【富士市】続け、富士山への道 富士山村山道(ふじさんむらやまみち)を辿る江戸時代の旅
こんにちは、Pillonピヨンです。
少し前の富士塚に続き、今回は富士市内に残されている、実際に富士山へ向かう“道しるべ”を訪ねてみました。
道しるべは7基残されていますが、富士市に残されているのは現在5基です(残り2基は富士宮市)。
1.辻畑(つじはた)
現在、後ろは駐車場になっています。
富士塚からは9.6km
吉原宿(よしわらしゅく)からは4.6km
ここまではずっと坂を登るので、結構大変な道のりじゃないでしょうか。
村山道へ向かうには”左”と書かれています。
Googlemapでは道しるべ(辻畑)で記載されています。(株)青木機械さんの会社の向かいになります。
2.横山(よこやま)
横山の道しるべです。
新富士病院の近くで、千貫松の交差点から東に向かう道沿いにあります。
村山道には左へと書かれています。
富士山の絵が彫られていて、ほっこりします。
3.大峯(おおみね)
大峯の道しるべは、大峯町に上る坂道を過ぎた分かれ道に佇んでいます。
横山の道しるべからは0.6km
この分かれ道は左に進むよう書かれています。
4.石ノ前(いしのまえ)
石ノ前の道しるべは道路より少し高い所に移されていました。
掘った文字は消えてしまったのでしょうか。手書きで”左”と書かれています。
左側には次の道しるべまでと村山浅間神社までの距離が書かれています。
5.覆盆子平(いちごだいら)
左と書かれているこちらが覆盆子平(いちごだいら)の道しるべです。
実際行ってみると、この先に復元された道しるべもあったので訪れてみることにしました。
6.復元された道しるべ
ここには”右”と書かれていますが右側の道という意味ではなく、左にある二股の道を右方向へ、細い道を山の中に向かっていくことになります。
ここは富士市と富士宮市の市境で、復元されているので文字も現代風に書かれていました。
江戸時代の道しるべの横には電線をつないだ現代の電柱のようなものが立っており、二つのコラボレーションは不思議な感じです。
当時の登山の出発点は富士塚でした。
しかし、時代が進むにつれて大宮の本宮浅間社(現在の浅間大社)で入山料を納めて、村山から山頂を目指すルートが幕府に認められました。
すると今まで修業の場となっていた興法寺(現在の村山浅間神社)は、登山者が減り衰退していきました。
そこで、登山者を直接村山に導く「村山道(むらやまみち)」を設定します。
村山では登山ルートが描かれた地図を作成し、道しるべを設置しました。
富士山かぐや姫ミュージアムには、駿河国富士山絵図という地図のようなものが残されており、そこには村山道からなる登山道も記されています。
機会があったら是非見学してみてください。地名も今とほとんど同じでとても興味深いです。
1~5の道しるべの名前は大字からつけられており、すべて大渕に現存します。見落としてしまいがちな小さなものですが、見つけると江戸時代の人と気持ちが重なったような気がしてワクワクします。
富士山を目指して登山していた人たちも、きっとこんな風にここから富士山を見上げたんだろうなぁと感慨深く感じます。
ひとつ見つけると、次の道しるべはとても見つけやすくなります。時には江戸時代からずっと人間界を見つめている道しるべに思いを馳せてみませんか。
富士山村山道(ふじさんむらやまみち)
現地には駐車場がなく、特別な観光地でもありません。道端で、今も私たちを見守ってくれている石の道しるべです。
通行の迷惑にならないよう見学お願いします。