所)の附近にありましたが、名召谷道改修工事により本新宅の家先に移して祠っていた。平成十四年吉日を選んでこの地に安置することになりました。中央に延命地蔵尊、右に寛文七年丁未天二月吉日の年号、左に為河川錦部郡日野村六斎念仏衆中同行二十人後世菩薩也と刻まれ、右の道標には右こんかうさん(こんごうさん)左大坂と刻まれている。左の墓碑の裏面には六世中興師匠、為俗名九郎兵衛善堤(日野の六斎念仏の講元大宅九郎兵衛)と刻まれている。昔は日野で六斎念仏が盛んであったことがわかり、現在伝わっています。獅子舞とともに日野の歴史の一端がうかがえます。

かつて日野獅子舞は、旧春日神社(日野地区東集会所)で奉納が行なわれていたそうです。しかし、1908(明治41)年に高向神社に合祀されます。

高向神社
高向神社

合祀後は高向神社で奉納の舞が行われるようになりました。過去の映像を見ると高向神社のだんじりの宮入のタイミングと重なっていて、高向地域のだんじりが見守る中、日野獅子舞が奉納されます。

右上に見える児童遊園の隣がかつての春日神社跡
右上に見える児童遊園の隣がかつての春日神社跡

また宵宮に当たる前日の夜は、地元日野の春日神社跡で奉納されるとのこと。ところで地蔵尊の石碑では「現日野地区東集会所」が春日神社跡地と記載していますが、別の多くの資料では神社跡地に集会所・みのでホールで行っているとの記載があり、一致しません。

もしかしたら、元々は旧春日神社跡の東集会所で行われたものが、みのでホールが完成したタイミングで、そちらに移った可能性が考えられますね。いずれにせよ現在はみのでホールで宵宮の奉納舞が行われています。

始まりそうな時間になったので、みのでホールに戻りました。

ししまいの胴体を現す布(ゆたん:油単又は着物)が置いてあります。

こちらはししまいの奉納当日に保存会が着用する法被のようです。

ししまいの演舞が行われる部屋の中です。撮影機材が置いてあります。

日野獅子舞は、六斎念仏の影響を受けた獅子舞ですが、文化財保護課のご担当の方のお話では、研究者の説として、徳島の佐古地方にあった獅子舞がお遍路を通じて日野に入ったという情報をいただきました。ただ日野地区の地元の伝承とは必ずしも一致していないとのこと。

徳島市佐古のあたり。南側に眉山が見える
徳島市佐古のあたり。南側に眉山が見える

少し前に、出張の途中で徳島線で佐古のあたりを通過しました。佐古の獅子舞についての情報を調べてみましたが、それはあいまいだったのです。しかし、隣町の石井町の獅子舞(外部リンク)というのがあり、この地域で獅子舞が盛んだったことはわかりました。リンク先には南佐古7番町も出てきます。

推測ですが、研究者の説に従えば、昔、日野地域の六斎念仏講にいたメンバーの中で四国のお遍路に参加した人がいて、その際に佐古地域の獅子舞を見る機会があり、「これと同じものがうちの村にあったら盛り上がりそう」と思って獅子舞を持ち込んだという風にも考えられますね。

ここで意外な人物を見かけました。カワバタファームの河端(左から2番目)さんです。河端さんは地元日野の農家なので、当然この獅子舞に関わられていても不思議ではありません。この後、実際に獅子舞の後ろ側を担当していました。

普段は農作業をしている村人が伝えていった伝承芸能である獅子舞なので、河端さん参加は当然と言えば当然のこと。ただ今では村人以外にも外部から獅子舞の保存会に参加している人がいるそうです。そういう外部の人は大人になってから参加しますが、村の人は中学生で参加する若者もいるそうです。

こうして撮影が始まりました。今回は普段見ることの無い練習の所作も撮影するという事で、獅子舞の胴体を現す布がない状態で演じられます。

そのため前の人が頭を持っている状態で、透明胴体の様子で演じられるので一見違和感がありますが、逆に獅子舞の中の人が思っているよりも大変な動きをしているのが見えます。

特にすごいと思ったのは獅子舞を構成する前の人と後ろの人です。二人三脚という言葉にぴったりの息の合った動き。

周りの締太鼓・胴長太鼓・横笛・矛鈴・手拍子に合わせて演じていきます。だんじりは団体芸という印象ですが獅子舞は個人(ふたり)芸という感じですね。

少しだけですが動画撮影しました。息の合った動きがわかります。

ひとつが演じ終わり、その成果を確認します。

演じていた人も、気になって様子を見ています。

このように映像で演舞の様子を再生しています。

次は女性ふたりの登場です。昔は獅子舞は男性の若者だけが演じるものだったそうですが、今は女性も参加して演じるようになったそうです。

こちらは先程よりも激しい動きです。組体操のようにも見えますね。胴体を現す布が付いている状況ではこの様子は見えません。

練習風景を見ると演じるふたりの息が合わないと、布が付いた状態でひとつの獅子の動きができないんだなあという事がわかります。

また、獅子舞の頭の部分や耳の部分にも鈴が付いており、体の動きに合わせて鈴が鳴るようになっています。

こういうのを見ると本番の獅子舞が本当に楽しみです。今年の日野地区獅子舞は、10月6日金曜日の夜にみのでホール、7日土曜日の午前中からお昼前に高向神社で奉納されるとのこと。

こちらも少しだけ動画に撮りました。

3回目はそれまで並べていた台を上にあげています。床几の舞の準備をしています。

ひときわ高いところで踊る床几の舞は、台をつみあげたあと、演舞に影響がないかチェックしています。

下にマットが引いてあり、不測の事態に備えています。

実際にはこちらの若者ふたりが演じるそうです。本当に若く、見た目だけだと都会、大阪ミナミあたりで遊んでいそうな若者ですが、伝統芸能に興味を示して演舞の練習に真剣に取り組む姿は素晴らしいです。若者が次世代につないでいくことは非常に大切な事だと思います。

撮影スタッフも高いところから撮影します。

という事で床几の舞も見ようと思ったのですが、ここで私のほうがタイムリミットになりました。後は本番を楽しみにという事でこの場を立ち去ります。

ということで、日野獅子舞の練習風景とそれを撮影する様子を途中まで拝見しました。ほどなくして床几の舞と思われる太鼓の音が館の外からも聞こえました。

完成版は祭本番の時にじっくり拝見するとして、今回は獅子舞の布がない中の人の動きが良く見えたこと、それを映像作品にしてアーカイブとして残そうとしている試みはとても素晴らしいと思いました。帰り際、風が強く吹き、鳥よけの凧が獅子舞のように優雅に宙を舞っていました。

河内長野市立日野コミュニティセンター・みのでホール
住所:大阪府河内長野市日野980
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 日野コミュニティセンターバス停下車徒歩3分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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