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HSCだった私が幼少期に親からしてもらって感謝していること

しゃーごん

保育士/チャイルドカウンセラー

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こんにちは!しゃーごんです。

現在、保育士として地域の公民館や療育教室で親子遊び講座をしたり、地域の保健師さんと一緒に子育て講座にまわったりするような働き方をしながら、子育てに関する情報発信をしています。

今回は、HSC(Highly Sensitive Child)だった私の幼少期のお話です。

▼とにかく心配性だった幼少期

私は現在、自分自身がHSP(Highly Sensitive Person)の気質を持つ人だということを自覚しています。

それを自覚することになったきっかけは、保育士をしていて「HSC」という子がいることを知り、特徴を学ぶうちに「もしかすると自分の幼少期もそうだったのかもしれない」と思ったことでした。

HSCの子どもは、ひといちばい繊細で敏感であるという気質がゆえに、心配性や完璧主義などが特徴として現れることがあります。

私の場合も、幼少期はあらゆることが気になる心配性な性格で、そしてなんでも完璧にやろうとすることが多い子どもでした。

HSPという概念の提唱者であるアメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士は、HSPやHSCには「共通する4つの特徴」があるといっています。

【D】深く処理する
Depth of processing

【O】過剰に刺激を受けやすい
being easily Overstimulated

【E】感情の反応が強く、特に共感力が高い
being both Emotionally reactive generally and having high Empathy in particular

【S】ささいな刺激を察知する
being aware of Subtle Stimuli

HSPならこの4つの特徴を必ず持っていて、「1つでも当てはまらなければHSPではない」と言われるほど重要なポイントです。

これらの特徴が複雑に絡み合うことによって、HSPやHSCの人はひといちばい生きづらさを抱えやすくなる場合があります。

私の幼少期の場合もこの特徴がよく当てはまっていて、そんなことまで心配してるの?と思うようなことをよく考えていました。

ここで小学4年生(10歳の頃)の学年文集に載っていた、当時の私が書いたものを紹介します。

このように「人間じゃなかったらどうなるんだろう」「なぜ生きているんだろう」のようなことを、常々考えていました。

そのため、周りにはなぜそんなことを思うのか理解できない同級生のほうが多かったと思いますし、深く考えすぎて心の中には不安や心配が沸きやすい状態でした。

▼家庭が安心できる場所だったことが救いだった

HSCだった私は、学校などの集団生活でも些細な変化に敏感で、先生や同級生などの周りが自分に求めていることを言葉だけでなく態度や表情などからも敏感に察知していました。

そのため学校では先生の求めていることをきちんとこなす優等生タイプである一方で、友達からの陰口や不穏な空気に傷つきやすく、特に小学3年〜6年は友人関係ですごく悩まされました。

あからさまないじめがあったわけではなく、仲の良い友達もいて楽しいこともありましたし、運動会などの行事はとても楽しかったです。

ただ日頃「こんなことまで考えるの?」と思うようなことまで掘り下げて考えていたので、小学4年生の頃には女子特有の友人関係のもつれから「もう生きていけない」とまで言ったことがあったそうです。

そのため家庭が安心できる場所であったことは、学校が気を張らないといけない場所であった私にとってありがたいことでした。

▼私の両親は私にどう接していたか

両親の私への接し方や、家庭内での過ごし方には、大人になった今感謝していることが多々あります。

ここでは特に印象に残っていることを3つ紹介します。

私の不安や心配を受け止めてくれた

私が家庭でよく悩みや不安についての話をしていたのは母でした。

父とも日頃から何気ない会話はしていましたが、父にも母にも悩みを話すというよりは、母には直接話して、父には後日母から共有されているという感じでした。

私が母に話すだけで平穏な気持ちを取り戻せていたのは、やはり母が「そうなんだね。キツかったね。がんばったね。」としっかり話を聞いてくれて、「お母さんはいつでも味方だよ」と絶対的な安心をくれていたからだと思います。

不機嫌な態度でいることが少なかった

父は朝から夜まで外に勤めていて、母は私が学校の間は外で働いていたので、家で一緒に多くの時間を過ごすのは母でした。

母は日頃からあまりイライラを出さないようにしてくれていて、不機嫌な態度になることが少なかったです。

私は人の不機嫌や嫌な態度を敏感に感じとってしまうので、不機嫌な態度が多い方と過ごすのはいまだにとても苦痛です。

もし母が家であからさまにイライラしていたり、不機嫌な態度で何か主張してくるようなことが多ければ、私は「自分が何かしたんじゃないか」と家でも落ち着かず安心して過ごせなかっただろうと思います。

両親が子どもの前で喧嘩をしなかった

両親は激しい言い合いをしたり、あからさまに「今喧嘩している」という雰囲気を出したりなどの行動を、子どもの前ではほとんど見せないようにしてくれていました。

これは後々聞いたら両親の努力でそうなっていたことを知りました。

子どもの前で喧嘩をするかどうか、については家庭によって色々な考えがあるかもしれませんが、私は両親がこのような方針でいてくれたことに本当に感謝しています。

そして私もいま夫婦となり家庭を持っているので、見習って平和な家庭を築いていきたいと思っています。

親が親の人生を楽しんでいた

これはHSCの親に限ったことではないかもしれませんが、親が子どもに自分の人生を捧げすぎず、子どもに依存しないで自分の人生を楽しんでいることも私が精神的に自立できた大きなポイントでした。

私は小学生の頃はとても傷つきやすかったし打たれ弱くてよく心配していましたが、中学高校大学と年齢を重ねるにつれてどんどん精神的に強くなっていきました。

それは親が絶対的味方でいながらも、自分の人生を楽しんでいて、そこに私たち子どもを巻き込むようにして人生の楽しさや人と関わって生きていくことの大切さを教えてくれたからだと思います。

そして私には「自分の人生を生きてほしい」と、あまり私自身の人生の選択を親の意向で強制したり、過度な期待をかけられなかったことにも感謝しています。

▼全て完璧にできなくても努力することが大事

そうは言っても両親も人間なので、そうじゃない時もあったと思います。

忙しいときは話を十分に聞けなかったり、ついイライラしてしまったり、ちょっとした言い合いになったりということは、両親にもあったことでしょう。

しかし、子どもである私の印象に強く残っているのは「多くの場合どうであったか」ということの積み重ねであり、それが親への信頼を築いていったのだと思います。

親が子どもに対して「本当はこうしたい」と頭では思っていても、つい感情が昂って怒ってしまったり、夫婦喧嘩をしてしまうことって、少なくないですよね。

私もいま親となり、日頃から心掛けているつもりでも、感情のコントロールがうまくできなくて怒ったり夫婦喧嘩をして反省することがあります。

だから親も子どもの育ちを見守りながら親として一緒に成長し、少しずつ自分の親としての理想の姿に近づいていきたいと思っています。

例えば「怒らない、不機嫌にならない」ことを目標にしているなら、怒る回数を徐々に減らしていけるよう努力を諦めないことが大事なんだと、私は両親の姿から学びました。

そうすれば、毎日怒っていたのが2〜3日に1回、1週間に1回、1ヶ月に1回、のようにだんだんと減っていって、努力でしていたはずのことが自然にできる日がくるのだと思います。

私も親として子どもと良い関係を築いていけるよう日々を積み重ねていきたいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう!

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