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どうする家康「関ヶ原の戦い」の前に知っておきたい現地の様子

とらべるじゃーな!穴場ずらし旅、愛好家

関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。

大河ドラマ「どうする家康」では、いよいよ関ヶ原の戦いが始まります! しかし、ちょっと分かりにくいのが関ヶ原の布陣。今後の旅行の予習も兼ね、現地へ飛んでみましょう。

関ケ原駅は名古屋から1時間弱

関ケ原駅へは、新大阪から新幹線とJRで約1時間20分。名古屋からなら、JRの普通列車を乗り継ぎ1時間弱です。

琵琶湖東岸の米原・彦根と、岐阜市の中間にある盆地で、知名度は高いですが、特に平日は静かな駅です。

駅の正面は住宅地。中山道の関ケ原宿だった場所です。そして、駅舎の裏手には、広大な関ケ原が広がります。

関ケ原駅から石田三成陣地へ向かう

駅の裏手、JRの線路を跨線橋で渡ってすぐに井伊直政・松平忠吉の陣地跡。井戸の井の旗印が立ちます。獰猛果敢な井伊直政の陣地ですから、西軍に対面する、最前線の場所です。

井伊直政らが、朝の濃霧が晴れるのを待ち、対面した宇喜多秀家(五大老のひとり)隊に発砲し、関ヶ原の戦いが幕を開けます。慶長5年9月15日(1600年10月21日)の早朝のことでした(※)。

※先陣を切ったのは福島正則という説も有力。開戦時刻は、午前10時ごろなど諸説あります。

関ケ原では多くの人が、井伊直政らの陣地を見学しつつ、すぐ先の岐阜関ケ原古戦場記念館を目指します。

展望台からは、石田三成陣地や、東軍が最後に詰め寄る決戦地が見えます。

陸での戦闘は高地が有利です。石田三成は、関ヶ原全体を望む高い場所に陣地を構え、万全の布陣です。背後は関ヶ原駅方面ですが、高度が低く、主に街道沿いに東軍が展開します。

よく写真で紹介される決戦地です。

石田三成陣地は、山の山腹にあり、関ヶ原一帯を見通す絶好の場所です。決戦地は目と鼻の先です。

家康破れたり?! 石田三成の完璧な布陣

石田三成陣地周辺から見ると、左手の山を、西日本の大大名・毛利輝元の名代(代理)として参戦の毛利秀元。赤点線で示した山の頂上を小早川秀秋が押さえます。小早川秀秋は、当初豊臣秀吉の跡取りと目された血筋ですが、後に家康に助けられた恩義もあります。

さらに、石田三成にはもったいないとまで言われた、屈強の島左近が左手を押さえています。そして、三成が伝染病を恐れず盃を交わした親友の大谷吉継は、京都への出口となる重要な場所を押さえます。

家康の東軍は、まさに袋の鼠。「どうする家康」では、大きな蜘蛛の巣と表現しています。石田三成の目から見れば、勝ったも同然です。

当日は、西軍総大将の毛利輝元と関白・豊臣秀頼が大坂城に滞在し出陣を控えたハンデがありましたが、徳川本隊の約半数は真田に翻弄され遅参。その点は五分と言えたかも知れません。

地名一覧
・石田三成が布陣 笹尾山
・徳川家康が布陣 桃配山
・毛利秀元、吉川広家が布陣 南宮山
・小早川秀秋が布陣 松尾山

西軍の包囲網に誘い込まれた東軍ですが……

もし吉川広家が寝返れば、毛利秀元隊は山から出られません。もし小早川秀秋が裏切れば、対峙する大谷吉継も危機に瀕します。結果は、「どうする家康」の続編をお待ちください。

なお、大谷吉継、島左近の戦いは、ブラタモリ関ヶ原編が取り上げています。大谷は地形を利用して善戦しますが、屈強の島左近は、地形に足元をすくわれます。

【ブラタモリ関が原・全ロケ地】タモリさんが関ヶ原の戦いの舞台を探る#239(とらべるじゃーな!)

吉川広家の立ち回りは、ブラタモリ錦帯橋編で扱っていました。

【ブラタモリ錦帯橋・全ロケ地】世界唯一の美の極みを訪ねる#252(とらべるじゃーな!)

【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース(とらべるじゃーな!)

穴場ずらし旅、愛好家

関東周辺の穴場★ずらし旅スポットを紹介。日本テレビに旅の専門家として出演(2023年4月)。Yahoo!ニュースエキスパート公式旅行ライター(2023年7月企画賞)。JTB運営・地理旅行検定取得済み。東京都在住、旅行歴500泊以上。

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