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「精神的には野宿の方が楽」――大阪・西成の“最後の砦”、生活保護の先どう支える

重江良樹映画監督

日雇い労働者の街として知られる大阪市西成区釜ヶ崎地区。ここで1999年から活動するNPO法人「釜ヶ崎支援機構」の小林大悟さん(35)は、2019年度から西成区の委託事業として始まった「サービスハブ(SH)事業」に携わっている。この事業では、より深い支援が必要とされる区内の生活保護受給者を対象に、貧困集積地である釜ヶ崎で活動してきた支援団体が互いに連携して従来より一歩踏み込んだ生活・就労支援を行っている。西成区で生まれ、ホームレスや子どもの支援団体で働いた経験もある小林さんは、「生活保護受給までの支援は数多いが、受給後のさまざまな課題に対する支援、特に若中年層に対する支援が弱い」と常々感じていたという。全国でも類を見ないサービスハブの活動とは。

■生活保護後の「再チャレンジ」めざし
大阪市西成区のJR新今宮駅南側、約1平方キロメートルに満たない一帯は古くから「釜ヶ崎」(あいりん地区)と呼ばれ、「日雇い労働者の街」として日本経済を縁の下から支えてきた。労働者たちは景気の動向や自身のけがなどによる失業で野宿を余儀なくされることも多かったが、そうした状況を何とかしようと支援活動を続けてきた団体も多く、「福祉の街」としての側面も持つ。近年は日雇い労働者の高齢化が進み、「さまざまな支援の輪がある」といううわさを聞いてやってくる人たちも増え、「生活保護の街」とも言われるようになっている。大阪市全体の生活保護受給率が1.64%なのに対して、西成区での受給率は23%に上る。

SH事業は、大阪市が2013年度に始めた「西成特区構想」に端を発する。「再チャレンジできるまち」を掲げ、地域特有の労働市場や福祉資源などを活用し、日常生活における支援や就労先へのつなぎなど、個々人に応じたマッチングを行う。また、孤立防止を目的に、SH利用者や生活困窮者などが立ち寄れる居場所の提供もしている。利用者は区内在住の15歳から64歳までの生活保護受給者で、「段階を踏んだ、より丁寧な支援が必要」とケースワーカーが判断し、本人が同意すれば利用できるようになる。困難事例でも解決を図ることができる支援員を配置、小林さんはS H主任相談員として働いている。

■支援団体の連携で複合的なサポートを提供
生活保護はリーマンショック後の2009年、支援者の活動や厚生労働省の通達などにより、生活保護適用に制度運用がより柔軟になった。コロナ禍の2021年の申請件数は前年を5.1%上回り、およそ23万5000件となっている。それにより野宿生活を余儀なくされていた人々も畳の上で寝起きできるようになったが、高齢層では生活にリズムがなくなったり、親しんできたコミュニティーを失ったりして、孤立をより深める人も少なくない。若中年層は自身で職業安定所などに出向いて求職活動をしなければいけないが、精神疾患や障がいを持っているとそのハードルは高く、本人が病や障がいに気づいていない事も多い。

こうした事例に対応するため、SHでは居場所を提供しつつ複合的な支援を行っている。賃金が日払いから月払いへと変ったこと、また、ギャンブルやアルコール依存などの人も一定数いることから、家計管理のサポートや、本人が希望すれば現金を預かって管理する。就労できる人たちにはケースワーカーからも就労指導が入るが、日雇い労働を続けてきた人や野宿生活が長かった人は、本人確認書類を持っていないことも多い。このため書類の再取得や携帯電話の契約、銀行口座の開設、履歴書作成のサポートなど、就労に向けての準備も手伝う。また、役所や病院、仕事探しなどへの同行や障がい者手帳の取得、引きこもりがちな人への家庭訪問、人付き合いに慣れるためのボランティア先や短い時間から働いてみる中間的就労(社会的就労)先の紹介など、地域の関係機関を総動員した幅広い支援活動を行っている。これまで約200人が利用し、3ヵ月(延長となることも多い)の利用期間をへて約半数が就労や療養など、本人に合った着地点につながっている。

■利用者が抱える課題とは   
今回撮影に応じてくれた利用者のAさん(30代)は母親がギャンブル・アルコール依存やうつ病などを患い、幼いころから賭け事や酒が身近にある環境で育った。高校卒業後、建設業の職人となるがギャンブルがやめられず、いったんはギャンブルと距離を置いてもしばらくするともとに戻ってしまい、自己嫌悪に陥っていた。給料の大半をギャンブルにつぎ込み、借金を繰り返した後、家賃が支払えなくなり野宿生活へ。「働けるのにこの年で保護もらってとか考えるので、精神的には野宿の時の方が楽でした。じぶんよりもっと困ってる人もいるだろうし」とAさんは言う。その後、自立支援施設を利用して仕事に就くも、再びギャンブルにはまる。それまで貯めたお金を使い切り、支援者への罪悪感から自暴自棄になり、再び野宿生活となった。その後、求職のため来阪。小林さんたちが有志と開いていた生活相談会を訪れ、現在にいたっている。SH利用者の中にはAさんのように不安定な家庭環境で育ち、本来は幼児期や学齢期での適切な支援が必要だった人も多い。

Bさん(20代)も幼いころから家族との折り合いが悪く、失職した際に頼ることができなかったという。大阪で働こうと来阪したが仕事は見つからず、ネットカフェで生活をしているうちに所持金が底をつき、野宿生活に。そこで夜回りをしていた釜ヶ崎の支援団体に声をかけられ、生活保護へとつながった。

小林さんは、なぜこの仕事を選んだのか。

「自分自身、子どものころ近しい人がうつ病になり、つらい思いをした。自分もうつ病になって周囲に不義理をしたり、支えられたりもしてきた。幼少期に背負わされた傷や呪縛に捕らわれず、自分の人生を生きていってほしい」

小林さんは大学卒業後、一般企業へ就職。その後、親族の猛反対を押し切って困窮者支援の現場へと入った。学生時代の釜ヶ崎でのボランティア経験から「釜ヶ崎から貧困問題を解消したい」と考えていたからだ。いま考えているのは、支援する側も社会に対しただ「支えてください」と言うだけではいけないということだ。困窮者支援をしている自分たちの活動が維持できなくなって困るのは、目の前の利用者だ。現場での活動はもちろん、資金繰りや広報などに対してもシビアな対応が必要だ。自身も10代~30代のスタッフと働きつつ、SNSを使った生活相談や広報活動にも着手し、その活動費は民間団体などへの助成金申請により賄っている。

■「揺れたなら、また来てくれればいい」
2021年度の釜ヶ崎内での日雇い求人数は、労働者の減少もありコロナ前の2019年度と比べると約3割減った。不安定就労ではあるが、セーフティーネットとしても機能している日雇い求人数の減少は、潜在的な困窮者層にダメージを与えかねない。

生活保護を受けているとひと口に言っても、高齢や病気などにより働けない人もいれば、なんとか働きたいという意思を持つ人もいる。今回撮影に応じてくれた2人には働く意思があり、さまざまな困難を抱えながら生活保護のその先の人生を考えていた。

Aさんは過度なギャンブルがやめられていないが、日払いの仕事に就き、しばらくその仕事を続けようとしている。Bさんは心身ともに不安定ではあるが、大学時代に学んだパソコン関係の求職者訓練合格を目指している。SH利用を卒業しても、新しい環境で全てがうまくいく人ばかりかというと、決してそうではない。仕事を続け、ギャンブルやアルコールを断ち、生活保護が不要になっても、だれにも一様に「揺れ」がくるという。それは、幼少期から現在にいたるまでの自身の体験への「揺り戻し」のようなもので、耐えられる人もいるが、耐えきれなくなる人も多いと小林さんは話す。

ただ、それでもいいのだというのが、小林さんの考えだ。

「そうした人はまたSHに来てくれたらいいし、繰り返す揺れやそこからの行動を含め、全ては自身の変化の証だ」

自分を過度に責めることなく、安心安全な場で信頼できる人を頼りつつ、これからの自分の人生を模索していける場。それがSHだ。

映画監督

大阪府出身。大阪市西成区釜ヶ崎を拠点に、子ども若者・非正規労働・福祉などを中心に幅広く取材活動中。代表作はドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』。映像制作・企画「ガーラフィルム」代表。

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