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「ブンデスリーガに絶対行ける」――若者4人で共同生活、ウィーンの「トキワ荘」から追いかける夢

奥村盛人映画監督

オーストリア・ウィーンのアパートで、20代の日本人男性が共同生活を送っている。彼らはドイツ・ブンデスリーガなど、サッカーのトップリーグ入りを夢見て日本を飛び出した若者たちだ。彼らをウィーンへ導いたのは、ドイツとオーストリアのチームを渡り歩いてきたプロサッカー選手の飯田啓祐(27)。飯田は経験を生かして若手選手育成のプロジェクトを立ち上げ、複数の選手をウィーンでサポート中。そのうち4人が同じアパートで暮らし、単なるルームメイトを超えて悩みや夢を共有する同志のような関係性を築いている。彼らはワーキングホリデービザと観光ビザでウィーンに滞在できる1年半の間に、プロ契約を勝ち取らなければならない。サッカー版「トキワ荘」から世界へ挑戦する若者たちを追った。

現在、共同生活を送っているのは大村英梨也(25)、音田聡ノ介(24)、山下寛人(22)、北沢智哉(21)の4人。彼らが暮らす2DKのアパートにテレビはなく、机にはドイツ語学習の本や勉強に使ったノートが雑然と置いてある。自炊をしている彼らが自然と集まるのはキッチンで、チャーハンを炒めたり食器を洗ったりしながらサッカーの話題が始まる。それぞれリーグもチームもポジションも違うが、ある時は試合や練習で失敗した悩みを互いに相談し、ある時は一緒にプレー映像を見ながら問題点を分析して議論。「いつも誰かが勉強してたりサッカーの事を話してたりするからサボれないっす」と話す彼らの姿は、分野は違えども、かつて若手漫画家たちが集まり切磋琢磨(せっさたくま)したトキワ荘の住人たちとも重なる。

恩恵を最大限受けているのが、ルームメイト最年少でプロジェクト唯一の二期生、北沢だ。長野県の松商学園高校を卒業後、渡独しドイツ7部のチームでプレー。ところがコロナ禍で試合はおろか練習すらできなくなってしまい、日本へ帰国することに。その後、偶然見つけた飯田のプロジェクトに応募して今年6月、再びヨーロッパへやってきた。北沢は現在、オーストリア4部リーグのチームに所属し、5年計画でドイツ・ブンデスリーガ入りを目指して奮闘中。不安がある守備や練習への取り組み方、自由に意思疎通が出来ないドイツ語などをプロジェクト一期生の先輩たちから日々教わっている。時には容赦ない言葉が飛んでくるものの「みんな忖度(そんたく)なく厳しい意見を言ってくれる。全員が同じ立場だから全て素直に聞けるんです」と北沢。これは飯田の狙いでもあった。

現役選手でありながら若手選手らのサポートを行っている飯田。背景にはドイツでプレーしていた時に感じた一部の留学サポート企業への不信感があった。現在、249人もの日本人がドイツでサッカーをしており、これは海外でプレーする日本人サッカー選手の数で断トツの1位。2位スペイン32人、3位タイ29人と比較すればその特異性が分かる(移籍情報サイト「トランスファーマルクト」より)。ドイツの下部リーグでプレーする日本人はこの数年で激増したそうで、飯田は「チームに選手を入れれば留学企業のサポートはほとんど終わり。言葉がしゃべれず孤立して殻に閉じこもる日本人選手を何人も見てきた」と嘆く。そうした経験から、同じ立場であれば他の選手の気持ちを最優先に考えてサポートができると思い立ち、2020年に「KIDREAM」という若手支援プロジェクトを立ち上げた。

「オーストリア1部よりもドイツ3部の方が実力は上だと思う。でも、ドイツ3部にいるよりオーストリア1部にいた方が高いレベルのチームに移籍しやすい」と分析する飯田。レベルが高く出場機会を得る事が難しいドイツよりも、比較的出場のチャンスがある周辺国で実績を重ねてトップを目指すのは、確かに現実的な選択と言えそうだ。記憶に新しいのはオーストリア1部からイギリス・プレミアリーグへ移籍した南野拓実や、ドイツ・ブンデスリーガに移籍した奥川雅也。彼らはJリーグで活躍した日本のトップ選手ではあるものの、オーストリアで実績を積み世界のトップリーグへとステップアップを成し遂げた。一方、共同生活を送るのはJリーグに入れなかった若者たち。それでも飯田は「Jリーグは世界に何十何百とあるリーグのうちの一つ。そこに入れなかったからと夢を諦めてしまうのはもったいない。日本人はもっと他の国へも目を向けて挑戦してみるべき」と力を込める。

北沢らプロジェクトのメンバーが無条件にウィーンで暮らせるのは、ワーキングホリデービザと観光ビザで滞在できる1年半という短い期間。この間にチームとプロ契約を結んだり他国へ移籍したりできなければ日本へ帰国しなければならず、最短距離でのレベルアップが求められている。そうした中、海外でアマ選手がサッカーに集中できる環境づくりを整えるのは簡単ではないだろう。その点、飯田のプロジェクトでは環境が整っている上、メンバー同士がお互いを高め合う相乗効果も生まれているように見えた。

若い選手を取材する中で時代の変化も感じられた。北沢らはインターネットをフル活用し、トップアスリートの動画や最新の科学的トレーニングの情報などを日々収集。ウィーンにいながら無料通話アプリを使って日本のフィジカルトレーナーとやりとりするなど、自由に国境を越えて物事を進めていた。練習会場のスタジアムへ向かう道すがら、北沢が発した印象的な言葉がある。「誰にも負けないのは自分がブンデスリーガに行けると信じているところ。絶対に行けると思ってます」。最新技術や情報を駆使する現代の若者が強い気持ちを併せ持ち進んでいけば、そびえたつ壁すら軽やかに乗り越えていけるのかもしれない。

クレジット

撮影・監督・編集
奥村盛人

プロデューサー
井手麻里子

映画監督

1978年岡山県生まれ。2001年から高知新聞社で8年間記者生活を送る。新聞社を退社して映画美学校で映画制作の基礎を学ぶ傍ら、35ミリフィルム撮影の現場も経験。初監督作「月の下まで」(監督・脚本)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭などにノミネートされ、2013年から全国で劇場公開される。2016年から早稲田大学ジャーナリズム研究所に所属し、ドキュメンタリー映画「魚影の夢」(劇場未公開)を監督・撮影。2017年から拠点をヨーロッパに移し創作活動を続けている。2013年から高知県観光特使。

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