かつてのドライブイン銀座とさすらいの牛舎 根室本線 直別信号場【前編】(北海道釧路市音別町)
十勝最東端の十勝郡浦幌町と釧路市の飛び地・音別町。その二つの町に跨って存在するのが「直別(ちょくべつ)」という集落だ。この地には平成31(2019)年3月16日まで根室本線の直別駅が存在していた。現在は信号場となっていて、駅舎は閉鎖されながらも残っている。
駅舎の前には駅の歴史を伝える説明板が設置されている。駅が開業したのは明治40(1907)年10月25日。当時、根室本線は釧路線という線名だった。昭和46(1971)年10月2日に無人化、木造駅舎はその後も縮小の上で使用されていたが、平成15(2003)年9月26日の十勝沖地震で倒壊して建て替えられた。今も残るログハウス風の駅舎は地震後に再建されたもので、駅として使われたのはわずか15年ほどであった。信号場化後、ホームと跨線橋は撤去されている。
駅の廃止後、駅前には「さすらいの牛舎」と名付けられた休憩所が設置されている。駅の廃止によって休憩する場所が無くなったツーリングなどの旅人のため、駅裏にある榊原牧場の方が設置されたそうだ。外観は榊原牧場に残るサイロをイメージしているとのことである。
手作り感の溢れる内部は手前が野菜の無人販売所、奥が休憩室となっている。産地だけあって野菜はお手頃価格。お土産に買って帰るのもいいだろう。廃止まで駅に置かれていた駅ノートは休憩室に移されて、ここを訪れた旅人の思いを受け止め続けている。
駅跡から西へ約700m、国道38号線と道道1038号直別共栄線はかつて「ドライブイン銀座」とでも言うべき場所だった。道東の大動脈と海岸沿いを走る道路とが交わる交通の要衝で、昭和45(1970)年6月オープンの「ドライブイン北海」に始まり、「ドライブインおおぞら」「ドライブイン美樹」「ドライブイン旭」「ドライブインキャラバン」と5軒のドライブインが次々に建ち並んだ。高速道路もなく、国道38号線の交通量が今よりはるかに多かった時代、直別は「ドライブインの街」として大いに賑わったそうだ。
しかし、そんな時代も長くは続かなかった。時代の変化と後継者不在により、平成に入ってからドライブインは次々に廃業。「ドライブインおおぞら」を引き継いで昭和61(1986)年にオープンした「ミッキーハウス」だけが最後まで残っていた。食堂だけでなくライダーハウスもやっていたが、駅の廃止からほどなく廃業してしまったようである。駅廃止直前の平成31(2019)年3月1日に放送された「所さんのそこんトコロ」で直別駅が取り上げられた際には、ミッキーハウスに10年も連泊しているという男性が直別駅の日常利用者として紹介された。他のドライブインが廃墟化したり解体される中、ミッキーハウスは今も住居として現役だが、あの連泊していた男性はどこに行ったのだろう。ミッキーハウスや直別のドライブインについては橋本倫史氏の『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)という本に取り上げられているので、興味を持った方はそちらをご一読いただきたい。
後編では直別駅の現役時代の姿を紹介する。
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