【川崎市中原区】歴史の道探訪 中原街道コースを歩く(1)
中原区内を全部歩いて記事を書く、オリテアガルです。
川崎市中原区のホームページに「歴史と緑の散策マップ」として、いくつかのコースが掲載されています。その中に「歴史の道探訪 中原街道コース」があり、そのとおりに歩いてみます!
「歴史の道探訪 中原街道コース」は、JR武蔵中原駅と東急新丸子駅の間を結ぶ全長4.2kmの散策コースです。どちらから行ってもよいのですが、今回は新丸子駅からスタートします。
①東急新丸子駅
新丸子駅の改札を背にして左へ出ます。綱島街道の方へ行き、丸子橋を目指します。
商店街を歩いて行くと、綱島街道との交差点へ出ます。ここを左へ曲がって丸子橋へ行きます。右側へ行くと上丸子小学校ですね。
綱島街道を歩きます。何でもない道だけど、5年後、10年後にこの同じ場所で写真を撮ったら、風景が変わっているんだろうな、などと思いながら進んでいます。写真の右側も、つい少し前に新しくなった建物です。
綱島街道を右に曲がって、丸子橋へ行きます。
②丸子の渡し
新丸子駅から徒歩10分ほどで「丸子の渡し」に着きます。とはいえ、丸子橋付近に、丸子の渡しの碑なんてあったでしょうか? ついこの間も河川敷の気温を測りに行ったばかりです。もしかして、あの四角いものでしょうか。
近寄ってみたら、これが「丸子の渡船場跡」でした。昭和10年の丸子橋開通まで渡船が運営されていたと書かれています。文化7年の資料によれば、渡船場には9名が詰め、人馬の往来は頻繁で夜間も通行ができたとあります。
文化7年は1810年、11代将軍家斉の時代です。その4年後の1814年が葛飾北斎の富嶽三十六景が描かれたので、あの浮世絵のような時代ですね。今の時代のように電気のない江戸時代に、真っ暗な夜にも船で行き来ができたとは驚きです。
この丸子の渡船場跡は、渡船なので、もちろん川の反対側の大田区にもあります。
丸子の渡し跡(大田区側) 地図で見る
丸子の渡し跡(川崎市側) 地図で見る
③松原・青木根集落
丸子橋のとなりに、並行して東急東横線が走っています。その鉄橋の下あたりに、かつては集落があったのだそうです。どのようなものかというと、家々が立ち並び、商店も神社もあり、よくある町がそこにあったようです。河川敷に町?と思ったのですが、当時は今のような堤防がなかったそうなので、川辺のところまで家が建っていたと思えば、なんとなく想像がつきます。例えば、同じ東横線の中目黒駅に近い、桜で有名な目黒川は、河川敷がなく、川の両側に家が立ち並んでいます。古い地図を見たところ中原街道が多摩川のところまであり、その両側に家々があります。街道を歩いてきた人は、丸子の渡しで船に乗って向こう側へ渡るわけですね。
それらの家々は、堤防が築かれることになり立ち退くことになり、その跡が「松原・青木根集落」だそうです。丸子の渡しと共に、さぞ賑やかだったことでしょう。
その数、90軒。おもに上丸子天神町に移ったそうで、そのため今でも青木性が多いのだそうです。そういえば、私の知り合いにも上丸子天神町に青木さんがいます。
さて次は、「歴史の道探訪 中原街道コース」の③中原街道です。ガイドによれば、「松原・青木根集落」から320m、4分とあります。先ほど来た道を戻って、丸子橋のたもとへ行くと、左へ行くのが綱島街道、右へ行くのが中原街道です。
この後は、中原街道の有名な「カギの道」や「徳川将軍家の御殿」跡が出てきます。連日、気温が35度なので、少しずつ歩いております。次回に続きます。