ブラタモリ種子島の「地球のチカラツアー」はどういう意味?
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ブラタモリ種子島編では、「種子島は地球のチカラを感じる島!?」をテーマに、タモリさんが、種子島宇宙センターの立地や、鉄砲伝来の理由を探る、興味深い回でした。
少しだけ難解だったのが、3つの島を比較した「プレート運動が生んだ地球のチカラツアー」でした。今回は、旅行ライター目線で、個人的に興味を持って、調べた内容を共有します。
※地理学や地学の専門家による記事ではありませんので、ご承知おきください。
地球の内部は、おもに熱いマントルに満たされており、冷え固まった表面は、おおむね厚さ30キロ以上の岩体、十数枚に覆われており、これをプレートと呼びます。
まるでサッカーボールの表面のように、プレートは隣りあっています。日本列島は、4つのプレートの交点となり、地震が多いのもうなずける話です。プレートの境界線は、例えば南海トラフなどと呼ばれます。
マントル 地球の中心核(コア)と地殻の間にあり、内部で発熱する熱のために粘性化し、滞留運動をおこして熱を外部に放出する物質。
プレート 十数枚の板状の物質として地球表面をおおい、マントルの上層部と一体となって地球表面を移動し、地殻変動を引き起こす岩体。(山川書店『山川一問一答 地理 』)
日本列島のようなプレートの境目では、沈み込むプレートが持ち込む水により、周囲の岩石がより低い温度でも溶けるようになり、マグマができると考えられています。(日本経済新聞による)
マグマの一部は、上昇し、マグマだまりとなることもあります。
※マグマのでき方は複数あり、その1つを紹介。
ブラタモリ種子島編では、マグマの直上に口永良部島(くちのえらぶじま)、マグマだまりが冷え固まって花崗岩になって上に出たのが屋久島、海底の堆積岩が沈み込むプレートに押し上げられたのが種子島と説明されました。
種子島に火縄銃が伝来したのは、漂流船が黒潮の流れに乗って来たと考えられています。また、火山の働きによってできる鉄分は、黒潮で海底に移動して、押し上げられて種子島の海岸の砂鉄となり、火縄銃作りに利用されました。
プレートの動きが作った、合計わずか32キロしか離れていない、3つの全く別の成り立ちの島(「プレート運動が生んだ地球のチカラツアー」)。そして黒潮の流れ。歴史の背景には、ダイナミックな地球の動きがあったことを感じさせました。
屋久島のマグマが固まったのは1500-1400万年前で、現在の口永良部島の火山島を作っているマグマ活動とは関係がありません。(イケガミ・ジオリサーチ様からのアドバイスを追記しました)
※上の図において、赤矢印、黒矢印が示唆する事象が同時に起きていると誤認される可能性があるが、別時代の出来事である、という意味と考えます。(筆者記)
筆者小宅のひき出しの奥にしまってあった花崗岩。茨城県の石切山脈という採石所の見学ツアーで頂いたもの。
地底のマグマだまりから旅してきたことが分かると、貴重なものに感じられました。花崗岩は、大陸性の岩石ですが、日本でも多くの場所で見ることができます。
「プレート運動が生んだ地球のチカラツアー」が紹介された、ブラタモリ種子島編の内容は、下にまとめました。
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