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500年続いた盆踊りがコロナ禍で中止 「伝統」いかに引き継ぐか、奮闘する住民【#コロナとどう暮らす

太田信吾映画監督・俳優・演出家

室町時代から約500年間、毎年続けられてきた長野県阿南町の国重要無形民俗文化財「新野(にいの)の盆踊り」が今年、コロナ禍で中止された。新野高原盆踊りワークショップ実行委員会によると、16世紀前半に始まったとされるこの盆踊りが中止されるのは初めてだという。新型コロナウイルス拡大抑止のために中止を支持する声がある一方で、「一度中止にしたら盆踊り自体が今後なくなってしまいかねない」。そんな危機感から、阿南町出身の会社員、金田渚さん(28)が盆踊りの継承に乗り出した。コロナ禍の中、伝統の盆踊りをいかに引き継ぐか。渚さんの奮闘に密着した。

例年は約千人が訪れる新野地区の夏 今年は人影なく
「490年以上、一度も中止したことがないと聞いていた。こういうことが起こる時代になったんだと思った」。渚さんは中止決定を聞いた時のことをそう振り返る。
新野の盆踊りは室町時代末期の1529年ごろに始まったと考えられている。先祖供養のための盆踊りで、夜を徹して行われる踊りは、笛や太鼓などの楽器は使わずに音頭と踊り子による返しの声だけで進む。踊りの種類は、扇子を持って踊る「すくいさ」「音頭」「おさま甚句」「おやま」と手踊りの「高い山」「十六」「能登」の7つ。このうち、「能登」は17日の朝方「踊り神送りの式」の間だけ踊られ、それ以外の時間帯は、他の踊りを適当に変えながら踊られる。こうした盆踊りの場は、かつて男女の「合コン」の場にもなっていたとされている。現在は新野高原盆踊保存会が主催して毎年8月14~16日に開かれ、例年、盆踊りの時期には地区の人口約1000人が倍になるほどの人出があるという。
阿南町が盆踊りの中止を発表したのは2020年7月のことだ。地元住人の男性は「中止は正解だと思うよ。(新型コロナウイルスが拡大する中で)何かあったら大変。地域の人にも分かってもらえる」という。こうした支持の声がある一方、新野地区で老舗の「まるはち旅館」を営む経営者の男性は、「今年はほとんど売り上げがない。細々と生活していくしかない」と困惑する。
新型コロナウイルスの影響で、新野地区では即身仏「行人様」御開帳の祭典や、新野千石平ロードレースなど、イベントの中止が相次いでいた。農林業が経済活動の多くを占めるこの町では、夏のイベントが地区外から観光客の集う貴重な機会だ。本来ならこの時期は観光客や帰省者で賑わいを見せているが、今年は静けさに包まれていた。

「withコロナ」時代 伝統をいかに継承するか
そんな状況下で盆踊りを継承していけるか、危機感を抱いていたのが渚さんだ。2歳の頃、祖父に連れられて初めて盆踊りに参加。「気づいたらおじいちゃんを追いかけていた」。その魅力に取りつかれ、成人後も踊りを続けてきた。歌詞の奥深さ、扇子踊りや手踊りなど種類の豊富さ、集った踊り手たちの「気分」によって即興的に展開する様式……。渚さんは盆踊りのさまざまな魅力を語る。現在でもIT関連企業で働く傍ら、父の信夫さんらとともに各地でワークショップを開催したり、新野の暮らしを発信するウェブサイト「DeepJapan 新野高原」を運営したりしている。
新型コロナウイルスの収束が見通せない中、渚さんは盆踊りの中止という判断を重く受け止めながらも、「withコロナ」時代の伝統の継承のあり方を改めて考える必要性を感じていた。「一度中止にしたら盆踊り自体が今後なくなってしまいかねない」

「どうしても踊りたかった」戦時下でも踊り続けた人の思い
コロナ禍でも盆踊りを継承していくには、どうすればいいのか――。盆踊りの将来に不安を抱きながら渚さんに浮かんだのは、「終戦時はどうやって盆踊りを続けたのか」という疑問だった。
かつて盆踊りの音頭取り(中心メンバー)を務め、終戦当時の状況も知る金田行蔵さん(97)にコンタクトを取り、入所先の老人ホームとビデオ通話をついないで質問をぶつけた。
金田行蔵さんはこう答えた。「鎮魂の思いもあり、どうしても踊りたかったので、戦没者の慰霊碑の前で踊った。そしたら憲兵隊に『こんな時にけしからん』と追いかけられた。でも諦めきれず、暗闇に逃れて踊った」。100歳を間近にした行蔵さんが老人ホームで踊る姿に、渚さんはビデオ通話越しに見入った。
行蔵さんが強調していたのは行事という形式で続けることよりも、「どうしても踊りたかった」という盆踊りに対する気持ちだった。渚さんは「100歳に近い方から<継承してほしい>と言われて、受け渡されたんだなという感じがした」。形式にとらわれるのではなく、盆踊りを次の世代にも生き続ける文化として継承するために、可能な範囲で盆踊りを実施する方法がないか考え始めた。
新野高原盆踊りワークショップ実行委員会のメンバー有志で検討を重ねた結果、外部からの観客は招かずに、有志だけで「あくまでも自発的な形」で盆踊りすることを決定。実行委員会のメンバーの中には新野地区で旅館業や和菓子店を営む人も含まれていた。ある程度の人が集まることを想定して地域の商店に掛け合うと、その店舗が所有する駐車場を特別に踊りのために借りることができた。
渚さんとともに盆踊りの魅力発信を続ける父の信夫さんも、こう語気を強めた。「感染拡大予防に最大限、努めながら実施をしたい」

「自分なりにこの踊りを続けたい」 中止か実施かの二元論ではなく
8月14日の夕方。例年通り、地区の各家庭では迎え火を焚いて先祖の霊が招かれた。
夜、渚さんら有志メンバー10人ほどが集まり、地区で新盆を迎える故人の男性の家を訪れた。生前に盆踊りの交通整理などに尽力していた男性の供養のためにも踊りたいという思いからだった。男性の遺影が見つめる庭先で、有志メンバーが男性の家族とともに盆踊りを踊る。30分ほど、ソーシャルディスタンスを保ちながら行った。
「主人は盆踊りが好きだったから、踊って頂けてありがたい」
男性の妻はそう感謝を口にした。
その後、有志のメンバーたちは、例年盆踊りが開催される通りの一角にある駐車場へ移動。8/14〜16の毎晩、約10名の有志メンバーは地域住民の飛び入り参加者を受け入れながら、新野の盆踊りを踊り続けた。
実際に祭りを始めてみると、踊りの音を聞きつけて地域の0歳~80歳の方々がのべ50人ほど集まった。例年よりも通りは暗く、盆踊りの輪も小さい。人と人との距離を取りながら、手踊りと扇子踊りを交互に行った。最終日の17日朝には、神事と仏様を「あの世」に送るための特別な踊り「能登」が行われた。この踊りは例年、スクラムを伴い盆踊りの大団円を迎えるパートだが、今年は、ソーシャルディスタンスを保った「能登」だ。もちろんスクラムはない。
それでも踊り続ける渚さんたちの表情は穏やかだった。
渚さんは語る。「けっこう同世代の子が参加してくれて、ありがたかった。ひとりではできない祭りなので、配慮しつつ理解していただきながら今後につなげていきたい。盆踊りには先祖への鎮魂の思いも込められており、中止か実施かで測られるべきものではないと思った。自分たちなりにこれからもこの踊りを続けていきたい」。継承の取り組みはまだ始まったばかりだ。

クレジット

ディレクター:太田信吾
プロデューサー:金川雄策
出演:金田渚 金田信夫 金田行蔵 他

映画監督・俳優・演出家

1985年長野生まれ。早稲田大学文学部卒業。『卒業』がIFF2010優秀賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13)がYIDFF2013をはじめ、世界12カ国で配給。その他、監督・主演作に劇映画『解放区』(14)、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2022優秀芸術賞受賞の『現代版 城崎にて』(22)。俳優としても、舞台や映像で幅広く活動。

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