【駅の旅】丹那トンネルの歴史と山のいで湯/JR東海道本線・函南(かんなみ)駅
箱根の南にたたずむ山の駅の横を新幹線が疾走
函南と書いて「かんなみ」と読む。これは、箱根は古来より函嶺と呼ばれており、その南に位置することに由来する。熱海を出た下り普通電車は、長大な丹那トンネルを抜けると静かなたたずまいの函南駅がある。
だが、時折、グォーという音と共に近くを新幹線が疾走する。駅の近くには新幹線という地名があり、新幹線公民館という施設まである。これは、近くに公会堂新幹線建設工事に携わる人々の宿舎があったからだという。
16年がかりの難工事を経て開通した丹那トンネル
駅から歩いて15分、丹那トンネルの西の入口に近い木々の囲まれた丘の上に、古い石碑がひっそりと立っている。これは、「丹那隧道工事殉職者慰霊碑」である。
1934(昭和9)年に開通した丹那トンネルは、1918(大正16)年から16年の歳月を要した難工事だった。3度にわたる大規模な崩落事故などで、67人もの尊い命が失われたという。このトンネルができるまでの東海道本線は箱根の山を北側に迂回する現在の御殿場線を経由するルートだった。この区間は急勾配があるため、当時、蒸気機関車に補機をつけなければ登ることができず、輸送上のネックになっていた。それが、このトンネルの開通により、距離が11.8キロも短縮された上に、勾配も解消されたため、利便性が大幅に向上した。それと同時に熱海の町が大きく発展するきっかけになったのである。さらに、その後の新幹線の新丹那トンネル建設時にも11人の犠牲者が出ている。このような先人たちの大きな犠牲によって、現在の便利さと繁栄を享受していることを忘れてはならないと思いつつ、そっと手を合わせた。
昭和初期を偲ぶ三連アーチの橋梁
駅から西に10分ほど歩いた所に、開通当時の面影を残す鉄道橋がある。それは、三連のアーチ型の桑原川(現来光川)橋梁である。丹那トンネルの開通と同時、1934(昭和9)年の完成で、2019(令和元)年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。丸い3つの曲線を描く石積みのトンネルの下を、清らかな水が流れ、その上の土手を下り電車が走り抜けて行った。
静かな山のぬるい湯でぽかぽかと暖まる
函南駅からバスで20分ほどの山の中にあるのが畑毛温泉だ。創業が明治時代という富士見館の湯に浸かった。ここには地元の湯治客がよく訪れる知る人ぞ知る山のいで湯。
この宿の長生きの湯と呼ばれる風呂場には3つの浴槽があり、それぞれ温度が異なる。最初は、こんなぬるい湯に入ったら風を引くのではないかと思ったが、浸かっているうちにだんだんと暖かくなってくる。湯の吹き出し口の噴流に凝っていた肩を当てていると、なんだか心地いい。熱い湯だとそんなに長湯はできないが、このぬる湯には30分あまりも浸かっていただろうか。湯上がりはぽかぽかとして実に気持ちが良かったのだった。聞けば、ぬる湯の温度は32度だとか。普段入っている風呂よりも10度も低いのに、この暖まり具合にはびっくりである。
【テツドラー田中の「駅の旅」⑳/JR東海・東海道本線・函南駅/静岡県田方郡函南町】