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「九州で最も早くに栄え、衰退に直面する都市」高齢化率No.1の北九州市で描く高齢者雇用の理想

坂口幸司エディター・ビデオグラファー

かつて世界に開かれていた九州の玄関口・北九州市は、いまや全国の政令指定市の中で最も高い31%の高齢化率にあえいでいる。
なかでも国際貿易の拠点だった門司港がある門司港地区では、65歳以上の高齢者が人口の40%を超える。門司港で生まれ、大学卒業まで暮らした菊池勇太さん(34)は、東京や福岡で会社員として働いた後の2018年、生まれ故郷に戻った。若者と高齢者がともに働ける会社をつくるのが、その目的だ。「かつて自分を育ててくれた門司港のお年寄りに、生き生きと暮らしてほしい」。そう願う菊池さんは、衰退していく地元を多世代が共生できる街にしたいと奮闘している。

・無理なく働ける場所を
関門海峡に面し、国際貿易の拠点として栄えた門司港。いまは木造2階建てのJR門司港駅を中心に大正時代の建築物が多く残り、レトロな雰囲気を楽しめる観光地としてにぎわっている。ただ、昔ながらの近隣の商店街ではシャッターが閉まったままの店も多く、高齢者の姿が目立つ。

駅から古い街並みを眺めながら15分ほど歩いた先にあるのが、菊池さんの会社が営むゲストハウス「PORTO(ポルト)」だ。ここでは2人の高齢者が働いており、掃除やベッドのシーツ替えなどをしている。そのひとり小橋ヒトミさん(68)は「1日家にいると動かない。働くことで体を動かせるし、仕事内容も無理なく働けるので助かる」という。

菊池さんの会社は新たに土産物店をオープンさせる予定だ。店の名物にしようとしているのが、菊池さんの父親の顔をかたどった「おじ焼き」だ。母親の照代さん(72)は、別の商店を経営しながら菊池さんの会社でも働いている。いまはおじ焼きをうまく焼けるよう、練習しているところだ。

菊池さんの会社は規模が小さく、運営するゲストハウスや飲食店で雇用できる高齢者の数には限りがある。世代が異なる従業員が一緒に働けるよう、無理のない範囲で若い人と組み合わせたシフトにしたり、デジタル機器が得意ではない人のために、業務連絡の申し送り書はパソコンを使わずに手書きにしたりといった工夫をこらしている。


・政令都市での少子高齢化

九州の玄関口だった門司区の人口は、ピーク時の1959年には16万人を超えていた。ところが1958年に関門トンネル、73年に関門橋が開通し、75年には山陽新幹線が博多まで延伸すると、門司は玄関口ではなく通過点となってしまった。産業の多くは小倉や福岡市に移転。雇用の場が失われ、人口は2022年には9万人台にまで減った。商店街でも閉店する店が増えた。

菊池さんは、こうした故郷の衰えを肌身で感じていた。自分を育ててくれたおじさんやおばさん、近所の商店主たちはみな歳を重ねていく。若者は減り、子どもも少なくなっている。「自分が幼かった頃のようには戻らないことはわかっているが、このままでは本当に寂しくなってしまう。何とかしなければ」。こんな使命感を抱いた菊池さんが考えたのが、誰にでもできる簡単な仕事を高齢者が担い、若者とともに無理なく働ける店をつくることだった。そんな店を、港周辺に毎年1店ずつ増やしていく。「仕事をすることでお年寄りの生活に張りが出て、社会の中で自分に役割があると感じられるのがよいのではないか」と菊池さんは語る。

ともに仕事をしていく中で、高齢者との間に価値観や考え方のギャップを感じることもある。例えば接客。菊池さんの世代だと客のプライバシーに触れるようなことは決して尋ねはしないが、高齢の従業員は遠慮なく聞いている。それで客との距離が縮まったこともあった。

ポルトで働く井上夏樹さん(34)は、高齢者と働くには苦労があるという。会計用のタブレット端末の操作を教えてもすぐに忘れる、掃除をするにしても長年自分で続けてきたやり方を変えたがらない頑固さがある。それでも井上さんは「それが個性だと思っているし、楽しい面もある」と笑う。できるだけ対話を重ねて、お互いが納得いくように心がけているという。

・自社の活動だけでは何も変わらない

事業を始めた直後は若者の移住も増え、「街が明るくなった」と言われて手応えを感じていた。だが、間もなくコロナ禍に襲われ、門司港周辺の観光業は大きな打撃を受けた。菊池さんのゲストハウスや飲食店も大きな減収となり、借金してまで挑戦した起業が無意味だったように感じ、落胆した。それでも「街の雇用を生むために作った会社で、会社を守るために従業員を解雇するのは違う」と思い直した。前職のマーケティング・リサーチの経験を生かし、企画やクリエティブ案件などを個人で請け負うようになった。その収入で従業員の雇用を守りながら事業拡大に挑み、3月10日にオープンした店を含めゲストハウス1、飲食店3の計4店を営業するまでこぎ着けた。

ただ、それだけではあまりに小さく、街を変えることはできない。そう感じた菊池さんは、地元の企業や自治体へのアドバイザー業にも乗り出した。大きな不動産開発や公共施設があれば、自分の力だけではできない大口の雇用を生み出せる。いまは自社の活動と両輪で雇用拡大を目指している。

・高齢者と若者が一緒に楽しく暮らせる街へ
菊池さんの事業は着実に大きくなっている。だが、少子高齢化は全国規模の難問だ。菊池さんは、自身の取り組みの未来についてこう語る。

「この問題に取り組もうとする若い人はまだまだ少ないかもしれない。自身が活動することで、新たに取り組もうという若い方が少しでも増えればと思う。高齢者も若者も一緒に働いて、楽しく一緒に暮らせる。そんな街にしたい」

クレジット

取材・撮影・編集 坂口 幸司
プロデューサー  山本 あかり 金川 雄策
アドバイザー   庄 輝士
記事監修     国分高史

エディター・ビデオグラファー

鹿児島県出身。ポストプロダクションでエディターを経てフリーランスに。地域や文化・コミュニティなどの価値を映像で伝えることができればと考えています。

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