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ブラタモリ大阪シリーズ やっぱり秀吉はすごい!江戸もそのおかげ?

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関東圏のエモ静ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!(記事一覧)です。

最先端の「顔認証改札」(JR大阪駅 うめきた地下出口)も話題となった、先日のブラタモリ梅田編。湿地帯だった梅田が、全国有数の繁華街に成長した様子が紹介され、大反響を呼びました。

【ブラタモリ梅田】タモリさんが大阪繁華街の秘密を探る|ロケ地#237(とらべるじゃーな!)

三井住友トラスト不動産による 国土地理院「基盤地図情報:数値標高モデル5mメッシュ」を「カシミール3D(http://www.kashmir3d.com/)」により加工し作成
三井住友トラスト不動産による 国土地理院「基盤地図情報:数値標高モデル5mメッシュ」を「カシミール3D(http://www.kashmir3d.com/)」により加工し作成

いくつかあるブラタモリの大阪シリーズ(商都大阪、大阪城、梅田編など)ではおなじみの、上町(うえまち)台地。先日の梅田編にも登場しましたが、先日再放送された商都大阪編でも、大きく取り上げられています。

【ブラタモリ商都大阪】大阪はなぜ日本一の商業都市に?|全ロケ地#53(とらべるじゃーな!)

湿地帯に囲まれ守りやすい上町台地を見た織田信長は、「大坂は凡そ日本一の境地なり(大坂は日本一の場所)」と高く評価し、その遺志は、豊臣秀吉が受け継ぎ、大坂城(1583年より築城)が建てられました。

現在は少し場所をずらし模擬天守が建つ
現在は少し場所をずらし模擬天守が建つ

その後秀吉は、京都の伏見城の建設(1596年より築城)も手がけています。

でこぼこの傾斜地を横に通した道の1つ
でこぼこの傾斜地を横に通した道の1つ

秀吉は、決して城下町には向かない伏見の急な傾斜地に、まっすぐな横道を通し、城下町を作り上げました。

ブラタモリ京都伏見編では、「直線を見たら秀吉と思え」と紹介されましたが、秀吉は、まともなら開発困難な土地の上に、近代的な町を花開かせたい性格だったのかも知れません。

実際に秀吉が詠んだかどうかは分かりませんが、「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥(ほととぎす)」(『故事・俗信 ことわざ大辞典』)と通ずるものがあるように、感じました。

※『甲子夜話』では「鳴かずともなかして見せふ杜鵑」

※※京都には、天使突抜通という秀吉が通した道があるそうです(SNSで情報提供頂きました)。この道は、神社の境内も貫いています。

【ブラタモリ京都伏見】全ロケ地|タモリさんが伏見城と秀吉の痕跡を探る #37(とらべるじゃーな!)

こちらは、大阪城の南西。大阪城(大坂城)が立つ上町台地へ登ってゆきます。古地図と照らし合わせると、この場所も、秀吉が作った、直線を駆使した城下町の一部のようです。

埼玉県川口市にある、赤山城跡です。江戸に入った徳川家康に同行し、江戸の治水を任された伊奈氏の拠点の1つです。

首都高川口PAの赤山城跡 早咲き桜の満開は今週末まで!!(2023年3月公開の記事)

家康は、豊臣秀吉による転封の命を受け、川が氾濫し、どこまでも湿地帯が広がっていた江戸に移り住むことになりました。

家臣団は猛反対し、家康としても、決して本意ではない部分もあったでしょう。しかし、秀吉は、荒れ地ほど大きく発展する可能性を秘めていると考え、大坂城の城下町を訪ねたことがあるとされる家康も、同じ思いだったのかも知れません。

【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース(とらべるじゃーな!)

大河ドラマのどうする家康では、打算的でお調子者のように描かれがちな豊臣秀吉。しかし、秀吉の町づくりは、のちの梅田の開発や、現在の東京の発展にもつながったように思います。筆者は東京在住ですが、大阪こそが、東京や日本の原点の1つであると感じました。

著者 とらべるじゃーな!(テレビ出演個人ブログtwitterInstagram
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穴場ずらし旅、愛好家

関東周辺の穴場★ずらし旅スポットを紹介。日本テレビに旅の専門家として出演(2023年4月)。Yahoo!ニュースエキスパート公式旅行ライター(2023年7月企画賞)。JTB運営・地理旅行検定取得済み。東京都在住、旅行歴500泊以上。

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