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地元出身・元財務官僚トップが執筆!異色の駅ノートがある北の無人駅

宙船乗り物大好きライター・そらふね

「駅ノート」とは、多くは無人駅にある地元民や旅行者が駅への思いを書く有志が設置したノートのことでしょう。しかし北海道幌延町の宗谷本線・雄信内(おのっぷない)駅にある2023年春から置かれた駅ノートは、一般的な駅ノートとは異なるほか、執筆者に多くの国民が驚いてしまう経歴の持主。

驚きの駅ノートは鉄道ファンだけでなく、雄信内の歴史に関心がある人、更に日本の政治に関心ある人にもおすすめします。長年使われている木造駅舎で有名なJR宗谷本線・雄信内駅へ行き、面白い駅ノートを読んでみませんか。

(訪問:2023年8月中旬)

駅ノートの筆者は元財務官僚トップ・雄信内出身の津田廣喜氏!

津田廣喜氏の略歴

駅ノート本文の最後には、

元住人 津田 廣喜
元・早稲田大学大学院教授

とあります。

雄信内駅前に以前住んでいた元大学教授。これでも驚くのですが、より重要な津田氏の略歴は下記の通り。

1948年 北海道幌延町生まれ
1967年 北海道天塩高校卒業
1972年 東京大学法学部卒業
1972年 大蔵省(現・財務省)入省
2007年 財務事務次官(財務省官僚のトップ)就任
2008年 財務事務次官退任
2008年~13年 早稲田大学大学院公共経営研究科教授

日本の元エリート官僚、しかも財務官僚のトップを歴任された凄い方です。駅ノートに津田氏の自己紹介として下記の文章があります。

私は戦後まもなく、駅の近くで生まれました。

(中略)

私は鉄道沿いにあった小学校に通いました。中学校は15キロほど北にある幌延へ、高校は当時まだあった羽幌線で天塩へ、それぞれ通学しました。

現在の北海道天塩高等学校
現在の北海道天塩高等学校

雄信内駅前の昔を紹介!

駅ノートのタイトルは

雄信内駅へようこそ。

津田氏は駅ノートの概要を冒頭部分にこう記述。

ここに立ち寄られた皆さんの参考に、生活する人々がいた頃の雄信内の姿を紹介してみようと思います。

子供の頃を雄信内駅前で過ごし、宗谷本線と共に生活した元エリート官僚が書いた文章です。元住人が昔の駅や駅前の歴史を詳細に書く駅ノートは全国でも少なく、しかも筆者が元エリート官僚という点では異色でしょう。

以後津田氏が書かれた駅ノートを「津田ノート」と記していきます。

2023年春から設置!「津田ノート」

「津田ノート」の存在を知らしめたのは、幌延町問寒別でゲストハウスを運営する阿部由裕氏。彼はX(ツイッター)で2023年3月頃に設置されたことを明かしています。

阿部氏が運営するゲストハウス(外部リンク)は雄信内駅から2駅旭川方面にある無人駅・問寒別駅近くにあり、問寒別は幌延町で幌延駅前に続き第2位の人口がある集落です。

ゲストハウス「ウタラといかん」
ゲストハウス「ウタラといかん」

では駅ノートや現在の雄信内駅・駅前はどうなっているのでしょうか?

津田ノートは一般駅ノートとセットでケース内に!

津田ノートがあるのは雄信内駅・駅舎の内部です。一般的な駅ノートと一緒にケースに入っていました。

雄信内駅 駅ノートケース
雄信内駅 駅ノートケース

ノートケースから出して並べてみました。津田ノートにはクリアファイルに文章が書かれた紙などが入っています。

左3冊が一般的な駅ノート、右端が津田ノート
左3冊が一般的な駅ノート、右端が津田ノート

A4用紙4ページに雄信内駅や周辺、津田氏の自己紹介、更に写真が3点と解説、氏が手書きで解説した地図が2枚ありました。

雄信内駅舎内に入って駅ノートケースを探し、大切に開けて読みましょう。なお津田ノートに感想を書く欄はありませんのでご注意を。

雄信内駅前の今

津田氏旧宅跡は自然に還った

先ほど紹介した津田ノートにある氏の略歴箇所の引用で、(中略)の箇所には津田氏宅について書かれていました。

家があった場所は駅からまっすぐの道を突き当りまで行き、そこを右折して30~40メートル近く進んだ左側です。道路から20メートルくらい離れた少し低い場所でした。家の跡は残っていませんし、今は草が背丈以上に生い繁っていますので、皆さんが歩いても場所は全く分からないでしょう。

家の跡がない?実際に駅舎から歩いてみました。

2023年8月現在の雄信内駅駅舎
2023年8月現在の雄信内駅駅舎

駅舎からまっすぐの道を突き当りまで。道の周りは草木がいっぱい。

雄信内駅舎から突き当りまでの風景
雄信内駅舎から突き当りまでの風景

突き当りを右に曲がります。道路は舗装されていますが、周りは草木ばかり。

突き当りを右に曲がった道の途中風景
突き当りを右に曲がった道の途中風景

道を進んで右側に廃屋・旧竹内商店の跡が現れます。列車で来て列車待ちの間、天候が良ければ歩いてみましょう。車で来た場合は周囲に注意。

旧竹内商店跡
旧竹内商店跡

津田ノートの2ページ目には竹内商店についても記述されています。

私が子どもの頃の雄信内は駅の周辺に30~40戸が生活する集落でした(図を参照)。駅から現在の橋があるあたりまで、両側に家が点在していました。商店も5~6軒ありました。いま目にすることができる「竹内商店」はそのうちの一軒でした。

津田ノートの冒頭部分にあって先ほど触れた「生活する人々がいた頃の雄信内の姿」とはかけ離れた姿。雄信内駅前を初めて訪問した人には想像しにくいです。

津田ノートがより判る駅前・駅写真を紹介!

津田ノートの内容の一部を紹介してきましたが、実は残りの内容は雄信内駅を訪問したことがない人にはきっと判りにくい箇所が多いです。またここで津田ノートの全文を引用することは出来ません。そこで駅で津田ノートを読む、駅を訪問する時に役立つ場所の写真を、稚内側(北側)から掲載してみます。

1カ所目は先ほど触れた「現在の橋」と通じる道。

1.雄信内大橋と雄信内駅への道と案内看板
1.雄信内大橋と雄信内駅への道と案内看板

2カ所目は雄信内駅の稚内方面側にある踏切。

2.第2豊富遠別線踏切
2.第2豊富遠別線踏切

3カ所目は第2豊富遠別線踏切そばにある、津田氏が通った雄信内小学校跡。

3.雄信内小学校跡
3.雄信内小学校跡

4カ所目は駅からまっすぐの道を突き当りまで行き、そこを左折したばかりの場所。倉庫についての記述があります。

4.駅からまっすぐ突き当りまで進んですぐに左折
4.駅からまっすぐ突き当りまで進んですぐに左折

5カ所目は雄信内駅の旭川側にある神社踏切。踏切の先に神社があります。

5.神社踏切
5.神社踏切

残りは現在の雄信内駅のホームです。

6.稚内方面ホーム
6.稚内方面ホーム

ホームで撮影した写真があるので、ぜひ比較しましょう。

7.旭川方面ホーム
7.旭川方面ホーム

なお雄信内駅の他に隣駅の記述などもありますが、こちらは別記事での紹介を予定しております。

ここまでご覧くださり、ありがとうございました。

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乗り物大好きライター・そらふね

地元北海道を中心に日本を旅するフォトライターです。フェリー・飛行機・鉄道旅が得意分野。船会社で船員管理・港業務・営業を経験後、旅行サイトでライターとなる。船・地方空港・名所・ホテルを紹介する記事を多く掲載しました。乗り物移動をより楽しくがモットー。

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