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「忘れられない青」徳島の阿波藍の伝統を継承する職人が見た青の本質

Sybilla Patriziaドキュメンタリー映画監督兼写真家

徳島県上板町に工房「Watanabe’s」を構える藍師・染師、渡邉健太(38)さんは、この道12年の職人だ。阿波藍の伝統的な染色技法を受け継ぎ、藍染の染料である「すくも」をつくるため、その原料となる蓼藍(たであい)を自ら栽培している。日本ですくもを作る藍師の数は最盛期と比べ激減しており、その生産技術が失われつつある中では貴重な存在だ。そんな渡邉さんには「忘れられない青」がある。その色に近づくため、藍との向き合い方を考える中でひとつのきっかけとなったのが、同じ工房で働く加藤慎也さん(35)。藍師・染師としては珍しく色覚異常を持つ加藤さんは、自身の独特な感覚で色を捉えていた。多くの人の目に触れる以前に、どういう藍色であるべきか。渡邉さんの藍との向き合い方も徐々に変化していった。そんな彼が気付かされた藍染の本質とは。

【サラリーマンから藍職人へ:藍染めへの情熱】

刈り取り中の渡邉さん
刈り取り中の渡邉さん

高名なファッションブランドがスポットライトをあてたこともあり、藍染めの人気は世界的に復活しつつある。一方で、難題にも直面する。蓼藍を栽培する農家、すくもを作る藍師の数は減り続け、伝統的な阿波藍文化の存続を脅かしている。江戸時代から明治時代にかけて、徳島は日本最大のすくも産地として知られていた。1903年のピーク時には県内の平地の20%が蓼藍畑で覆われていたと言われている。しかし、数年後から化学染色が広まり、阿波藍で染められていた布は、人工的につくられた色に置き換えられていった。今日では徳島の蓼藍畑はピーク時の1%未満に減少し、ごくわずかの農家だけが手間のかかる蓼藍の栽培に取り組んでいる。藍染めを行う職人は増加しているものの、その源となる藍の栽培は時間と労力を要するため、農家が減少しているのが実情である。その現状を、渡邉さんはこう説明する。「染める人は年々増えている。でも、このー次産業の部分、蓼藍を栽培しすくもを作るっていう部分がなかなかに大変。すごく手間がかかるし、時間がかかるし」。

渡邉さんは山形県で生まれ育った後、2011年に東京で物流会社に就職した。ただ、魚の卸売市場で客と接する両親のもとで育った渡邉さんにとって、その背中はあまりにも魅力的だった。オフィスワークでは、人々や地域の文化とは直接的なつながりが少なかったからだ。そんなときに雑誌で読んだのが、藍染を取り上げた記事だった。藍染めにひかれた渡邉さんは、思い切って東京近郊の藍染工房を訪れることにした。工房に入った瞬間、発酵中の藍の独特な香りと、染液に素手を浸してみた感触、酸化して青が現れる姿に圧倒された。そこで芽生えた藍染への情熱をおさえることができず、数日後には辞表を提出。会社を辞めて徳島へ移住し、藍農家兼染め職人見習いとして新しい人生をスタートさせた。

2012年、衰退している阿波藍の伝統継承を目的とした上板町の地域おこし協力隊の募集が始まり、渡邉さんも手を挙げた。そのメンバーとともに「BUAISOU.」という藍染ブランドを設立すると、その製品は国際的な注目を集めた。当時、藍染業界は蓼藍の栽培とすくもを作る「藍師」と、すくもを使って染色を行う「染師」に分かれていた。渡邉さんはすくも農家が減っていることを知ると、自らすくもを作らなければならないと考えた。こうして、藍の栽培から染色までの全プロセスを専門とする工房が生まれた。2018年には新たに自身の工房「Watanabe's」を設立し、活動している。

【消えゆく国宝】

染めたばかりの糸
染めたばかりの糸

徳島の藍染めは単なる手工芸ではなく、文化的な象徴でもある。仕上げまでの一連の過程は歴史に深く根ざしているのだ。蓼藍を栽培し、その葉を発酵させて染料となるすくもをつくる。渡邉さんとその仲間たちのようなひと握りの職人だけが行う伝統的な手法は、自然との繊細な「舞」とも言える。忍耐と精密さを要し、種まきから藍染液に仕上がるまで約1年半を要する。

藍染めは、春の蓼藍の種まきから始まる。藍の農家たちは、台風や極端な暑さに見舞われる7月から8月にかけて葉を収穫する。収穫後はその日のうちに乾燥作業に取りかからなければならない。秋になり気温が下がると、乾燥した葉は寝床と呼ばれる土間へと運ばれ、水と空気を加えて発酵させられる。約120日の発酵期間を経てすくもが出来上がる。藍の新しい色は、前年に収穫された葉からできるすくもから生まれる。

阿波藍の藍師になるのは、簡単ではなかった。徳島県外からやって来た渡邉さんへの周囲の目は、当初は冷たかった。多くの人が栽培か染めのどちらかだけに携わる中、両方をこなせるかどうか疑問視されていたのだ。「ならば……」と自分の工房で栽培からすくも作り、染めまで一貫して行えないかと思ったが、一筋縄にはいかなかった。両立している工房はほぼ皆無で、どちらも中途半端になるだろうと周囲からの批判もあった。ただ、当時から十分なすくもの量を確保することが難しかったことに加え、藍師にも強い興味を持っていた渡邉さんは自身で蓼藍を栽培することが、将来にわたって持続的に藍に携わるための方法だと考えていた。

【色をこえて青を見る】

色というのはビジュアルだけでなく、感情や感性によって影響されるものだと信じている加藤さん
色というのはビジュアルだけでなく、感情や感性によって影響されるものだと信じている加藤さん

「数えきれないほど多いことを意味する四十八を用いた『藍四十八色』という言葉があります。白に近い『藍白』から、黒に近い『留紺』まで、実は藍色の色幅は非常に広い。色にはそれぞれ名前がつけられていますが、見たその瞬間の心情や情景が目に浮かぶような感覚になる名前もあります」と渡邉さんは説明する。

渡邉さんと共に働く加藤慎也さん。軽度の色覚異常を持つ彼の色に対する視点には、単なる視覚をこえ、色への独特なアプローチがある。「色っていうのは、ビジュアルが先に来るものじゃなくて、自分の頭の中で最終的に色付けをする。なので、その人の経験だったり、感性だったり、考え方を踏まえて、それが最終的にビジュアル化したものだと思います。」と加藤さんは話す。例えば、うつ病の人が言う「目の前の世界が色を失う」状態や、子供の頃の記憶の色が実際の色と異なって頭に残っていることがそれを示しているという。色に名前をつけてみても、私たち全員が同じようにその色を見ているかどうかは、誰にもわからないのだ。

渡邉さんは、加藤さんと初めて会った時に色覚異常のことを知り、「今まで考えたこともなかった」と気付かされた。以前、海外で藍染の活動をしていた際に、現地の映像作家から瞳の色の違い、またはその国の文化背景によって見ている色が人によって違うという話を聞いてはいたが、あくまで色として認識ができる前提だった。しかし同時に、彼が自身の感性で色を捉えることができるだろうと思い、それが非常に興味深いと感じた、自分の工房に招待した。

加藤さんは、印刷会社への就職を目指していた時に自身の色覚異常を知り、就職を断念。その後、農業に興味を持ち、藍染めにも取り組むようになった。「僕は小さい頃から色覚異常があったので、色っていうものが曖昧なものっていう感覚が自分の中にずっとあるんですね」。彼は、色を「創造」する日本の職人たちを知ると、すぐに魅了された。彼にとってはいつも曖昧だった色が、今や人生の新たな焦点となり、藍染めを通じて、その魅力と農業への愛を組み合わせることができるようになった。色を単なる視覚的な印象としてではなく、その伝統や工芸の歴史に対する深い洞察、他人への理解、そして地域への尊敬から生じる深みとして理解している。

渡邉さんは、加藤さんとの出会いが自身に深い印象を残したと語る。「人それぞれ見ている色は違う」ということは、そもそも「人の目に触れる前にどんな色としてあるべきなのか」ということを、とても良く考えるようになったという。「森羅万象から教授される色は、産まれた瞬間に紛れもなく純粋で尊く、最も美しい状態である。人の目に触れる以前に、そのありのままを届けなければいけない。そのためには自分自身がきれいな空洞でいなければならないということ。それがこの色の本質なのではないだろうか」と渡邉さんは語る。

【古代の祭りから現代技術へ:未来へ向けた藍の遺産】

渡邉さんの工房での藍染め
渡邉さんの工房での藍染め

徳島県の藍染工房は、地元の文化にも深いつながりがある。職人たちの作業スケジュールは、徳島市で阿波おどりが開催されるお盆の時期に合わせて計画される。これは、職人の技術と地域社会の文化的リズムとの深いつながりを示している。阿波おどりは、収穫に感謝をする活気に満ちた祭りであり、藍農家にとっては秋に藍葉の発酵にとりかかる前のつかの間の休息と英気を養う時間を象徴している。

現在、Watanabe’sでは新品種の蓼藍の栽培実験を行ったり、これまで選択肢として切り捨てていた視点を見直し、実験に取り組んでいる。このような柔軟な考え方と藍に向き合う姿勢は、藍染めの将来に向けて新たな道を開き、伝統的な藍産業の裾野を広げている。渡邉さんは、古来より続く藍産業における自らの役割について熟考したうえで、仕事への指針となる重要な教訓を受け入れている。「土を作っても、植物を育てても、すくもを作っても、液を建てても、染めをしても、僕が全部作ったのかって言われると、それは違うと思う」。彼は、自身を自然や文化、そして人間の集団的な営みを含むより大きくからみあった有機的な体系の一部であると考えている。自然の本質的な部分とつながり、地元の環境を尊重するやり方で働き、自然から得られる色に対して感謝する。渡邉さんにとってこれらは、美しさを理解する上で欠かせない要素である。

「僕がただ純粋に色を出す。夕暮れを見たら何かすごい、空がきれいだなとか。何かその自然のありのままのきれいさっていうことに、すごくひかれるんですよ。それを藍に置き換えたらどうなのかっていったら、もう自然で出来上がった時点で、これが一番いい色なんですよ」

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監督・プロデューサー: シビラ ・パトリチア (Sybilla Patrizia)

プロデューサー Yahoo! ニュース エキスパート: 細村舞衣

撮影監督: アンジェ・ルッズ

編集: 井手麻里子

アソシエイトプロデューサー: 筒井秀一

照明: 嶋田陽介

整音: 木村健太郎

カラリスト: ジェームス クレートン ダニエルス

カラーアシスタント: 貴志 アルブレヒト

【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】

ドキュメンタリー映画監督兼写真家

シビラ・パトリチア(Sybilla Patrizia)は東京を拠点とするエミー賞受賞の映画監督兼写真家である。日本社会における月経への偏見を描いたドキュメンタリー『生理というタブー』は、Tokyo Docsで優秀作品賞を受賞し、Ji.hlava国際ドキュメンタリー映画祭でプレミア上映された。2022年、VICEで放映されたドキュメンタリー『The Dark Side of Manga』を撮影した。シビラの作品は、BBC、VICE、NHK、AnOther Magazine、Financial Times, adidas などで特集され展示された。