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「この島で死のうと思ってる」45歳サーファーが伊豆大島でライフセービングクラブを立ち上げるまでの軌跡

白珠ケケドキュメンタリー作家、アニメーション作家

東京の離島、伊豆大島。竹芝港から高速船で105分と都内からのアクセスも抜群の観光地だ。夏の遊泳場はもちろん、10月頃までは水温も高くビーチアクティビティを楽しみに島外から来る観光客でにぎわう。かつて島の海の安全は地元の消防団が担っていた。しかし人手不足により、数年前から島外の会社に委託をせざるを得なくなった。伊豆大島は外洋に面しており、島の海を知らないまま不用意に海に入ることは命の危険につながることもある。島でのライフセービングでは、高波の中を人命救助ができる高い泳力とスキルが求められる。過去に水難事故の救助経験がある島のサーファー角田龍次郎さん(45)は、島民からの依頼を受け、再び地元の人が海を守る体制をつくることを決意する。伊豆大島でライフセービングクラブを立ち上げ、活動するまでの奮闘を追った。

●代表者として背中を見せる
伊豆大島内の浜で海開き期間中に監視員がいるのは、島北部に位置する日の出浜・西側の弘法浜・南側のトウシキ海岸の3カ所である。島の中心地である元町から1番近い弘法浜に赴くと、隣り合って2軒の海の家が営業していた。大島警察署の防犯の一環として海の家をやっているという大島母の会の大野早苗さんは、浜の監視の経緯についてこう語る。
「以前は島の消防団が警備をしてくれてたんですけども、だんだん若い人がいなくなって、警備ができなくなったということで、島外の会社に依頼してたっていう経緯があるので。」
一方海の家あんこ椿会を経営する山田泰江さんは、ここ数年島外から来る監視員が、島の海を知らないアルバイトで構成されていることに不安を感じていた。
「この数年間ゴミだらけだった。ちょっとでも波が立つと赤旗を立てて、危ないですよって言ってお客さんを返してしまう。高い波の中を泳げない子もいたんじゃない?」
弘法浜は大島の中で多くのサーファーが集う、普段から高い波が立つ浜だ。島の人にとっては普段通りの波でも、島外から来る人にとっては泳げない高さの波と感じてしまうこともあるだろう。
高い波でも怯まず海に入っていける人に海を守って欲しいと考えていた泰江さんは、過去にサーファーとして人命救助の経験がある龍次郎さんに声をかけたのだった。彼にとってライフセービングクラブの立ち上げは、自分を変えてくれた島への恩返しでもあった。

11月末、熱海。
先陣を切ってライフセーバーの資格を取得するため、龍次郎さんはベーシック・サーフライフセービング講習会に臨んだ。この資格があれば認定ライフセーバーとして正式に浜に立つことができる。
「事故を未然に防ぐこと、これがライフセービング協会の最も大きな使命になります」
日本ではライフセーバー=監視員・救助員というイメージが強いが、実際の活動は海の状況を伝えるための声かけ、浜に来る人が流木や割れたガラスなどでの怪我を未然に防ぐためのビーチクリーン、落とし物を届けることなど多岐に渡る。彼らは海を安全に楽しんでもらうために、年間を通して人命救助のためのトレーニングを続けている。溺れている人を救うためには、一刻も早く現場に駆けつけるための走力・溺れた人を浜まで運ぶ泳力が不可欠だ。ライフセーバーはどんな環境でも溺れた人を助けられるよう、夏に限らず真冬の海でもトレーニングを行う。

「サーファーだっていう意地もあるし、大島でライフセービングをやるっていう所だから、そりゃ意地もありますよ」
4日間真冬の海での講習を終え、龍次郎さんはベーシックライフセーバーの資格を取得することができた。

●自分を変えてくれた大島に恩返しがしたい
もともと都内出身で20代半ばまで荒れた暮らしを送ってきた龍次郎さん。今までの人生を変えたいと思い、27歳の時にその身一つで島へ渡った。一度島を離れるが、過ごした仲間たちとの思い出が忘れられず、再び大島に戻ってきた。

「一度島を出る時に色紙に仲間がわーっていっぱい書いてくれたのを渡されて。それって俺、生まれてはじめてで。部活とかもやったことなくて。地元に帰ってもそういう友達いなかったんで。すごく心を打たれたんですよね。やっぱ、大島がいいなって。海に最高の波が立つし、最高の仲間がいて…あったかい大島で住みたいなあって思って。」
彼自身もかつてこの島に救われた1人だった。

「この島で死のうと思ってるくらい大島が好きだから」

そんな思いに賛同してくれる仲間が増え、次第にクラブメンバーも集っていった。

●島民がレスキューを学ぶ
3月、伊豆大島。
大島ライフセービングクラブは日本ライフセービング協会の田村浩志さんを招き、島の人たちを集めウォーターセーフティ講習会を開催する。クラブメンバーをはじめ、島民13名が参加した。
学科と実技講習を通して自分自身が水辺で命を守るための術、ライフセービングの最も基本的な知識と救助方法を学ぶ。
水難事故で助けにいった人が溺れてしまうというケースが後を絶たず、近年は子供を助けに行った大人が亡くなる事故が増えている。
このような事故を防ぐために知っておきたいのは、救助者自ら水に入ることなく救助をする『ドライレスキュー』という方法だ。まず溺れている人を落ち着かせ、自力で浮いてもらい、陸上から浮力のあるペットボトルやプラスチック板、ロープなどを投げ、岸まで引き上げる方法である。
緊急時、溺れている人はパニックを起こし、救助者も焦るあまり冷静な判断ができなくなる。夏の楽しい思い出が悲しい事故へ繋がることを防ぐためにも、安全な救助方法を知っておくことが大切だ。
龍次郎さんは、今回の講習会を通して地元の人が島の海を守るための大きな一歩を踏み出すことができたと感じていた。

●素人に浜を任せられるのか?
近年コロナウイルスの影響でライフセービング資格講習会が開催できず、2020年ライフセーバー資格の発行数は例年の40%にまで下がっている。
「この現状の中で一番いい選択肢としては、地元で動ける人たちが動くこと。それが第一だと思います。」
町役場での話し合いで田村さんはそう語った。
日本ライフセービング協会の中山昭さんも続ける。
「地元のサーファーたちは毎日海に入っているので、彼らにレスキュー技術を伝えたら百人力だろうなと。彼らの人を助けるマインドも含めて。」

町との交渉を経て、クラブは今年1浜だけ任せてもらえることになった。以前龍次郎さんが観光客を助けたことがある弘法浜だ。今年できたばかりで実績のないクラブに浜を任せることは町にとっても異例の決断だった。
「弘法浜を任せてもらえたときはすごくうれしかった。もちろん大島ぜんぶの海を守りたいですけど、まず弘法浜を任されたのには意味がある。」

しかし地元の人たちが監視を行うことに対して、実績のない素人に浜を任せられるのか、監視の質が落ちるのではないか、という不安の声も上がっていた。

「お客さんに大島最高だなって感じていってもらいたい。波のある海を楽しんでいってもらいたい。」
弘法浜の高波の中を果敢に進む龍次郎さんの背中は自信にあふれていた。
クラブ員たちもお客さんを見守りながら、島の海を楽しんでもらうことを大切にしていた。

「あのお姉ちゃんはどこ?」
男の子が興奮気味にライフセーバーの鎌田美結さんの元に駆け寄り、一生懸命手足を動かしウミガメのまねをする。

「カメってこんな感じだったよ!」

「ウミガメがいるよ」と声かけしてくれた彼女に感動を報告にきてくれたのだ。

海で忘れられない思い出ができれば、また大島に遊びに来たいと思ってもらえる。この島を好きになってもらえる。単なる監視員としてではなく、ライフセーバーとして島の海の楽しさを伝えることができれば、島の貢献にもつながっていく。そんないい循環を伊豆大島につくっていきたいと龍次郎さんは願っている。
この夏、大島ライフセービングクラブは1カ月間、無事故で弘法浜の安全を守ることができた。

海水浴シーズン終了後、9月20日。
台風通過直後で高い波が立つ弘法浜のテトラポット側に、速いカレントが発生。ボディボーダーと観光遊泳客の3名が流された。龍次郎さんと先に海に入っていた地元のサーファーが連携し、無事全員救助することができた。

東京都の島々では海水浴シーズンの1カ月間は監視員が常駐しているが、一番危険なのは監視員の目がないシーズン終了後の海だ。遊泳期間終了後でも、そこに海がある限り海に入る人は必ず存在する。

2011年のWHOのデータによると、日本は世界で2番目に溺死者が多い国であり、野外での水難者数は年間1500〜1800人にも及ぶ。
しかし日本でライフセーバーがいる海水浴場はわずか18%しかない。
このような状況下で不意の水難事故に対応できるのは、毎日海の状況を見ている地元の人たちだろう。地元の海を愛する人たちがライフセービングクラブに参加し、救助方法を学ぶことができれば、きっと日本の水難事故を減らすことにつながっていくはずだ。
今年始まったばかりの大島ライフセービングクラブの活動は、より大きな渦となってこの島の未来を動かしていく。

クレジット

監督・撮影・編集 白珠ケケ
プロデューサー  細村舞衣

制作協力     伊藤詩織
         岡村裕太

ドキュメンタリー作家、アニメーション作家

1988年佐賀生まれ、岐阜育ち。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻7期修了生。実写とアニメーションのあいだで、感情・感覚・記憶などの目に見えないものの表現を探究している。5歳の時に亡くなった母の記憶を辿りながら制作した作品「おもかげたゆた」がイメージフォーラムフェスティバル2017 【寺山修司賞】を受賞。制作を通じて自分の生い立ちやトラウマに向き合うという経験から、作品の持つ人の心の傷を癒す力に感心を持つ。映像を通してひとの気持ちに寄り添い、心の声を届けることを志にドキュメンタリー制作を行う。現在、より深く心について学ぶために心理学を勉強中。

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