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富岡町の震災体験を語り、映像で残す 7人の語り人奮闘記

島田隆一映像制作

2011年3月11日14時46分に岩手・宮城・福島三県を襲った震度6~7の地震と津波は、多くの人の命を奪い、住み慣れた土地を壊滅状態にした。中でも、福島はその後に続く原子力発電所の事故のために、立地地域であった双葉郡8町村が全町村避難の指示を受け、10万人以上の人が避難生活を余儀なくされることとなった。
双葉郡富岡町は福島第一原子力発電所から南へ約10kmに位置し、町内には福島第二原子力発電所が立地している。住民の多くは福島県郡山市やいわき市に避難をし、5ヶ月間の避難所暮らしの後、仮設住宅・借り上げ住宅(アパートや借家)での暮らしが6年間続き、2017年4月1日から富岡町は一部を除いて避難指示が解除された。しかし現在でも、郡山市に2500人、いわき市に5000人の富岡住民が生活をしている。

『富岡町3.11を語る会』は、2013年に社会福祉協議会の事業として発足された。きっかけは震災から1年が過ぎた頃、「震災の話を聞きたい」という人が増えてきたことだった。当初は、社会福祉協議会のスタッフが対応していたが応募人数が増えていくにつれ、町民に「語り人(べ)」をやって欲しいと呼びかけた。当初は「思い出したくない」「うまく話せない」と消極的だった町民も、徐々に参加するようになり、当時の避難の様子や仮設住宅での生活のことなどを語るようになっていった。
そして、2015年4月には町民自ら「NPO法人富岡町3.11を語る会」として独立をした。
富岡町の震災の実際と、現状を知ることは「福島」を知ることであり、「福島」を知ることは「日本」を考えることになる。「知る」こと「学ぶ」こと、共に「考える」人が増えていくことが復興を支える力になる、という想いからだった。現在、67歳から83歳までの約20名の「語り人(かたりべ)」の方たちが、富岡町と郡山市で活動している。

 2018年12月、郡山市で「語り人」活動を続けている7名の女性たちが、自らの活動を記録しようと映画作りを始めた。彼女たちもまた、原発事故直後に郡山市へと避難をした人たちである。しかし、参加したメンバーの状況も様々だ。松本千春さんは7名の中で唯一、富岡町の自宅が帰還困難区域に指定され、許可が無くては立ち入ることが出来ない。坂本孝子さんは郡山市に新居を構え、旦那さんと2人で暮らしている。遠藤久仁子さんは、一時は郡山に住むことを決め、富岡町の自宅を解体したが、その後、富岡町に住宅を再建した。現在は旦那さんが富岡町に住み、久仁子さんは郡山市で暮らしている。
 
 映画作りは、「語る会」の活動の様子を記録するだけでなく、メンバーのご主人へのインタビュー、語り人の多くが過ごした若宮前応急仮設住宅の撮影、そして『富岡町3.11を語る会』が発足されるきっかけとなった『おだがいさまセンター』(避難者の生活復興支援をする組織)への取材などが行われた。
 震災後、多くのメディアが被災地に入り様々な声を記録してきたが、被災者自らがカメラを持ち、この8年の月日の中で感じた願いや不安を記録することは非常に稀だろう。彼女たちが自らの活動を映像として記録する姿は、8年前の震災・原発事故の被害の大きさを再認識させられるとともに、被災者の新たな問題や生きる姿を提示してくれる。

2019年3月、彼女たちが作った映画が完成した。映画の最後には、今の彼女たちの想いがナレーションとして読み上げられることになった。
「帰りたくても帰れない、その想いを胸に、私たちは郡山に住むことになるでしょう。そしてこれからもそれぞれの体験を語り続けていきます。私たちの話を聞いた人たちが、また次の人に語り継いでいって欲しい、それが私たちの願いです」

クレジット

監督・編集 島田隆一
撮影 林 賢二
録音 國友勇吾
協力 千葉偉才也
   久保田彩乃
制作 JyaJya Films

映像制作

1981年東京都生まれ。ドキュメンタリー映画『1000年の山古志』(監督・橋本信 一/2010年公開)に助監督として参加。以降、フリーの映像制作者として、多くの企業用PR映像を手がける。2012年、ドキュメンタリー映画『ドコニモイケナイ』を監督。同作品で2012年度日本映画監督協会新人賞を受賞。2014年、ドキュメンタリー映画『いわきノート』に編集として携わる。また、ドキュメンタリー映画『桜の樹の下』(田中圭/2016)にプロデューサーとして参加。現在、福島県広野町を舞台としたドキュメンタリー映画を制作中。