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37歳の“高校球児” ウィーンから東京五輪目指す

奥村盛人映画監督

オーストリアの選手たちは皆、1人の日本人の指示に耳を傾け、汗を流している。オーストリア・ウィーンにある野球チーム、ヴィエナ・ワンダラーズの選手兼監督、坂梨広幸(37)。試合中、彼は自らバッターボックスに立った直後、今度は選手たちに向けてサインを出す。練習中にはノックからバッティングピッチャー、果てはグラウンド整備までこなし、まさに息つく暇もない。グラウンドにはいつも坂梨の叱咤と笑い声が響き、さながら高校球児のように走り回る彼を中心に、ワンダラーズの選手たちは成長を続けてきた。

福岡市生まれの九州男児は、海を渡って16年目になる。小学1年からソフトボールを始め、中学、高校、大学でも軟式・硬式野球部に所属、常に白球を追いかけた青春時代だった。転機は山口大学4回生だった2003年の夏。王貞治さんらが提唱して開かれている世界少年野球大会が山口であり、所属していた軟式野球部に大会サポートの依頼が入る。坂梨はチームメイトと一緒に参加。そこで運命的な出会いがあった。

大会会場の食堂で食事中、大柄な外国人が隣に座り「オーストリアで野球をしてみない?」と通訳を介して坂梨らに話しかけてきた。相手は子どもたちの引率で日本に来ていたオーストリアの野球チームオーナー。教員免許を取得していたものの就職先が決まっておらず、将来に悩んでいた坂梨は二つ返事で「行きます」と答えた。当時、彼がオーストリアについて聞いたことがあったのはウィーン少年合唱団くらい。どんな野球リーグなのかも知らなかったが、とにかく「好きな野球が続けられるなら」と翌春渡欧した。

日本で過ごした学生時代、例えば甲子園出場など華々しい活躍をした訳でもなく、「高校時代にプロ野球選手に憧れたとかも全くなかったです」と振り返る坂梨。もちろん小さいころには夢に描いたこともあったが、いつしかその夢は「高校教師になり野球を指導する」という内容に書き換えられていた。プロ野球や社会人野球のチームに入る以外、大学卒業後は学校の指導者か草野球でしか野球と繋がれないと思っていた矢先、目の前に差し出されたオーストリアからの誘い。彼にとって自ら野球を続けるための新たな道が現れたのだ。

実際に渡欧してみると、日本の野球と比べ粗削りのプレーが目立ち、各チームが雇うアメリカ人選手頼みの試合が多いリーグだった。何より困ったのは全く言葉が分からなかったこと。オーストリアの公用語はドイツ語だが、アメリカ人指導者が多く英語が共通語として使われていた。ところが「コーヒー飲みに行こうか?」という簡単な英語すら聞き取れない。そもそも高校の英語教師になるため大学に進学し、教員免許も持っていた坂梨。練習や試合の合間に繰り返し同じ洋画を観てヒアリングを改善し、数か月後には生活に困らない英語力を得たという。野球に関しては相手のデータを分析し、非常に緻密に考えてシフトを敷く頭脳派だが、自分自身の事になると拍子抜けするくらいに無計画というか向こう見ずなのが面白い。

2004年にオーストリア1部リーグのダイビング・ダックスに入りピッチャーとして活躍。肩を壊したもののセンターやファーストとして選手を続けた。2007年にヴィエナ・ワンダラーズに移籍すると、2009年にはワンダラーズの選手兼監督に就任。監督就任1年目に19年ぶり2度目のリーグ制覇を果たすという偉業を達成した。その後も常に優勝を争う強豪にチームを成長させた(坂梨が監督就任後の優勝は4回)。さらに、ワンダラーズの監督業と並行して、オーストリアの18歳以下(U18)などの代表コーチも歴任。2015年、ついにオーストリア代表監督にまで上りつめた。

本人は人見知りだと話すが、選手たちとは深い絆で繋がっている。14歳から坂梨と野球を続けてきたワンダラーズのフェリックス・ジマール(24)は「もうヒロとは10年の付き合い。野球の基礎から作り上げてくれた」と振り返り、一方の坂梨は「指導していた子どもとチームメイトになり、今では深い野球の議論を交わすんです。面白いですよね」と笑う。現役選手としての肉体づくりにも余念がなく、選手や監督として得た給与でトレーニング器具を買い揃えて立派なトレーニングルームをつくった。トレーニングルームは選手たちに無料で開放。指導者でありながら選手としても日々努力する坂梨の姿を身近に見て育ったベテラン選手たちは、いつしか自分で考えて行動できるスポーツ選手へと変貌を遂げた。

代表監督になってからの活躍はさらに目を見張るものがある。1954年から行われている野球の欧州選手権(ほぼ2年ごとに開催)にオーストリアが出場したのは、2007年にギリシャが出場辞退したことによる繰り上げ出場の1回のみだった。そんな中、坂梨率いるオーストリア代表は2017年、2018年の予選大会(欧州選手権Bプール)を勝ち上がり、同国にとって悲願だった「自力での欧州選手権初出場」を勝ち取る。2017年にはアジア人として初めて欧州野球監督協会の最優秀年間監督賞を受賞するなど、今やヨーロッパで注目される監督の1人となった。

代表チーム関係者は坂梨の指導を「非常に勉強熱心」「細かいところまで考える野球」と評するが、それはある意味当然の帰結でもある。日本の高校球児でも150キロの球を投げる時代に、オーストリア代表ピッチャーの球速は概ね130キロ台。頭を使わなければ世界で勝てないのは明らかだ。坂梨は「ヨーロッパの強豪チームの球速は、うちよりも平均で5キロとか7キロとか上。長期スパンで戦えば勝つのは難しい」と頭を悩ませつつも「短期決戦なら戦略次第で金星を挙げられる」と力を込める。力が入るのもそのはず。今年9月にドイツで行われる欧州選手権(9月7日~15日)で上位5位に入れば、東京オリンピックの欧州・アフリカ予選に進める。そこで優勝すれば母国でのオリンピックへの切符が手に入るのだ。

坂梨はヨーロッパでの長いキャリアの中、1度だけ日本代表と対戦している。2016年に行われたU23のワールドカップ。メキシコの球場にオーストリア代表監督として立っていた。球場でまず流れたのはオーストリア国歌。続いて流れた君が代に体が震えた。試合は日本の攻守に全く歯が立たず16対0の5回コールド負け。試合時間もわずか1時間ほどだった。それでも「ぼろ負けしましたけど、野球人生でも忘れられない1時間でした」と笑顔で振り返る。次は日本の地で両国の国歌を聞くことができるだろうか。坂梨とオーストリア代表の挑戦に日本からもぜひ注目してほしい(文中敬称略)。

クレジット

監督・撮影・編集 奥村盛人
プロデューサー  前夷里枝
サウンドデザイン 浦真一郎

映画監督

1978年岡山県生まれ。2001年から高知新聞社で8年間記者生活を送る。新聞社を退社して映画美学校で映画制作の基礎を学ぶ傍ら、35ミリフィルム撮影の現場も経験。初監督作「月の下まで」(監督・脚本)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭などにノミネートされ、2013年から全国で劇場公開される。2016年から早稲田大学ジャーナリズム研究所に所属し、ドキュメンタリー映画「魚影の夢」(劇場未公開)を監督・撮影。2017年から拠点をヨーロッパに移し創作活動を続けている。2013年から高知県観光特使。

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