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【富田林市】これはさすがに謎すぎる!大阪外環状線昭和町北交差点横にある謎の数体の子ども像の正体とは。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

町歩きをしていると、突如不思議で原因がよくわからないものに出逢えます。ほとんどのものは、いろいろ調べるとその正体がわかるのですが、富田林の昭和町にある謎の子ども像についてはその正体も意図も全くわかりません。

場所を確認すると近鉄富田林駅から北西の方角、駅前ロータリーからの道を道なりに行ったところ、大阪外環状線との昭和町北交差点のすぐ南側大阪外環状線沿いにある小さな植樹帯です。

大阪外環状線の昭和町北交差点です。正面に右手に見える大きな木の先に小さな植樹帯があるのですが、その中に謎の子ども像が複数あります。

和服っぽい服装だけを見るとおそらく明治から戦前にかけてと思われる子供たちの姿をした像と思われるので、普通に考えてその時代に作られたものと考えられます。

こちらのマークは大阪府のものですね。ということは富田林市ではなく大阪府が関係しているものなのでしょうか?ちなみにこのマーク(府章)は、昭和43年6月21日に制定されたそうですが、像の色とは明らかに違うので同じ時期の物かどうかは不明です。

何か棒のようなものを突き出しています。いったい何をしているのでしょう。

全くの想像ですが、見方によってはまるで戦時中に竹槍で米軍の戦闘機と戦っているような光景にも見えてしまいます。となればここだけ時代が止まっているかのようにも見えますね。

1960年から1980年ごろの地図をみると左側に道路未完成部分がある
1960年から1980年ごろの地図をみると左側に道路未完成部分がある

この辺り、大阪外環状線(国道170号線バイパス)がいつごろできたか調べると1974(昭和49)年に羽曳野市の白鳥北交差点)以北が開通し1979(昭和54)年に富田林市の総合体育館前交差点以北が開通したという記録を見つけました。

1980年から2000年ごろの地図を見ると大阪外環状線が開通している
1980年から2000年ごろの地図を見ると大阪外環状線が開通している

1974年からの5年間で工事が完成して、交差点の横に緑地帯を作ることはあっても、あえてこのようなレトロな子ども像を設置するとは考えられにくいですね。 

1900年から1930年ごろの地図は田んぼが広がっていた模様
1900年から1930年ごろの地図は田んぼが広がっていた模様

戦前の古地図でこの辺りを見ても田んぼのようなものしかありません。もしかしたら大阪外環状線のルート上にあった像だったので移築させたのかもしれませんね。

子どもたちの像がある植樹帯は小さな公園になっていて遊歩道のようなものがありました。

いろいろ調べてみましたが、結局情報が出てこないまま、謎のままとなっている昭和町北交差点の子ども像。

もしこれを見てご存じの方がおられて教えてくだされば、この記事に新情報として紹介できればと思います。

いずれにしても近鉄富田林駅の近く、それも車の通行量が特に多い大阪外環状線沿いに、このような不思議な場所があるとは本当に驚きました。戦前の子どもたちが21世紀の富田林を見ているかのような光景です。興味のある方はぜひ見に行ってみてください。

昭和町北交差点横の植樹帯にある謎の子ども像
住所:大阪府富田林市若松町西1丁目
アクセス:近鉄富田林駅から徒歩8分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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