Yahoo!ニュース

50代・60代 春に出かけるウォーキング 運動不足を解消し景色と歴史を楽むコースを歩く旅人がご紹介!

わか子ライター

冬の寒さが落ち着いてきたと感じていると、ずいぶん早足で春がやってきました。木に花が咲くこの季節は町が華やかになりますね。

そんな過ごしやすい季節には、どこかに出かけたくなります。冬の寒い頃は家にこもっている日も多くあったと思いますので、ぜひ、外に出かけて軽い運動しながら景色を楽しむウォーキングはいかがでしょうか。

今回は、東京都八王子市にあるJR高尾駅から旧甲州街道を歩いてJR相模湖駅まで、約10km、約4時間のウォーキングコースをご紹介します。途中、小仏峠をこえますので、街歩きでは体験出来ないコースを楽しめます。日程の調整をしっかり行い早めの時間に目的地に到着できるように計画してください!

スタート:高尾駅北口(JR中央線、JR中央本線、京王線)

出発は高尾駅です。高尾駅北口を出て国道20号甲州街道を高尾山方面に向います。今回のコースは長いので次の目的地まではバスで行く方法です。体力に自信のある方はバスを使わなくても歩けるかと思いますので、体力に合わせてコースを選んでくださいね。

高尾駅北口
高尾駅北口

高尾駅北口を出発し、すぐ国道20号甲州街道に出るので西へ、高尾山方面へ向かいます。しばらく歩いて「西浅川」交差点で国道20号と分かれて左に入ります。もともとはこちらが甲州街道であり、明治21年(1888年)に小仏峠をこえる旧甲州街道は、現在の大垂水峠を抜ける国道20号甲州街道となりました。

高尾駅北口バス停から小仏関跡(駒木野バス停)までは京王バスが利用できます。
高尾駅北口バス停 小仏行き時刻表<外部リンク>

小仏関跡

旧甲州街道に入って歩くと小仏関跡があります。この先の小仏峠は相模国(神奈川県)と武蔵国(東京都、埼玉県、神奈川県の一部)の境であり、敵の侵入から守るために峠の頂上に造られたのが小仏関です。戦国時代に小田原城を起点にして関東を支配した北条氏によって麓におろされ、1590年江戸に入った徳川家康により現在の場所に移設されました。幕府が甲州街道で最も重要視した関所であり、道中を往来する人々を厳しく取り締まりました。明治2年(1869年)に関所は廃止され建物は取り壊されてしまいましたが、通行人が手形を置く手形石と調べられている間に手をついていた手付石が残っています。

小仏関跡
小仏関跡

駒木野宿

小仏関跡の隣に駒木野宿の碑があります。甲州街道では江戸から12番目の宿場ですが、当時より規模が小さい宿場であったようで、宿場の面影は残っていないです。

駒木野宿の碑
駒木野宿の碑

駒木野宿の先に甲州街道で13番目になる小仏宿がありましたが、こちらも規模が小さく、文献によっては間の宿(宿場と宿場の間に設けられた休憩施設で宿泊はできなかった)とも書かれています。本陣や脇本陣はなく、旅籠が10軒ほどあったようですが、当時の面影は残っていないです。

高尾梅郷と中央自動車道

さらに進んでいくと、あたりに梅の木が多くあります。この辺りは高尾梅郷と言われる梅の名所で、梅の花が咲く季節にはたくさんの人が訪れます。旧甲州街道の上には日本の大動脈の1つである中央自動車道(以下、中央道)ではなく、1996年開通の圏央道が通っており、時代の流れを感じます。

圏央道の下を抜ける旧甲州街道
圏央道の下を抜ける旧甲州街道

高尾梅郷の石碑と梅の花
高尾梅郷の石碑と梅の花

高尾山道の石碑を過ぎて、JR中央本線の赤煉瓦の橋をくぐり、最終のバス停である小仏バス停を経て先に進むと、駐車場を抜けて車道が無くなり山道を歩いて小仏峠に向かいます。

車道が終わり旧甲州街道は山道です
車道が終わり旧甲州街道は山道です

小仏峠

小仏と聞くと小仏トンネルを思い浮かべます。中央道、JR中央本線、それぞれが通る小仏トンネルは、小仏峠を抜けるトンネルです。現在では電車や車に乗ってトンネルを一気に抜けられますが、昔の人々は歩いて峠をこえていました。

甲州街道最初の難所ともいわれる標高548mの小仏峠ですが、富士山が奇麗に見えたので「富士の峠」とも言われました。現在は木々が生い茂っていますが、関東平野方面はとても眺めが良いです。峠の頂上にはベンチもあるので休憩されるのも良いかもしれません。小仏峠は広大な関東平野の西側にある高尾山から続く尾根にあるので、見晴らしがよく、晴れていれば都心の高層ビル群やスカイツリーも見えます。

小仏峠から都心の風景
小仏峠から都心の風景

江戸時代にはどのような景色が広がっていたのでしょうか。これから江戸に向かう人、江戸を出発してきた人、どのような思いで旅人はこの景色を眺めたのか。

以下の景色は、小仏峠の少し登山した先にある景信山より撮影しました。

景信山から都心を眺める 筑波山も見えます
景信山から都心を眺める 筑波山も見えます

富士山もきれいに見えます(景信山より撮影)
富士山もきれいに見えます(景信山より撮影)

小仏峠という名前には諸説ありますが、小さな仏さまがまつられていたからともいわれています。現在もお地蔵様と庚申塔(江戸時代の民間信仰)があります。江戸時代のものかと思いますが、詳しい事はわかりませんでした。

小仏峠にあるお地蔵様と庚申塔
小仏峠にあるお地蔵様と庚申塔

現代では、小仏峠と言えばタヌキの置物。小仏峠名物です。

小仏峠名物のタヌキと、峠の広場
小仏峠名物のタヌキと、峠の広場

小仏峠から先へ旧甲州街道である山道を進みます。峠の広場に案内の地図があるので、先を確認しておきましょう。この先の甲州街道は東海自然歩道にもなっているので、道中には案内板や指導票があるので確認しながら進んでいきます。いよいよ、東京都より神奈川県に入ります。

甲州道中の木柱 この先の要所にあります
甲州道中の木柱 この先の要所にあります

旧甲州街道から眺める中央道
旧甲州街道から眺める中央道

中央道を眺めながら旧甲州街道を進み、林道に出て車道をしばらく歩くと国道20号にでます。車の往来が激しいので注意して歩き、進んだ先に小原宿があります。

小原宿と現存する小原宿本陣

甲州街道の14番目の宿場である小原宿も規模が小さな宿場でしたが小仏峠の甲府側に位置するため、重要な宿場でした。そして、甲州街道を通って富士山や見延山への参詣客でにぎわいました。

小原宿本陣

神奈川県で唯一現存する本陣 小原宿本陣
神奈川県で唯一現存する本陣 小原宿本陣

本陣とは、大名や幕府の役員が泊まることが出来た宿で、宿場の中では一番格式がある建物です。神奈川県には東海道も通っているため県内には26軒本陣がありましたが、現存しているのは小原宿本陣のみになっています。

建物の年代に関する詳しい資料は残っていせんが、恐らく江戸末期の建築であろうと言われており、築約200年です。本陣特有の座敷構えであるとともに、2階には養蚕室もあります。甲州街道のこの辺りは耕作地が少ない山あいの地域であり、米を作るのが難しく養蚕や織物業が盛んにおこなわれていました。

小原宿本陣建物は現在相模原市が管理されており、無料で見学ができます。
外部リンク:相模湖観光協会ホームページ

小原宿本陣前に神奈川中央交通の小原バス停があり、相模湖駅行きのバスがあります。また、本数は少なく午後は16時12分のみですが、高尾山口駅行き(平日のみ)と高尾駅経由八王子駅行き(土曜日・休日のみ)のバスもあります。

JR中央本線 相模湖駅

小原宿本陣の見学を終えたら、体力がある方は国道20号甲州街道を歩き、先で旧甲州街道に入り、相模湖駅でゴールです。すべてを歩けば10km以上の道のりに加えて山道になるので、体力に自信がある方は挑戦してみてください。

JR中央本線 相模湖駅
JR中央本線 相模湖駅

JR相模湖駅時刻表(平日の時刻表はサイト内をクリックしてください)
上り:高尾・八王子・東京駅方面<JR東日本:外部リンク>
下り:大月・甲府方面<JR東日本:外部リンク>

参考:今回のコースのGoogleマイマップ<外部リンク>

Googleマップでは道がつながっていませんが、その間は山道があります。通常の街歩きではありませんので注意して歩いてください。

詳細:高尾梅郷梅まつり 八王子市公式ホームページ<外部リンク>
参考:神奈川県ホームページ 小原宿本陣<外部リンク>
参考:八王子ホームページ 駒木野宿<外部リンク>
※甲州街道の宿場の数え方は文献によって異なるので、「歴史と文化を訪ねる 日本の古道2(発行:教育画劇)」を参考にしています。

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

わか子の最近の記事