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「未利用国産羊毛を原料にものづくりをしたい」20年以上放置されてきた国産ウール活用への挑戦

末松グニエ文写真家・映像作家

日本では2万頭近くの羊が飼われており、年に推定40トンの羊毛が刈り取られている。ただ、その多くはスーツやセーターといったウール製品に生まれ変わることはなく、利用されないまま放置されているのが実情だ。製品化しようにも、安くて品質のよい海外産の羊毛には太刀打ちできないからだ。そこを何とか変えたいと考え、奮闘する人たちがいる。観光牧場の羊飼い、羊毛を取引する「原毛屋」、そして毛織物メーカーの社長。純国産の毛織物復興をめざす3人の情熱とは。

・育てた羊の毛の使い道はなく ーある観光牧場の取り組みー

愛知県日進市の観光牧場「愛知牧場」飼育員、丸岡圭一さん(38)の仕事のひとつは、観光客の前で羊の毛を刈ることだ。「この毛から糸を作って、洋服を作るんだよ」と子どもたちに説明している。しかし、丸岡さんが刈り取った毛は、糸になることはなく、牧場の片隅で放置されていた。

ある時、この毛から本当に糸ができるのか、洋服がつくれるのか試してみようと思い立った。それにはまず、自分が育てている羊毛の品質がどの程度のものなのかを知らなければならない。人づてに「国産羊毛コンクール」という品評会があることを知り、出品してみた。

・コンクールでうまれたスピナーとのつながり

2011年から開催されている国産羊毛コンクールには、毎年20~30前後の牧場が出品する。繊度(繊維の太さ)や毛長、ゴミや黄ばみの有無などが審査され、6月に金、銀、銅の各賞が発表される。受賞した羊毛には、手で糸を紡ぐ全国各地の「スピナー」から購入希望のメールが殺到するという。

コンクールを始めたのは、京都市で40年近く「原毛屋」を営む本出ますみさん(64)だ。オーストラリアやニュージーランド、英国から洗っていない原毛を輸入し、趣味で手工芸を楽しむ人たちに材料として販売している。また、羊毛に関する話題を載せた雑誌「SPINNUTS」を年に2回発行している。「日本の羊の毛も肉も、無駄なく活かす」。コンクールを始めたのは、そうした畜産本来のあり方を実践したいとの思いからだ。

丸岡さんが出品した羊毛は、「栄養状態などは問題ない」と評価された。ただ、羊毛についたワラゴミの混入について指摘された。狭い観光牧場では、畜舎でのエサやりで頭からワラを被ってしまう。そこでまずはエサのやり方を工夫することにした。もう1点、あるスピナーからアドバイスをもらう。

オーストラリアやニュージーランドのスピナークラスの羊毛を供給する牧場の中には、一部の羊に服を着せて飼育しており、「カバードウール」と呼ばれている。現地で使われているカバーを取り寄せ、自分の羊に着せて1年間飼育してみた。すると、驚くほどきれいな羊毛が育っていた。スピナーに見せると、大変喜ばれた。そのひとり、愛知県尾張旭市の秋田じゅんこさん(49)は「この羊と出会うまで、私にとって羊毛は素材のひとつでしかなかった」と振り返る。丸岡さんも、「つながりには、人を変える力がある」 と実感した。

今では愛知牧場の約30頭の羊一頭一頭が、それぞれスピナーとつながっている。毎春、スピナーは自分とつながった羊の毛を丸々一頭分、安くはない金額で買い取ってくれる。それは、丸岡さんが理想としてずっと思い描いていた「人と羊の距離をぐっと縮める」ことそのものだった。

・衰退し続けた国内の繊維産業

1950年代後半、国内には約100万頭の羊がいた。戦後の食糧難や物不足を補うため、政府が各家庭に羊の飼育を推奨していたからだ。ところが安くて良質な羊毛の輸入が再開されると、羊は激減。1970年代後半には1万頭にまで減ってしまった。

国内の繊維工場も減り続けている。30年ほど前までは原料は輸入しても、糸から生地、製品の生産まで一貫して国内で行われていた。ところが2000年ごろから工場が中国や東南アジアに移り始めた。これに伴い、刈り取ったばかりの原毛を洗う設備が国内にはなくなってしまった。これが国産の羊毛のほとんどが放置される大きな要因となっている。

いま、国内で生産されている毛織物の原料のほとんどは海外産だ。中でも最高品質とされているのが、主にオーストラリアやニュージーランドで飼育されているメリノ種から取れた毛だ。細くて白いため、染色にも向いている。大規模牧場で千頭単位で飼育され、中国などで汚れを落としたりする処理の後、糸になり、日本に安定供給されている。

・尾州産地の7代目社長の思い

愛知県と岐阜県にまたがる木曽川ほとりの一帯は、「尾州(びしゅう)産地」として世界三大毛織物産地のひとつに数えられる。この地で1850(嘉永3)年に創業した国島株式会社は、紳士服地やコート生地などの高級毛織物を生産している。7代目社長の伊藤核太郎さん(51)も、「国産の羊毛でものづくりをしたい」と熱望する1人だ。

よりよい服地をつくりたいと考えていた伊藤さんは、「原料を海外に頼っていたのが歯がゆかった」という。「店頭に来る客は、単純にものが欲しいわけではなく、知的な刺激や感動が欲しいのだ」。そう感じていた伊藤さんは、国産の羊毛を使えば、個性が強く面白いものがつくれるのではないかと考えた。だが、国内の牧場主につてはない。そこで頼ったのが、原毛屋の本出さんだった。

「国産の羊毛で製品づくりをしたいです。どうか力を貸してください」。2018年、伊藤さんから初めてこんなメールを受け取った本出さんは、「またか」と思ったという。それまで何人も同じようなことを言ってくる人はいたが、腰をすえて国産羊毛の活用に取り組んだ人は一握りしかいなかったからだ。

壁となっていたのは、採算が合わないことだ。10頭未満しか飼っていない小規模牧場が多い日本では、羊毛を1カ所に集めるには膨大なコストがかかる。また、刈り取った原毛についた泥やワラゴミなどを除去する設備が国内にはなくなっていたことも、ハードルになっていた。


・伊藤さんの情熱が本出さんを動かす ー生産牧場との取り組みー

そんな本出さんも、2度、3度とメールを寄越したり、3度も京都まで訪ねてきたりする伊藤さんの熱意に感激し協力を決意した。2019年春、本出さんは伊藤さんを伴い、30年来の友人だった北海道の牧場主たちを訪ねた。そこで伊藤さんは、牧場主たちの人柄に惚れ込む。

「日本の羊は幸せです」と伊藤さんは語る。「海外だと、子育てをしない母羊や弱っている個体は殺してしまうこともあるという。でも国内だとそういう羊も愛情を込めて飼育し、群れへ戻そうとする」。だから、儲からないと言いながらも羊を飼うことをあきらめない牧場主たちに興味を抱いたのだという。そんな彼らの仕事の一助にもなれたらという思いと、国産の羊毛がほとんど使われずに放置されている現状を知り、衝撃を受けたことがきっかけで、「彼らが育てた羊毛で製品を作りたい」と思った。牧場主にもその情熱は伝わり、その年の初夏に400kgの羊毛を自社に送ってもらい、服地に仕立てた。

国島による国産羊毛の製品化の取り組みに賛同する企業や牧場は、徐々に増えている。2022年に国島に集められた羊毛は、5トンを超えた。北海道などの生産牧場26牧場から送られてきたものだ。羊と日本人の関係をよく知る本出さんは「今までは日本人は羊毛(羊肉)の消費者でしかなかった。それが変わりつつある」と手応えを語る。

海外から多くの燃料を使い運ばれてくる海外産の羊毛ではなく、目の前にある未利用だった国産羊毛を貴重な資源とし、魅力的な洋服に仕立てる。それができれば、地産地消となり、持続可能な社会づくりに見合った環境に配慮したものづくりになる。価格は高くとも一着を大事に着続けることが、長い目で見ればそうした社会へとつながるのではないか。日本の畜産業にも、いい循環が起きるはずだ。肉だけでなく毛も国内で消費できれば、羊の数も増え、膨大な輸送コストや燃料に頼らず、ものづくりを続けることができる。

・広がる国産羊毛への共感

2022年7月2日。本出さんら羊毛の専門家が国島に集まった。牧場ごとに、羊毛1kgあたりの価格を決めていくのだ。ここでも立ちはだかっていたのは、「メリノの壁」だった。価格は毛が途中で切れないかどうかや繊維の長さなどで決まるが、メリノを基準に考えると、国産羊毛がどうしても高く感じられてしまう。その壁を超えていくにはどうしたらいいのか。

伊藤さんは、「メリノとは全く違うものとして、お客様には紹介しています」と話す。「今は共感するものやことにお客さまの関心が向いている時代。使われていない国産羊毛でのものづくりに対し共感が得られたから、これだけ賛同する企業や牧場が増えているのだと思う」という。
そして「国産羊毛で服地を作ることはおもしろい。予想しない仕上がりになってくるが、それがまたおもしろい」と笑顔を見せた。

受賞歴

「波を織る人たち - The Weavers-」Portrait of Japan 2021 入賞

クレジット

監督 / 撮影 / 録音 / 編集 末松グニエ文
撮影協力 小森正孝
プロデューサー 井手麻里子

写真家・映像作家

愛知県一宮市出身。大阪芸術大学写真学科卒。2009年より地元の地場産業である繊維産業の工場の取材を続ける。職人の姿やものづくりの美しさをテーマに写真作品、映像作品を制作。左官職人をテーマにした作品も制作中。様々な分野で、ものづくりをしている人たちに注目していきたい。