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「最後は神様仏様」ーー技術発達した令和の時代、300年続く“踊り”で大漁祈る漁師たち

遠枝澄人ビデオグラファー

四国東南端の室戸岬にほど近い、高知県室戸市の室津港。陸から急激に水深が深くなる海底地形のため、深海の高級魚キンメダイが、釣り上げたばかりの新鮮な状態で水揚げされる。この場所には、300年前に始まったとされる漁師たちの「シットロト踊り」が伝えられる。

その総代を務める藤原一成(67)さんの漁師歴は51年。生活が立ちゆかなくなるほどの不漁や、「あの世へ一歩手前」の大しけをくぐり抜けてきた。そんな藤原さんにとって、大漁を祈願し、魚を供養するための踊りは、「板子一枚下は地獄」と言われる漁師生活には欠くことのできない年中行事だ。ただ、ここ数十年の間に漁労環境は大きく変化。航海機器が発達し、精度の高い気象情報などがスマートフォンで簡単に手に入るようになると、神仏頼みの伝統行事に対する若手漁師たちの意識も徐々に変わってきた。「それでもかまん(構わない)」という藤原さんは2021年7月、新型コロナウイルスの流行が収まらない中、2年振りに踊りを奉納することを決めた。海を知り抜く漁師の思いとは。

● 江戸中期に始まる伝統の踊り
台風被害の多さから「台風銀座」と呼ばれる一帯にある室津港。この港の全ての船は旧暦6月10日(2021年は7月19日)、一斉に漁を休む「沖止め」に入る。この日、室戸の漁業関係者(高知県漁協室戸統括支所所属の漁師等)は江戸時代中期から続くとされる「シットロト踊り」で魚を供養し、豊漁を祈る。

踊り手たちは朝4時半から丸1日かけて、漁業にゆかりある神社や寺、浜辺など28カ所をまわる。カツオやタイが描かれた浴衣と、色とりどりの猿の人形が縫い付けられた菅笠の衣装をまとい、輪になって踊る。その昔、浜で助けた人魚のお礼の踊りをまねて踊ったところ豊漁になったことから始まるなど、いくつかの由来が伝えられている。それぞれの寺社では、藤原さんともうひとりの総代が室戸の漁業従事者を代表して参拝し、踊りが奉納される。

● 海と切り離せぬ室戸の暮らし
いつの時代も、海の資源が室戸に富をもたらした。江戸時代初期の古式捕鯨に始まり、1970年代にはマグロ漁が最盛期を迎える。室津港の周りに飲食店やスナックが立ち並び、海から戻ったマグロ漁師が豪遊した。2度のオイルショックや200カイリ経済水域の設定で衰退するが、その後、キンメダイに高値がつくようになる。現在は中国需要で高騰した宝石サンゴの一獲千金を求めて、資源管理のための漁の許認可に数十人が順番待ちとなっている。藤原さんも、その時代に応じて漁の対象を変えてきた。

● 波乱の漁師生活51年
藤原さんが初めて船に乗ったのは16歳の時。300トンの遠洋マグロ漁船だった。ニュージーランド、オーストラリア、アフリカの洋上で5年間を過ごした。室戸のマグロ漁の全盛期だった。その後、室戸近海で漁師の父と小型船に乗るが、不漁が続いたことで伊豆半島の下田へメダイ漁の出稼ぎに行くことに決めた。
「大変だったときは、飯が食えんかった。この室戸だけやったらなかなか生活できんかったきん。ほんでよそへ行ったがよ、昔は。やっぱり年によってない年があるきんね。そのときはみんな考えて、日本全国どこでも行ったからね。今はそんなことのうなった(無くなった)けど。」
8年の出稼ぎの後、再び室戸に戻りキンメダイ、そしてサンゴと漁を続けてきた。

● 魚の供養と漁の安全
藤原さんは下田沖と室戸沖で2度大しけにあい、死にかけたという。
「そんときはもう、目つぶって『南無三、来るな』。それしかないわ。神頼みよ。まあそういうこと。今は平和なもんよ。生きちゅうき上等。神様のおかげ、仏さんのおかげ、ね」
目の前で知り合いの漁師を亡くしたこともある。

命がけで海に出る漁師が、魚の霊を慰め、災いをもたらさぬよう供養する儀礼は、各地で古来行われてきた。
「毎年何トンもの魚を生きたやつを船あげてよ、それ全部殺しゆうがやきね。それ商売、ご飯の種にしゆうがやきやね。そら、一年にいっぺんばあ、供養しちゃってもえいわなあとは思いますよ」と藤原さんは語る。

● 技術の発達と意識の変化
出漁するかどうかの判断や漁場の探索は長い間、漁師の勘や経験が頼りだった。技術の発達でこうした側面が薄れていくにつれ、魚の供養や大漁祈願といった意識は、若手漁師の間では薄れつつある。

2年間の研修を経て2021年から自前の船で漁を始めた竹村逸己さん(23)は、踊りについて「大漁祈願とか、そういう感覚で行きゆうがじゃなくて。なんか普通にこう、漁師の人らと、お酒飲みながら踊ったりみたいな。それを普通に楽しんで。そんな感覚です」と話す。同級生で漁協職員の松本浩四郎さん(23)は、今回が始めての参加だ。「漁師さんと一緒にすることが、水揚げ以外あんまりないので、そういうところで一つになれるっていうことは、すごい良いことやなとは思います」と言う。

そうした若手について藤原さんは「なんでもデータよね。潮、気象、もうそれをやっぱりすごいですね。今は携帯の時代やけどよ。(漁が)いかん日は行かんき、沖へ。自分らの時代は行ってみな分からん言うて行きよったけど。いらん油(燃料)もたかんし。経費はかからん。なかなか考えちゅう。自分らの時代とはまた違う」と感心する。

● コロナ禍で2年ぶりの奉納
新型コロナウイルスが流行した2020年、踊りは中止に追い込まれ、総代による寺社の参拝だけが行われた。そして2021年。藤原さんたちは「2年連続の中止は避けたい」と船主組合の代表者たちと話し合い、室津港市場の1カ所だけで踊りを奉納することに決めた。2年ぶりの奉納後、「来年はどうするのか」と藤原さんにたずねると、こんな答えが返ってきた。
「半分ぐらい回りたいわね。せめて。そう思っちゅうけんど。(1カ所だと)寂しいね。踊り手が面白くない。踊り手がもうへろへろになるばあ(ぐらい)、やらないかん」

踊りが始まった300年前とは、海や漁師を取り巻く環境は比べるべくもないほど改善した。それでも漁業での労働災害発生率は、陸上の全産業平均の約6倍にも上る(水産庁「令和2年度水産白書」)。2021年11月3日には、室戸岬沖でサンゴ漁の漁船が貨物船に衝突、転覆し、乗組員1人が死亡する事故が発生した。

漁師を取り巻く環境も意識も変化する中で、なぜシットロト踊りを続けるのか。
「漁ごとはね、一番最後の手段はね、神様仏様しかないきね」
これが、藤原さんの答えだ。

クレジット

監督・撮影・編集 遠枝澄人
プロデューサー 初鹿友美 金川雄策 山本あかり
アドバイザー 長岡参

ビデオグラファー

1992年千葉県生まれ。筑波大学在学中、半年間キューバに滞在。卒業後、JICA青年海外協力隊として、2年間中米グアテマラで活動。帰国後、高知県室戸市に移住。地域おこし協力隊として、室戸ユネスコ世界ジオパークの活動に携わりながら、地域の出来事や踊る妻を撮影する。2021年より、本格的に映像制作を始める。中南米と日本の2拠点で暮らしながら、映像をつくりたい。

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