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「必ず元に戻る」ロックダウン解除から2カ月、再生に向かう武漢 なお傷跡大きく

竹内亮ドキュメンタリー監督 番組プロデューサー(株)ワノユメ代表


「武漢はもう安全だ」「いや、まだ危ない」――。
昨年末、後に新型コロナウイルス感染者と判明する肺炎患者について初めて公表した中国湖北省武漢市。約2カ月半にわたるロックダウンの解除(4月8日)からさらに2カ月以上がたった。公式発表によると6月30日時点で感染者はゼロで、新規感染者ゼロの状態が42日間続いているが、海外メディアでは今なお武漢をめぐるさまざまな情報が飛び交っている。“本当の武漢の今”は、一体どうなっているのか。6月1日、カメラを手に武漢市に入った。

■「初めての外国人のお客様」今なお静まり返る武漢の街
筆者の住む江蘇省南京市から西に約500キロ、新幹線で2時間半かけ、武漢に到着した。駅の改札口は、3年前に訪れた際は人であふれかえっていたが、この日は利用客もまばらだった。予想と違い、感染拡大予防のために防護服を着た人たちに厳重にチェックされることもなかった。
駅を出てタクシーでホテルに向かった。ちょうど夕方の退勤ラッシュ時間にぶつかったため、思ったよりも車は多い。
「今は人との接触をなるべく避けるために公共交通機関は使わずに、車で出勤している人が多いんだ。だから車は日に日に増えているよ」とタクシー運転手が教えてくれた。
現在ロックダウンが解除されたとはいえ、外地から武漢を訪れる人は多くないらしい。ホテルにチェックインした時、フロントのスタッフがこう漏らした。「ロックダウンが解除されて以来、初めての外国人のお客様です」。

■クラスター発生の「華南海鮮市場」の今 差別にさらされる周辺住人
今回武漢で取材したのは、「華南海鮮市場」に関係のあった男性だ。華南海鮮市場といえば、武漢で最初にクラスター感染が発生した場所とされる。あの場所が今どうなっているのか関係者から話を聞きたいと考えた。
6月2日、市内の中心部にある華南海鮮市場に向かった。到着すると、外観は青いビニールで覆われて中が見えない。市場は1月1日から閉鎖されているが、あれから6カ月がたったにもかかわらず、強い海鮮の匂いがした。私は市場の前で、男性と待ち合わせをした。
印象的だったのは、彼との初対面だ。握手をする手を差し伸べながら、「私はPCR検査をしています。安心してください」と言われた。初対面の一言目にこの言葉を言わなければならないほど、外部の人に気を使っているのだ。実際に今回武漢で出会った人々の中には、武漢人というだけで外地の人から「武漢の商品は買わない」、「PCR検査を受け無いと、貴方とは会えない」といった差別を受けた経験を持つ人が何人もいた。

男性の名前はライイン。妻と2人の娘との4人家族だ。華南海鮮市場の近くに住んでおり、毎日ここに買い物に来ていた。ライさんは武漢市内で日本料理居酒屋を経営しており、その食材や調味料もこの市場で調達していた。
ライさんによると、華南海鮮市場は歴史が古く、武漢の飲食店経営者なら誰もがお世話になった事がある、大きな市場だったという。
「コウモリは見たことありますか?」と問うと、ライさんはこう話した。「私は毎日この市場に通っていましたが、見たことは一度も無いです。武漢人の99.99%以上はコウモリを食べません。武漢は長江沿いの街なので、長江で撮れた魚料理が好きなんです」

■「誰もこんなに深刻になると思っていなかった」
ライさんは1月23日にロックダウンして以降、休業を余儀なくされていた。貯金を切り崩して生活し、店の近くに買った駐車場を売って今を凌いでいる。「最悪の事態を考えることもあった」。
その店を、6月3日から再開するという。「ようやく従業員たちが武漢に戻ってきたので店を再開できます」。そこで私は、約5カ月ぶりに店を再開するまでの過程を撮らせてもらうことにした。
ライさんと最初に訪れたのは、武漢市郊外にある海鮮市場。そこには、華南海鮮市場が閉鎖されて、引っ越してきた店がいくつもあった。ライさんが向かったのは日本料理用の海鮮食材を販売する卸売店だ。店主にロックダウン前の話を聞くと、こう語る。
「当時は誰もこんな深刻になるとは思っていなかった。私の周りでは感染者は出ていない。私も閉鎖される直前まで、毎日色々な人とマスクをしないで接触していたが、感染はしなかった。閉鎖も一時的なものだと思っていて、ロックダウンされてからその深刻さに気がついた」。

■5カ月ぶりの営業再開 広がる安心感
6月3日、ライさんの店が再開した。メニューの料金はぎりぎりまで下げ、入店時に感染拡大防止のためのスマホアプリで入店の記録を求める張り紙も貼った。
「130日ぶりに店を再開した感想は?」と聞くと、「133日ぶりです」と修正された。ライさんにとって店を再開するまでの一日一日がとても長く、辛抱の日々だったのだ。
店を開くと、馴染みの客がたくさんやってきて、すぐに席は埋まった。常連客は営業再開を心待ちにしていたのだ。
店の中では誰もマスクをせず、久しぶりに食べる海鮮料理に舌鼓を打っていた。客の表情はようやく日常が戻ってきたという安心感に満ち溢れていた。5月中旬から2週間ほどかけて実施した、武漢全市民1000万人が対象となるPCR検査が一つの大きな安心材料になったのだと感じた。今回武漢で出会った人ほぼ全ての人がその証拠となるPCR検査結果のデータを持ち、検査について聞くとすぐにそれを示してくれたからだ。
PCR検査は日本では多くて一日数万人の実施が限界だというが、武漢ではわずか2週間でどうやって行ったのか。ライさんによると、「十人分の唾液サンプルを一つの試験管に入れて、十人分の検体を一回で検査する。もし何か問題が起きたら、その十人をもう一度調べる」という方法で行ったという。

■傷跡大きい武漢 それでも「必ず以前のように戻る」
開店1日目は盛況で終わり、順調な再スタートを切ったライさん。「馴染みの客と、たわいも無い話をする。この喜びは何ものにも代え難い」と話す。
しかしその後すぐ、給料が下がったことが原因で唯一の板前が辞職してしまい、現在はライさん自らが包丁を握る日々だという。半年間、全く収入が無かったライさんの店。再開後、軌道に乗るまでは自身を含め従業員の給料を下げざるを得なかった。
「ロックダウンがもたらした経済ダメージは想像以上に大きい。私の実感では武漢にある半分以上の飲食店が倒産した」という。また以前のように戻るのだろうか。
「必ず戻る。しかし時間はかかる。今年はお金儲けを考えていない。店を潰さずに残すことができればそれで満足だ」
 街では、生き残った飲食店が徐々に再開され、活気が戻りつつある。しかし、約2カ月半にわたるロックダウンの傷跡はかなり大きく、完全な回復には程遠い。
歴史があり、長江沿いの景色も美しく、美食の街でもある武漢。もっと大勢の人が訪れ、1日でも早くかつての状態に戻って欲しい。そんな思いを抱きながら、武漢を後にした。

記事執筆
竹内亮

ドキュメンタリー監督 番組プロデューサー(株)ワノユメ代表

2005年ディレクターデビュー。NHK「長江 天と地の大紀行」「世界遺産」、テレビ東京「未来世紀ジパング」などで、中国関連のドキュメンタリーを作り続ける。2013年、中国人の妻と共に中国- 南京市に移住し、番組制作会社ワノユメを設立。2015年より中国の各動画サイトで日本文化を紹介するドキュメンタリー紀行番組「我住在这里的理由(私がここに住む理由)」の放送を開始し、4年で再生回数6億回を突破。中国最大のSNS・ウェイボーで2017年より3年連続で「影響力のある十大旅行番組」に選ばれる。番組を通して日本人と中国人の「庶民の生活」を描き、「面白いリアルな日本・中国」を日中の若い人に伝えていきたい。

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