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廃止後に安住の地を得た貨車駅舎 釧網本線 南弟子屈駅(北海道川上郡弟子屈町)

清水要鉄道ライター

令和2(2020)年3月14日、道東を走る釧網本線から一つの駅が消えた。摩周と磯分内の間にあった南弟子屈(みなみてしかが)駅で、廃止前年となる令和元(2019)年度の一日平均乗車人員は1.6人だった。ちなみに昭和28(1953)年の映画『君の名は 第2部』に美幌駅として登場したこともある駅でもある。

駅跡
駅跡

廃止後、ホームは撤去され、駅跡に痕跡はほとんど残っていない。ただし、車掌車を転用した貨車駅舎は解体を免れて約10キロ離れた摩周観光文化センターに移設保存されている。移設に際しては出入口のステップや庇が失われているが、外装は塗り直されて廃止時点よりも美しい姿を取り戻している。

現役時代の駅舎
現役時代の駅舎

南弟子屈駅は昭和4(1929)年8月15日、釧網線の標茶~弟子屈(現:摩周)間の延伸に合わせて開設された。当時の所在地は川上郡弟子屈村熊牛原野。熊牛原野は標茶町と弟子屈町に跨る地名で、かつては標茶町も熊牛村を名乗っていたが、「熊牛という地名が山奥を連想させる」として改称されている。「熊牛」はアイヌ語で「物干し棚が多くあるところ」を意味する「クマ・ウシ・イ」に由来しており、駅も本来なら「熊牛駅」を名乗るところだが、同名の駅が既に河西鉄道(後の十勝鉄道で、十勝清水と鹿追を結んでいた。昭和26年廃止)に存在していたことから、「南弟子屈」と命名された。弟子屈駅が平成2(1990)年11月20日に「摩周」に改称されてからは弟子屈の町名を名乗る唯一の駅となっていた。

駅舎内
駅舎内

駅舎は長らく開業時のものが使われてきたが、無人化後の昭和61(1986)年10月13日に解体を前提に入札され、落札した弟子屈町の建設会社によって解体された。この木造駅舎に代わって同年11月1日に設置されたのが車掌車を転用した貨車駅舎で、廃止まで33年ほど使われた。釧路鉄道管理局管内では貨車駅舎が他に設置されたのは釧網本線の美留和駅、五十石駅(廃止)根室本線の尾幌駅、別当賀駅、西和田駅、花咲駅(廃止)の6駅で、いずれも当駅と同じ車掌車を素材としたものだ。貨車駅舎はその特性上、移設が容易で、同じく廃止となった花咲駅も移設保存されている。

時刻表
時刻表

廃止時点での停車列車は下り釧路方面が6本、上り摩周・網走方面が6本だった。日中は6時間以上列車が停まらなかったが、朝夕は列車の組み合わせが容易で訪問自体は極端に困難な方ではなかった。

厳冬の朝
厳冬の朝

駅前には建設会社とその家族の住居があり、200mほど先の国道391号沿いにはガソリンスタンドや商店(廃止直前に廃業)、民宿があるなど、「秘境」と呼べるようなところではなかった。地名こそ「熊牛原野」だが開拓によって広大な牧場や畑が広がっている。

窓に付着した雪の結晶
窓に付着した雪の結晶

筆者がこの駅を訪れたのは廃止一か月前の令和2(2020)年2月12日。6:44着の釧路行きで降りて、7:18発の網走行きまで30分ほど滞在した。冬の早朝ということもあり、駅舎の窓に雪の結晶が付着していて、美しかったのが印象に残っている。

朝の釧路行きが発車
朝の釧路行きが発車

南弟子屈駅に最後に列車がやってきたのは令和2(2020)年3月10日。翌日の3月11日に低気圧によって線路の冠水や路盤流出などが発生した影響で、運休したまま営業最終日の3月13日を迎えた。最終日に列車はやってこなかったが、鉄道ファンや地元住民ら数人が駅に集まってささやかなイベントが行われたそうである。こうして南弟子屈駅は90年7カ月に及ぶ歴史に幕を閉じた。

駅舎と摩周観光文化センター
駅舎と摩周観光文化センター

廃止後の5月13日、駅舎は撤去されて前述のように摩周観光文化センターに移設された。センター裏手のテニスコート脇に置かれた駅舎は資料館として活用されており、平日は弟子屈町教育委員会社会教育課、休日は摩周観光文化センターに連絡すると見学することができる。ただし、駅舎の鍵は約3キロ離れた役場にあるとのことなので、見学の際は時間に余裕を持っておいた方がいいだろう。

鉄道ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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