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撃たない猟師 北海道の離島で巨大海獣を狩る 84歳の孤独な闘い 前編

下口谷充テレビディレクター/プロデューサー

北海道・礼文島に、80歳を越えたいまも達人と尊敬をあつめる現役トド猟師がいる。小さなボートを一人で操り獲物を見つけると、波で揺られるなか仁王立ちのままライフル銃の照準を合わせる。自分も獲物も波で揺れ動き、仕留めるのは至難の業だ。トドを必要以上に苦しませないように厳格なルールを自身に課し、猟を半世紀ものあいだ続けてきた俵静夫さん(84)。彼に同行しその狩りの秘密に迫った。

北の日本海沿岸にトドがやってくるのは、厳しい冬の間。魚の群れを追って青森まで南下する。大きいと体重は1トンにもなるトドは、仕掛けた網などの漁具を壊しかかった魚を奪うことから、地元漁師から「海のギャング」と敬遠されてきた。出没地域の被害額が年間12億円を超えるほど深刻で、水産庁に有害鳥獣に指定され、個体を減らし管理するための駆除が行われている。近海はかつて世界有数の豊かな漁場だったが、半世紀前頃から現在のようにトドと人間が食べ物を奪い合うようになった。原因として、海産資源の獲り過ぎで魚が激減したことがもたらす悪循環が指摘され、現状を打開する道は未だ見えていないという。

「トド撃ち」名人のいる礼文島では、北海道大学をはじめとする諸外国の発掘研究チームによる調査で、人間とトドとの歴史が分かってきた。実は、俵の家がある船泊湾では、三千年以上前からトドの狩猟が行われていた。銃を使っても簡単に仕留められない巨大海獣を、先人たちはどのように狩り、食べていたのだろうか。

その後の江戸時代、トド肉が珍味として幕府に献上されたとする資料が残っている。歴代将軍の口にも入ったのかもしれない。司馬遼太郎も海の動物を狩猟をしてきた人たちに想いをはせ、著書の『オホーツク街道』で「私どもの血のなかに、微量ながらも、北海の海獣狩人の血がまじっていることを知っただけで、豊かな思いを持った」と、身近に感じたことを語っている。

主人公の俵は、おそらくトド撃ちの技を最高レベルまで高めた人だ。もともとのスタイルは、舟を操る人とトドを撃つ人の役割が分かれ、二人以上で行われた。しかし俵は、最初こそ二人で猟を始めたものの、その後一人でライフル片手にボートを操縦し、海中を逃げるトドを追いかけるようになった。「水撃ち」と呼ばれる名人芸だ。

トドは、ひとたび潜ると一気に100メートル以上、時に300メートルも顔を上げることなく、海中を移動できるという。さらに、ボートが転覆してしまうので近づけないことを知って波の高くなる浅瀬に逃げ込んだり、エンジン音に耳をすませ、スクリューの動きを見て、仲間同士で合図しあいながら、その反対へと逃げたりするという。そんなトドを相手にするには、海の地形とトドの習性を知り尽くしていないと適わない。

俵の猟に同行してわかったのは、ある場所でトドを見つけたとしても、次に海面のどこに顔を出すか全く予知できないこと。彼も、前後左右に顔を向けて探している。そして、船の動きを察知しているトドを、ときにエンジンを切りながら、ときにゆっくりと進んでは近づき、3秒ほど大きく顔を出す瞬間を狙う。何より、耳と鼻の感覚を研ぎ澄まして探すことが大切だという。

冬の海上の体感温度はマイナス20度ほど。風でうねる波、揺れるボート、逃げるトド。しかもトドとボートは、波という不確定要素によって海面で前後左右に揺られる。この状況でライフルの照準を合わせるのが俵だ。「ボートは手足のごとく身体と一体化している」と誇るくらい体に染みこんだものだという。しかし、名人とはいえそんな簡単なものではない。口癖は「うまくないな…」。俵は、トドに完全に照準が合い、一発で仕留められる瞬間をひたすら待つ。文字通り「うまく、思い通りに行かない」ことが、この猟の難しさを物語る。

半世紀以上つづけてきたトド猟で、俵が身に課すルールとは何なのか。

猟に同行すると、まったく撃たない日がある。当初、なぜ彼は引き金を引かないのかわからなかった。トドまでは多少遠いが、水面には大きな体が見えており、撃てば当たりそうだ。俵は言った、「駆除だからって、むやみやたらに背中でも腹でもバンバン撃たない」。そこには、トドを苦しめることなく、1発で仕留めることへのこだわりがあった。

まさに秘技と感じたのは、俵はトドの呼吸を観察しながら、ずっとある一瞬を狙っていること。しばらく潜って遠くまで逃げようとするトドは、水面に顔を出すときに数度に一回大きく息を吸い込む瞬間がある。その一瞬を待つのだ。息を大きく吸ったトドを仕留めれば、その巨体は沈まずに海面にぷかりと浮かぶ。そうすれば回収は容易で、せっかく奪った命を無駄にすることはない。

さらに俵は「1日3発まで」という。その理由は、やたらとトドを撃って傷つけ苦しめないことに加え、重さ4キロのライフルを構えたままじっと待ちつづけることで体力を消耗してしまうからだ。実際3発撃ったときは、本当に身も心も疲れ切っているという。

2015年に『情熱大陸』の取材でお会いしてから、放送後も俵さんのことが頭から離れず、一人暮らしのお宅に通わせてもらった。ボートに乗せてもらいながら少しずつお話を聞いてきた。トド猟に関しては、賛否様々な意見がある。ただ、トドと対等に真剣に向き合う彼の姿を目の前にすると、何かを感じ考えずにはいられない。

後編「命の終わり」はこちらから
https://creators.yahoo.co.jp/shimoguchiyamitsuru/0200058485

テレビディレクター/プロデューサー

1977年石川県生まれ。上智大学フランス語学科卒。演劇活動を経てテレビマンユニオン参加。ドキュメンタリーを幅広く手がけています。ヒューマン(芸能、音楽家、文化、アスリートなど)から、科学、アート、社会問題までを題材しています。代表作に『北の老人と海 トド猟師俵静夫』(MBS『情熱大陸』派生特番)、『ETV特集 日韓 記憶のシナリオ』(NHK)など。

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