Yahoo!ニュース

【名古屋市緑区・南区】こんなところに!?名古屋の歴史を語るために欠かせないディープな歴史スポット4選

土庄雄平愛知深掘りライター(名古屋市)

戦国時代の三英傑を輩出し、有松などに代表されるように東海道の要所として繁栄した愛知県。

しかし、歴史の教科書に登場するのはその一部で、隠れた歴史スポットが名古屋市内の緑区・南区に多く点在しているのはご存知でしょうか。

しかも、どれも歴史的に貴重な資料ばかり。今回はそんなディープな名古屋の歴史スポットをご紹介します。

鷲津砦跡(名古屋市緑区)

まずご紹介したいのは、JR大高駅の近くに位置している「鷲津砦跡」です。山中にひっそり佇むこのスポットは、織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いに大きく関わっています。

なんと1560年(永禄3年)桶狭間の戦いが起こる日の早朝、桶狭間の前哨戦として「鷲津砦の戦い」が始まったのです。

結果的に砦は陥落して、守護に当たっていた信長の大叔父・織田秀敏と飯尾定宗・尚清親子は敗死してしまいますが、その一方で桶狭間の戦いには信長が勝利しています。歴史的な一戦の壮大さを物語っている場所と言えるでしょう。

<鷲津砦跡>
住所:愛知県名古屋市緑区大高町鷲津山
アクセス:JR大高駅から徒歩10分弱

笠寺一里塚(名古屋市南区)

江戸時代初期、幕府が主要街道を整備した際、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとした一里塚。旅人に距離を示しただけでなく、荷物の運賃計算と基準ともなりました。

笠寺一里塚は、愛知県内に現在も残る5つの一里塚のひとつで、名古屋市内では唯一の資料です。かつての東海道の繁栄が偲ばれる場所。当時生きていたわけではないのに、なんだか人の活気を感じてしまいます。

生き生きと根を張り、生命力の感じられるエノキの木も見事ですよ。

<笠寺一里塚>
住所:愛知県名古屋市南区笠寺町下新町
アクセス:名鉄名古屋本線・本笠寺駅から徒歩約10分

千鳥塚(名古屋市緑区)

天白区星崎にある千句塚公園。この名称の由来には、文化的な背景があります。実は、松尾芭蕉が当地で開いた千句会にちなんで"千句塚"となっているのです。

公園の一角には碑文が安置されていますが、これは、貞享4年(1687)冬11月、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇をみよとや啼く千鳥」の巻が、満尾(終わりになること)した記念に建てたもの。

文字は芭蕉の筆、裏面には連衆の名、側面に興行の年月が刻んである。芭蕉が生きている間に建てられた唯一の翁塚(芭蕉句碑)であり、俳文学史上稀有の史跡と言えるでしょう。高台の地形から、俳句に読まれた世界観が連想される場所です。

<千句塚公園>
住所:愛知県名古屋市緑区鳴海町三王山
アクセス:地下鉄桜通線「野並駅」から徒歩約20分

細根山緑地(名古屋市緑区)

日本遺産にも登録されている有松の町並みにも近い小さな「細根山緑地」。今は竹林が生い茂る住宅街の裏山となっていますが、実はかつて、地元の豪商下里(しもさと)家の別荘であり、かの有名な松尾芭蕉も訪れた名園が存在しました。

千句塚公園もそうですが、緑区周辺には松尾芭蕉の足跡を感じられる場所が多いですね。

そんな「細根山緑地」。江戸時代中期には、特に景観の優れた場所が細根十四景として命名されました。緑地の中心部にある妙音池もその一つで、名古屋市内でヒメボタルが生息する貴重な場所です。日陰が作る景色変化を楽しみつつ、爽やかに散策できます

<細根山緑地>
住所:愛知県名古屋市緑区鳴海町細根84-4-31
時間:24時間
備考:杭があって駐車できないことがあります。自転車か徒歩で訪れるのがオススメです

いかがでしたでしょうか。名古屋の中心部から一番離れているエリアであるものの、東海道の宿場町が発達し、特に江戸時代には人の動きが活発だった緑区・南区。戦国時代には、三英傑の軌跡も感じられます。色々な発見もあるので、ぜひ散策してみてくださいね。

愛知深掘りライター(名古屋市)

1993年生まれ、愛知県豊田市出身、同志社大学文学部卒。第二新卒を経験後、愛知へUターンをして、メーカー営業職とトラベルライターを両立。現在は、IT企業に勤務しながら、自然や暮らしに一歩踏み込む、情報発信に精を出す。美味しい地元グルメを探しながら、名古屋市内の色彩豊かな自然を愛でるのがルーチン。 ※12月18日からLINEにて土庄雄平「名古屋深掘りチャンネル」配信スタート!毎週月曜日の10時にお届けします。名古屋のグルメから週末おでかけ情報、ディープなスポットまで盛りだくさん。ぜひ登録してくださいね♪(記事内のリンクは、Yahoo!ニュース エキスパートとの取り組みで特別に設置しています。)

土庄雄平の最近の記事