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ルーツは地方興行の歌舞伎一座――子ども歌舞伎の振付と後継者の育成に人生をささげる86歳、「女の花道」

谷口未央映画監督

 毎年4月、滋賀県長浜市では「長浜曳山まつり」が行われる。「長浜曳山まつり」は400年以上の歴史があり、2016年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。
 最大の呼び物は「子ども歌舞伎」。5歳から12歳の男の子たちが曳山の舞台の上で歌舞伎を演じる。祭本番までに厳しい稽古を受けた子どもたちの華やかな姿と名演技は、多くの人々を魅了する。
 2022年現在、「長浜曳山まつり」で唯一の女性の振付師が、岩井小紫(いわい・こむらさき)さんだ。子ども歌舞伎の振付を勤める傍ら、歌舞伎に欠かせない三役(三味線・太夫・振付)の後継者の育成にも力を注ぐ。御年86歳(撮影当時)。小紫さんを突き動かす使命とは。

「振付師は舞台の全てをわかっていないといけない」

 2022年3月下旬、小紫さんの姿はこの年の出番山組のひとつ「鳳凰山」の稽古場にあった。「鳳凰山」の歌舞伎の外題は「平家女護島 俊寛 鬼界ヶ島の場」(以下、「俊寛」)。罪人として島流しにされた《俊寛》が、都からの迎えの船に、同じ流人・丹波少将の恋人となった島の海女《千鳥》を乗せようと、都からの使者を説得しようとするが…という物語。
 「俊寛」の唯一の女形(女役)である《千鳥》を演じるのは、9歳の辰巳優太くん。稽古では難しくて泣いてしまうこともあったとか。小紫さんはその時の優太くんをこう振り返る。「男の役をみんなしてるのが、自分だけが女形。怖さがあったり、つらさもあったり、色んなことがあったのではないか」。
 小紫さんの稽古は厳しいと言われている。しかし、厳しいだけでなく、臨機応変に対応できる包容力に満ちている。「振付師は衣裳から化粧、鬘(カヅラ)、大道具、小道具、舞台の全てをわかっていないといけない」。経験はもちろん、プロとして徹底的に勉強をすることが、振付師には何より大切なことなのだと話す。

「ルーツは地方興行の歌舞伎一座」

 小紫さんは1936年、歌舞伎一座「市川市蔵劇団」の座長・市川市蔵の次女として生まれる。幼少より役者として舞台に立ち、北は北海道、南は九州まで、一年中興行をしながら歌舞伎を演じ続けた。このような地方興行の歌舞伎一座は映画ブームに追われ衰退し、昭和期の最後には全て消えうせてしまっている。
 小紫さんは「父(市川市蔵)はとても大きな役者で尊敬していた」と話す。そして、小紫さんには歳の離れた姉がいた。姉は二代目として「岩井小紫」を継いだが、結核を患い若くして亡くなる。初代小紫(男性)は戦争へ行って亡くなったそうだ。「私が「岩井小紫」を継ぐことを母は反対したんです。短命だから嫌だって。でも…ね」といたずらっぽく笑う小紫さん。弟の市川団四郎さんも「長浜曳山まつり」をはじめ多くの子ども歌舞伎や素人歌舞伎の振付師として現役で活躍されている。
 
 また、ご主人・中村福太郎(三味線・豊澤時若)さんとも、彼の役者時代に「市川市蔵劇団」で出会う。「主人は松竹に入ってから三味線の奏者になりましたが、晩年は中村福太郎という名前で長浜などで振付もしていました。三味線弾きになって以降、声をつぶしてしまったため女形の声が出ない、女形の振付だけおまえしてくれへんか、と。それが私が長浜で振付をした最初なんです」。その内ご主人の体調が悪くなり、最期は小紫さんが全ての振付をするようになっていた。「そして主人が亡くなり、さぁ困った。どうしよう。でも祭りの皆さんが私の振付を見ていてくれて、私にぜひやってほしいと依頼されたんです」。長浜の曳山には男性しか上がれず、まだ女性の直接的な参加は限定されている。しかし、それでも小紫さんに振付してほしいという熱い思いにより、女性の振付師として正式に振付をすることになる。
 小紫さんより資料として提出された写真には、ご主人の写真が数枚ある。松竹の大歌舞伎の三味線方としてのお姿と、役者としてのお姿。小紫さんを語る上でご主人・中村福太郎さんの存在がいかに大きいかを物語ってくれる。

「他に誰もいない。やらなきゃ!」

 全国の祭りなどの子ども歌舞伎、地歌舞伎は、地方興行の歌舞伎一座の役者たちによって支えられきた面も大きい。だからこそ、小紫さんは「(私以外)他に誰もいない。やらなきゃ!」と後継者の育成に力を注ぐ。
 「長浜曳山まつり」の子ども歌舞伎は義太夫狂言と呼ばれるものであり、三味線とともに太夫が語り、それに合わせて子どもが役者として演じている。だいぶ以前から三役と呼ばれる三味線、太夫、振付の後継者不足を懸念する声が上がっていた。そして1990年、「三役修業塾」が設立される。子ども歌舞伎の三味線、太夫を地元長浜で育成することが目的である。現在、小紫さんが指導を勤め、長浜の地より全国の祭りなどへ三味線、太夫を派遣するまでになっている。
 2016年には、念願の振付部門ができた。小紫さんの振付の弟子である七里八須子(振付・岩井小紫八)さんは、「長浜曳山まつり」の「三番叟」の踊りや垂井(岐阜県)の祭りの子ども歌舞伎の振付として活躍する。七里さんは「(芸名に)師匠の名前から字をいただいた。師匠の名前を汚すわけはいかない」と話す。
 小紫さんは展望として「長浜(曳山まつり)で三役の全てが(三役修業塾の塾生から)出られれば良いですよね。なかなか育たないんですよ。それだけ難しい」と話す。そして、「でもやりたいですよね」と続ける。小紫さんはいつでも未来を見ている。

「よくやったと褒めてやりたい」

 4月13日から16日にかけ、「長浜曳山まつり」の子ども歌舞伎は本番を迎える。4つの出番山組の曳山の上で、それぞれの歌舞伎が上演される。「動く美術館」とも称される絢爛豪華な曳山。子どもたちも化粧をし、衣裳と鬘(カヅラ)をつけ、見目麗しい歌舞伎役者となる。
 曳山「鳳凰山」の舞台の上では歌舞伎「俊寛」が上演されている。優太くんの《千鳥》も小紫さんの指導通り、大きな声でセリフを言い、芝居も見事に演じた。拍手喝采が起こる。
 終演後、小紫さんより子どもたちへひと言。「よくやったと褒めてやりたいと思います」。子どもたちからも安心したような無邪気な笑みがこぼれる。そして、小紫さんのお顔にも安堵のほほえみが浮かんだ。

 数日後、小紫さんの姿は小松(石川県)にあった。「お旅まつり」の子ども歌舞伎の振付のためだ。小紫さんは約2カ月の間、自宅にも戻らず、ホテル住まいで歌舞伎の振付をしていることになる。年齢のことを考えると、あまりに精力的であり脅威的だ。しかし、時折老いや体の不調への心配をこぼされることもある。それでも「やらなきゃ!」と凛と背筋を伸ばし、自身を奮い立たせる。その姿に小紫さんを突き動かす使命が重なる。

【引用】
長浜市曳山博物館HP
https://nagahama-hikiyama.or.jp/

浅野久枝著「昭和五十年まで活動した中芝居劇団 市川市蔵劇団軌跡 その一」京都精華大学紀要 第54号所収、2021.

クレジット

企画・監督・撮影  :谷口未央
プロデューサー   :細村舞衣
撮影・グレーディング:根岸憲一
録音・整音     :松野泉
編集        :井手麻里子

映画監督

1978 年京都市生まれ。2 歳より小学校 6 年生まで滋賀県長浜市で育つ。2008年上京し、映画製作を学ぶ。2011年長浜市で撮影した『仇討ち』が多くの映画祭で評価を得る。2016年『彦とベガ』(川津祐介、原知佐子W主演)で劇場公開デビュー。現在は長浜曳山まつりを題材とした長編劇映画『長浜(仮)』を準備しつつ、長浜や祭りに関わる人たちのドキュメンタリー制作を企画している。