年末年始に読みたい! ソロ温泉、ボロ宿、47都道府県の旅……「ひとり旅に出たくなる本」4選
年末年始はいかがお過ごしだろうか。帰省先や旅先で過ごすという人もいれば、家にこもってのんびりという人もいるだろう。ちなみに筆者は後者だ。
長期休暇をとれる人にとって、年末年始は絶好の読書の機会でもある。新年の旅行の予定を立てながら、旅にまつわる本を読んでみてはいかがだろうか。
今回は「ひとり旅に出たくなる本」を4冊紹介する。
①ひとり旅は楽し(池内紀:中公新書)
ひとり旅のバイブル的存在。「旅の名人はみな、独自のスタイルをもっている」というスタンスから、ひとり旅の楽しみや心得を説いたエッセイである。
私は「ソロ温泉」というコンセプトを通じて、「現代人こそ、ひとりで何もしないでゆっくりする『空白の時間』が必要だ」と提唱してきた。
しかし、それは簡単なことではない。ひとり旅に出たからといって、空白の時間が保証されるわけではないからだ。『ひとり旅は楽し』の中でも、同じような問題提起がされている。
本書は2004年の刊行だが、それから20年近く経った今は、その傾向はますます強くなっているのは間違いない。
「自分はどんな旅をしたいのか」を問い直したくなる一冊だ。
②日本ボロ宿紀行(上明戸聡:鉄人社)
崩れ落ちそうな宿、幽霊が出てきそうな宿、遊郭から転業した宿などなど……いわゆる「ボロ宿」を訪ね歩いた紀行書である。
もちろん「ボロ宿」という表現は、著者からすれば愛情のこもった褒め言葉である。
ボロさに風情や情緒を感じる気持ちは、私にも理解できる。
温泉宿にも「ボロ宿」が多いが、総じてそうした宿にはいい湯が湧いている。近代化した宿は浴室や湯船も立派になる一方で、湯そのものの存在感は相対的に下がる。だから、循環ろ過などによって湯本来の個性を失っていく。
その点、ボロ宿は施設にお金をかける余裕はなくても、「湧いている源泉に手を加えず湯船にかけ流す」という昔ながらの温泉の姿がそのまま残ることになる。「いい湯に出会いたければボロ宿へ」は温泉マニアの合言葉である。
ボロい宿、いや、昔からあり続ける歴史深い宿には、そこでしか体験できない価値が眠っている。それを見出すのは、同行者に気を遣わなくて済むひとり旅にしかできない、贅沢な旅なのだ。
③47都道府県 女ひとりで行ってみよう(益田ミリ:幻冬舎)
一般的な紀行文の類いを期待して読むと後悔するかもしれない。なぜなら、益田さんはそもそもひとり旅が好きではない。4県目の茨城県の回では、すでに「はっきりいって、もう飽きている・・・中止してもいい気がする」と率直にぼやいている。
本書の魅力は、一般的な紀行文のように「旅のすばらしさを伝えよう」「読者に何か学びになるような文章を書こう」という気負いがない点にある。
観光スポットの魅力を深堀りしたり、現地の人と交流したりといった紀行文のセオリーを放棄し、「とりあえず現地に行ってみただけ」というスタンスを貫いている。
その文章は、実に正直である。神奈川県の川崎大師を訪ねた回では、「川崎大師・・・知らない」と白状し、「想像していたよりもうんと立派で、浅草みたいな華やかさもあった」と1行だけ感想を漏らす。川崎大師の魅力を語ろうとはしない。
だからといって、けっして旅を楽しんでいないわけではない。川崎大師の参道にある蕎麦屋では、向かいの席に座ったおばあさんと孫娘のエピソードを綴っている。
おばあさんのためにメニューを端からゆっくりとひとつずつ読み上げてあげる孫娘と、それをうなずきながら聞いているおばあさんの姿を見て、涙がこみあげてきてしまう。普通の人なら見過ごしてしまう光景も、著者の細やかなセンスで拾い上げて、読者の心を揺さぶる。
本書は紀行文の魅力である旅情はあまり味わえないけれども、旅の愉しさを再認識しながら、飽きることなく読み進められる。そして、各都道府県のエピソードが不思議と心に残る。そんなステキな本だ。
④ソロ温泉(高橋一喜:インプレス)
手前味噌で恐縮だが、筆者が執筆した本である。
数々の温泉や旅に関する本がある中で、本書の特色は「温泉中心の旅に専念すること」を説いたところにあると思っている。
現代社会はあまりに忙しない。仕事や日常生活はもちろんのこと、インターネットやSNSなどの便利で刺激的なツールのおかげで、ひとりでボーっとして何もしない「空白の時間」が入り込む余地がなくなっている。
そんな忙しない日常から逃れようと旅行や温泉に行っても、観光やグルメ、SNSに忙しい。本当にそれでいいのだろうか、そんな問題提起もしている。
ひとりで温泉につかって、何もしない。自分を見つめ直してみよう。それが「ソロ温泉」だ。