【高野町(高野山エリア)】和歌山の最後の職人の記録 〜薄板と共に生きて〜
和歌山で最後の薄板職人が廃業されました。
薄板は経木とも呼ばれます。
以下、同名称については地域で呼ばれている「薄板」と呼称します。
薄板は木から作られる食品の包装資材です。
かつて発泡トレイの無かった時代には、ウナギのかば焼き、豆腐、生肉、納豆、和菓子などを包んだり、饅頭や肉まんを蒸かすときの底板にされていました。
材料は針葉樹を削って作られることが多いですが、その中でも松から作る薄板は、節がない材料を取りやすく、抗菌性があり、多少の吸水性があり、調湿効果があるため多くの事業者で作られていました。
薄板は食品用包装資材であり使い捨ての消耗品のため、昔からの職人は基本的に問屋に販売してそれが日本各地に流通し、職人の存在は一般消費者に知られることはありません。言葉が悪いですが言い換えれば、日の当たらない仕事でもあります。
しかし、そんな職人の居た証を日に当たらないまま埋もれさせたくなく、地域の産業の証を残すためにも、ここに記録させていただきます。
記録としての意味合いもあるため、なるべくイメージしやすい言葉を選びますが専門用語も文中に出てきます。何卒ご容赦下さい。
以下、職人からの聞き書きのまとめです。
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【職人プロフィール】
・現在76歳
・和歌山県高野町在住
現職人の父親が戦後に兵役から地元に戻ってきた後、地域で大火があり巻き込まれ、次の生業を考えねばならなくなり、山の中の当集落は周辺に松の木がたくさんあったことから、集落で最初に薄板の製造を開始した。
周辺の山から松の木を伐採し、牛やオート三輪を使ってみんなで街中まで引っ張り出してきた。最盛期は集落内に12軒の薄板製造業者が居た。
そんな中で現職人は昭和47年まで大阪の商事会社に勤務。退職後は地元にUターンして、父親と共に2代目として薄板製造を開始。半世紀以上経て、現在に至る。
当時は大阪の納豆屋に直接商品を卸していた。
※地域の他の職人は問屋を通じて卸していた。
その後、1960年代以降は納豆容器が薄板から発泡スチロールへと徐々に変化していく中で、中国産の薄板の参入もあり価格競争となり、国産薄板の使用量はどんどん減ってゆき、職人も廃業して、何年も前から和歌山県で薄板を製造しているのは当工房のみになっていた。
今年2023年3月で体調不良により製造を終了。
【薄板の作り方の流れ】
1.松の丸太材を買い付ける
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2.ノコギリで角材にする
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3.角材を手頃なサイズに切って直方体にする
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4 その直方体を大型のカンナで薄く削る
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5.削ったものを10日間ほど干して自然乾燥させる
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6.一定の商品サイズに裁断して、箱詰め、納品
※作り始めて商品が仕上がるまでは1ヶ月くらい
【材料入手の際の注意点】
・出来る限りヤニツボ、成長時のネジレ、節(フシ)が無い木材を選ぶ
※ヤニツボとは、樹液(マツヤニ)が木の隙間に溜まった部分になります。
※木の選別時に、外から見えない部分はどうしようもない。
・節と節の間の長い材料を選ぶ
・丸太の直径は26〜30センチ
・樹齢は50〜60年くらい
・身は白い方が良い(見た目の需要の問題)
※松食い虫被害による松枯れ、オリンピック、ウッドショック、大阪万博などのために材料が買い占められるのと、値上がりし続けるので、最近はなかなか良い材料が手に入らない。
※ウッドショックとは、2021年からの世界レベルでの建築用の木材不足や木材価格の高騰のこと。コロナ禍の影響で、多くの製材所が休業し木材の供給が滞る一方、ソーシャルディスタンスが重視され、住宅需要が増加した結果、木材価格が急激に上昇した。
※昔は近所の山から切り出し→離れた山から切り出し→材木市場で買い付けへと変化。その材木市場も林業の衰退に合わせて近隣の市場がどんどん無くなり、隣の奈良県はもちろん、三重県にも材を探しに行くが手頃な価格のなかなか良い材は無くなってきた。
【角材にする際の注意点】
・丸太の形や年輪の様子から中をイメージして、製品時の木目をイメージしてカットする
・逆目に気をつける(逆目をカンナがけしてしまうと刃が食い込んで穴が空く)
※逆目とは、木材の繊維の方向(木目)が逆になっていること。
・ヤニツボにかぶらないように使う部分を切り取る
【カンナがけして削る際の注意点】
・削る機械も当時からのままで50年前後経っているので、機械の機嫌を見ながら削る
・一本の丸太から取れる角材でも、木のオモテウラやネジレ、その時の木の水分量などで性質はそれぞれ異なり、カンナの刃を微妙に調節して、0.01ミリ単位で商品としての均一な厚みを出すことが腕の見せ所
・日々の刃の研ぎも重要
【危険度】
製材する時のノコギリの刃、カンナの刃、裁断機の刃全てが大きく、メンテナンス不足だったり作業時に油断したりすると大怪我をする非常に危険な仕事。実際に職人も骨折や大怪我をしていて満身創痍。
【薄板を製造しつづけてきて】
・危ないこともある仕事だが、この仕事は楽しかった
・木と向き合うのが楽しい。毎日、毎回木の見せる姿が違う
・ええのができへんかったら嫌になる。まだまだこの年でも思うようには削れない。だから工夫する余地が生まれる。それが楽しい
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関西地方全体でも薄板製造業者はただでさえ数軒しか残っていない中で、和歌山の薄板製造の火は残念ながら今月で消えました。
せっかく「サステナブル」という言葉が取り上げられてストロー素材の切り替えが注目されているこの時代に、国産木を活用し、食品の保存性に優れており、旨味も強化してくれ、最後は土に還る、そんな環境にも人にも優しい素材の活躍できる時代が再度巡ってきたように思えたのですが、継業には間に合わず、大変残念です。
※経木の松脂には天然のグルタミン酸が含まれており、これが納豆の旨味を強化してくれるとのこと(某テレビ番組より)
私達のかつての生活の中で、身近だけれども消耗品としての使用のために、あまり意識されてこなかった薄板。
それを半世紀を超えて製造し、食文化を裏で支えてこられて、本当にお疲れ様でした。
なお、当レポートはあくまで記録がメインであり、職人の体調不良もあるために工房名や連絡先は掲載致しません。
また、職人は個別対応もできないため工房への訪問や連絡はお止めください。
商品の在庫も残っておりません。
当レポートが今もまだ日本各地で僅かに残る薄板(経木)職人の、仕事への理解の一助になれば幸いです。