オートバイのあれこれ『究極の、空冷CB。』
全国1,000万人のバイク好きたちへ送るこのコーナー。
今日は『究極の、空冷CB。』をテーマにお話ししようと思います。
1970年代、日本の二輪メーカーは世界進出を賭け、技術開発とプロモーション活動の意味も込めて海外のレースへ積極参戦するようになりました。
WGP(世界グランプリ)がその最たるものではあるのですが、その一方、市販車をベースにしたレーシングマシンで競うプロダクションレースも盛り上がりを見せており、日本メーカーはこのプロダクションレースへの参戦も見据えた市販オートバイの開発に取り組み始めます。
カワサキの『Z1000』やスズキ『GS1000』などはその代表的な存在で、これらのモデルは海外のレースで大活躍していました。
ホンダは当時『CB900F』でプロダクションレースへ臨んでいたわけですが、やはり他社のハイパワーなリッターマシンにはなかなか勝てずにおり、その状況を打破するためにリッタークラスの新型車の開発を決意します。
そうして生まれたのが、『CB1100R』でした。
エンジンは、900Fの空冷4バルブDOHC並列4気筒をベースに、排気量を901ccから1,062ccまで拡大したものを搭載。
ピークパワーは900Fからプラス20psの115psとなり、このパワーアップに応じてクランクシャフトやクラッチプレートも強化品が投入されました。
フレームは、900Fと同じスチール製のダブルクレードルタイプですが、900Fが整備性を考慮した分割式だったのに対し、1100Rでは強度が重視され、分解できないワンピース構造とされていました。
約8ヶ月というきわめて短期間に一から開発された1100Rは、ホンダのエンジニアに言わせると“未完成な部分”も少なくなかったのですが、デビューレースでいきなり優勝を果たすなどその実力は確かなものがあり、これによって販売面でも好調なセールスを記録することとなりました。
デビュー翌年の1982年には早くもモデルチェンジが行われてC型(CB1100RC)となり、このC型からは専用設計のフルカウルも装着されることとなります。
以降83年にはさらにD型(1100RD)へと進化し、このように1100Rは年を追うごとに熟成を深めていきました。
しかし、この頃になるとホンダはすでにV4エンジンの開発に注力しており、1100Rは『VF』シリーズにフラッグシップの座を譲る形でこのD型を最後に引退することとなったのでした。