ドキュメンタリー

「最期の様子を聞けただけでも…」――震災から10年。家と祖母、父を失った親友に聞く【#あれから私は】

佐々木航弥

ドキュメンタリー映画監督・ディレクター

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「本当にショックなものを見ると笑うしかないんだと思った」。2011年3月11日、筆者の地元・岩手県宮古市は津波に襲われた。高校の卒業式の数日後、大学進学の目前だった。そして、隣町に暮らす親友は自宅と祖母と父親を失った。あれから10年、28歳になった親友はどんな思いでいるのか。ドキュメンタリー監督になった筆者が彼の現在地を追った。

●流されていく家を見て「笑うしかなかった」

強い揺れが起きたのは、午後3時半頃。その後すぐに津波がやってきて、多くの物や人をさらっていった。筆者は自宅の裏山でそれを呆然と眺めていた。昔から言い伝えられていたとおり、津波は黒かった。海中のヘドロや陸の建物などを巻き込むためだ。瞬く間に宮古市は黒い海に覆われた。

筆者が宮古高校に通っていた頃、ラグビー部で多くの時間を共に過ごした親友・清水学(28)は、自宅と祖母と父親を失った。彼は震災当時、宮古市の友人の家で遊んでいた。海の近くの家だったため、清水たちは瞬時に判断し、高台へ避難。そこで、つい先ほどまで遊んでいた友人宅が流されていくのを見た。清水はこう振り返る。

「味わったことがない感情だった。笑うしかなかった。人間、こういう本当にショックなものを見ると笑うしかないんだと思った。横で、津波に家を流された友人も笑っていた」

自分の家も海の近くだから、確実に流されているだろう。そう覚悟を決め、家族の無事を願うばかりだったという。清水の父親は漁業を営んでいた。漁師は津波が来る前に自分の船を安全な沖まで運ぶ風習がある。沖合いは津波の影響が少なく、船を守ることができるためだ。もしかしたら、父親は流されてしまったかもしれない。そう思った。

清水が自宅のある山田町田の浜に帰ることができたのは、震災から5日後。海からほど近い自宅はもちろん、ある一定の高さまでの家は全て流されていた。そこで、偶然出会った父親の仕事仲間に、祖母と父親についてこう聞かされた。

「よーぼーさん(清水の父親の愛称)が、漁場でいつ船を出そうかと海を眺めている時に津波に流されていくのを見た。ばあちゃんは家にいて、逃げ遅れて津波の水を飲んで、宮古病院に緊急搬送されたらしいが助からなかった」

その後、清水は一時的に宮古市の親戚の家に。筆者はそれを聞き、すぐに清水のもとに自転車を走らせた。庭で親戚の飼い犬を愛でていた清水の絶望した顔が忘れられない。家も家族も無事だった筆者は、なんと声をかけたらいいのか分からなかった。「生きててよかった」とだけ伝え、かき集めてきた自分の服を清水に手渡した。

「ありがとう。みんなが服をくれるから、俺おしゃれになっちゃうよ」

そう言って、清水は申し訳なさそうに受け取った。

●震災後、仮設住宅で5年を過ごした母親

祖母と父親のことを聞いた時、どう思ったのか。10年後の今、清水に尋ねた。

「家に帰るまでに時間があって最悪の想定はしていたから、やっぱりかという感じだった。どこで流されたか、いまだに分からない人のほうがほとんどだから、最期の様子を聞けただけでもありがたい」

父親の遺体は現在も見つかっていない。震災当時、筆者は清水から「一緒に遺体を探すのを手伝ってほしい」と言われ、各地の臨時の遺体安置所を巡った。当時は体育館などの広いスペースが臨時の遺体安置所になっていた。山ほどある亡くなった方々の名簿のどこにも、清水の父親の名前はなかった。

清水は高校卒業後に函館の大学に進学し、現在は青森市で車検のフロントマンとして働いている。車検の予約管理や営業が主な仕事だ。彼は若くして、東北の中でもトップクラスの成績を誇る店舗の次長を任されている。

「もう家族は母さんと妹しかいない。妹も県外にいて、この前、結婚したばかり。自分は地元を離れて働く決断をしたからには稼がないといけない」

地元に母親を一人残している。最終的には自分が面倒を見ていきたいと語る。

現在、清水の実家は山田町内の田の浜よりも高台の場所にある。元々の土地を売ったお金と助成金で建てた。清水の母親はこの家へ越すまでに、仮設住宅に5年住んだ。近所で家を失った人の中には、盛岡などに移住した人もいるという。それでも、清水の母は山田に残る決断をした。

田の浜では10年が経った今も防波堤の建設が終わっていない。船の数もだいぶ減ってしまったという。
清水の自宅があった周辺は、今は原っぱのような更地になっている。「今後、何が建つのかも分からないし、何も建たないのかもしれない」と清水は言う。この場所を見て、今どのように思うのか。

「みんながみんなそう思っているわけではないと思うけど、個人的には……ちょっと前までは家の土台とかが残っていて、それを見るとセンチメンタルになったりはした。けど、正直、今は何も思わない。だって、ただの草っぱらじゃん」

清水はそう言って笑う。

今でも母親とは、父親や祖母の昔話に花が咲くという。小さい頃に祖母の包丁の研ぎ石を割って怒られたこと、父親が酔っ払うと唐突にリンゴを素手で割りだすこと…。話は尽きない。

「いつか、自分に子どもができたら、お前のじいちゃんは漁師だったんだぞ。酒に酔うとこんなことをしてたんだぞ、と教えてあげたい」

清水は楽しそうに語る。東日本大震災という未曾有の大災害を風化させてはならない。しかし、かつての生活に戻ることもできない。思い出を胸に秘め、清水は着実に前に進んでいた。

クレジット

撮影・編集・監督
佐々木 航弥

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