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再建されたドーム屋根の駅舎と高く聳える防潮堤 三陸鉄道リアス線 島越駅(岩手県下閉伊郡田野畑村)

清水要鉄道ライター

平成23(2011)年3月11日の東日本大震災は、三陸海岸を走る三陸鉄道にも大きな被害を与えた。もっとも大きな被害を受けたのが下閉伊郡田野畑村の島越(しまのこし)駅だ。津波により駅舎だけでなく高架上のホームや線路も流失し、営業再開には3年の月日を要した。震災から12年、営業再開から9年を経た島越駅を見ていこう。

旧駅の案内看板に姿を留める旧駅舎
旧駅の案内看板に姿を留める旧駅舎

島越駅は昭和59(1984)年4月1日、宮古~久慈間を結ぶ三陸鉄道北リアス線の駅として開業。ホームは高架上の一面一線で、南欧風の八角形のドームを持つ二階建ての駅舎が田野畑村の手で建てられた。駅舎の一階には村に委託された窓口と売店、二階には喫茶店が入居しており、地元民だけでなく多くの観光客や鉄道ファンにも愛された駅舎だった。この駅舎は津波によって階段の一部を残して消え、往年の写真や残された案内看板のイラストにその姿を留めるに過ぎない。愛称の「カルボナード」は宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』に登場する火山島にちなんだものだ。

旧駅跡 右が防潮堤を兼ねた線路の築堤
旧駅跡 右が防潮堤を兼ねた線路の築堤

平成26(2014)年4月6日の営業再開にあたっては線路の構造が高架から津波防潮堤を兼ねた築堤に変更され、駅の位置も山側の嵩上げされた場所に変更された。旧駅跡は公園となり、旧駅の階段の一部と、津波に耐えた宮沢賢治詩碑が震災遺構として保存されている。現在は防潮堤工事に伴って駅側からは近付けなくなっているので要注意。

海側から見た駅舎
海側から見た駅舎

新駅舎は嵩上げされた盛土の上に建設され、築堤とは同じ高さになった。工事の遅れによって営業再開には間に合わず、3か月後の7月27日に使用開始となっている。八角形のドーム屋根は旧駅舎のイメージを継承したものだ。

駅舎内
駅舎内

駅舎内に入るとまず目に入るのは、中央の螺旋階段だ。ドーム屋根内の吹き抜けまで上がることができる。ただし、内部は展望台という感じではなく小さな窓から周囲を望める程度だ。

駅舎内の売店
駅舎内の売店

入って右手は田野畑村が運営する売店で、お土産を買えるほか、飲食も可能だ。隣接して切符の販売窓口もあり、こちらでは硬券も販売している。

たのはたアイス
たのはたアイス

売店で買えるものの中でのおススメは「たのはたアイス」だ。田野畑村で生産された牛乳を使ったアイスクリームで一個250円。バニラ、抹茶、ゴマ、江刺りんご、大吟醸の5種類がある。列車待ちの間に是非食べてほしい一品だ。

展示スペース
展示スペース

入口から入って左側、売店の向かいは展示スペースとなっている。復興にあたって寄せられたメッセージや前述の旧駅案内看板などが展示されている。筆者が訪問した時には鉄道写真家・中井精也さんの写真が展示されていた。

思い出の島越 復元模型
思い出の島越 復元模型

展示スペースで目を惹くのは震災前の島越の様子を再現した復元模型だ。模型と現在の島越の航空写真を見比べただけでも、震災でいかに多くのものが失われてしまったかがわかる。模型では建物が並んで賑やかな駅周辺も、現在では人家が数軒とコミュニティセンターがあるのみだ。

吉村昭文庫
吉村昭文庫

駅舎内のホーム側は待合室になっており、「吉村昭文庫」と名付けられた本棚が置かれている。『戦艦武蔵』や『高熱隧道』などの記録文学で知られる作家の吉村昭は、鵜ノ巣断崖をモデルにした『星への旅』(第2回太宰治賞受賞)をはじめとして、三陸を襲った3度の大津波を記録した『三陸海岸大津波』や無医村に赴任した医師夫婦と村民の交流を描いた『梅の蕾』(『遠い幻影』所収)など田野畑村を舞台にした作品も執筆しており、自身も田野畑村を度々訪れていた。吉村は平成2(1990)年には名誉村民に推戴され、平成8(1996)年には本人と妻の津村節子さんから寄贈された著作が「吉村昭文庫」として島越駅二階に置かれるようになった。だが、初代の吉村文庫は駅舎と共に津波で流失。駅舎の再建後、没後十年となる命日の平成28(2016)年7月31日に津村さんから寄贈された本によって復活を遂げた。90年前に島越を襲った津波についても書かれた『三陸海岸大津波』は震災後の5年間で約25万部を増刷。津村さんは『関東大震災』の増刷分と合わせてその印税を田野畑村に寄贈した。吉村昭と田野畑村の半世紀以上に渡る繋がりは、彼の没後十年以上が経った今も続いている。

ホームと防潮堤
ホームと防潮堤

位置を変えて再建されたホームと海との間には高く聳える防潮堤が建設中だ。震災前の島越には防潮堤がなく、駅の再建後もホームから海を望むことができたが、現在の駅から海を直接望むことはできない。駅から海が見えなくなることに寂しさを感じる人も多いだろうが、車窓の美しさも人命には代えられない。

防潮堤の先の海
防潮堤の先の海

筆者が訪れた9月上旬、防潮堤によって隔絶された海は穏やかな姿を見せていた。島越駅の周辺は海のそばまで断崖が迫った険しい地形が続いており、駅から歩いてすぐのところでもその一端を見ることができる。駅から南へ行くと、『星への旅』の舞台で、吉村昭文学碑もある鵜ノ巣断崖で、北へ行くとこれまた断崖で知られる北山崎だ。

発車する久慈行き
発車する久慈行き

吉村昭が『三陸海岸大津波』を書くために昭和45(1970)年に当地を訪れた時、三陸鉄道北リアス線は元より、一部区間の前身である宮古線も久慈線も開通していなかった。43歳の吉村は仙台方面から青森方面まで約一か月をかけてバスを乗り継ぎ、時にはトラックやライトバンをヒッチハイクをして旅をしたそうだ。彼はその旅で得た証言や資料を元にまとめた『三陸海岸大津波』をこう締めくくっている。

私は、津波の歴史を知ったことによって一層三陸海岸に対する愛着を深めている。屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、それらは、度重なる津波の激浪に堪えて毅然とした姿で海と対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら生きてきた人々を見るのだ。

私は、今年も三陸沿岸を歩いてみたいと思っている。

読書の秋、吉村昭作品を旅の供に三陸鉄道で旅をしてみるのはいかがだろうか。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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