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アラフィフ女子二人旅 1日20kmを歩く旅に挑戦する話 お金を使わないで脂肪を使おう!

わか子ライター

私(陽子)は、数年前から街道歩きを始め、1人で歩く旅を楽しんでいる。今日は、ママ友の由美子さんから「楽しそうだから、今度、連れて行ってね」と、連絡があり二人旅になった。お互いの子どもは大学生になった私たちは50代。かっこよく言えば、アラフィフ女子の二人旅であるが、平たく言うと、歩くおばさん二人組なのである。朝9時に待ち合わせをし、軽くコースの話をしてからすぐに出発している。目標は1日20kmであり、ここまで歩いた距離は2.5km程なので、まだまだ序盤であり先は長い。

由美子さんは、健康のためにと、1日一万歩を歩いているというウォーキングの達人で、ここまでのペースは思う以上に保てている。無理をしなければ20kmを完歩出来るのではないか。

交通量が多い国道17号線の歩道を1時間程を歩くと東京都と埼玉県の境になっている場所の荒川に差し掛かってきた。荒川は関東平野を流れて東京湾に流れ出ているとても大きな川だ。荒川の源流は、山梨県・埼玉県・長野県の境にある、日本百名山の1つ「甲武信ヶ岳」にあり、川の長さは173km。日本で15番目に長い川である。ちなみに、1番長いのは信濃川で長さは367kmもある。荒川に関する日本一は「川幅日本一」で2537mもの川幅を持つ場所がある。川を往復するだけで5kmをこえ、歩数にすると8000歩は歩けそうな距離に驚く。

江戸時代、防衛として荒川には橋が架けられず、人々は渡し船を使って川を渡っていた。確かに、橋がなければ一度に多くの兵軍が進めないので合理的な方法だと思う。ならば、五街道で一番交通量が多かった東海道の多摩川ではどうだったのかと調べると、こちらは家康により橋が架けられたとあり、両国、千住と並んで江戸三大大橋と呼ばれていたとある。しかし、洪水により何度も橋は流されてしまい、その後は渡し船で渡るようになっている。

中山道 戸田の渡し 東京都板橋区船戸
中山道 戸田の渡し 東京都板橋区船戸

荒川も多摩川も江戸からの距離もそんなに変わらないのにね。中山道の先には徳川幕府を攻めようとする敵がいたのかな。東海道だと駿河に尾張と徳川一族の領土が多いしね。由美子さんは言った。そうかもしれないけれど、戦国時代に関心があまりないので良く分からず返事が出来ない。恥ずかしかった。その後、話が変わり、川を渡るのにいくらだったのかな?と、おばさんが大好きなお金の話になった。

早速、スマフォで調べてみると、戸田の渡しの料金は1人「六文」とあった。しかし、六文の価値が分からないので、高いのか安いのかがわからない2人。再度、調べるとまんじゅう1個が三文であるので、まんじゅう2個分で川を渡れたことになる。船で渡してもらうと思うと、案外安いような気がした。

戸田の渡しの説明版に描かれている絵
戸田の渡しの説明版に描かれている絵

荒川の岸にある戸田の渡しの説明版に描かれている絵を見ると、穏やかな川面に白さぎが飛んでいる。船に大勢の旅人を載せており、向こうの岸にも旅人が描かれて、旅人の多さを感じる。馬も船に乗せられている。馬は怖がらないで船に乗れたのであろうかと心配になった。そして、私たちも絵の中の旅人と同じように、川の対岸へと進んでいこうか。現在では立派に架けられている戸田橋を渡るけれどね。

荒川を渡り埼玉県に入ると、戸田の渡し場跡より進んだ先に江戸より4番目になる戸田の一里塚があったが、それらしいものは何も残っていなく、二人は先へと歩きだした。

由美子さん、すごいね。健康のためと言っても毎日一万歩を歩くのはなかなか出来る事ではないと思うよ。そして、続けられているのにも素晴らしいと思う。私にはとても無理だなぁ。

私は日常では運動をしていない。というか、運動する時間がない。私は、シングルマザーで、フルタイムで働いているから少しでも寝る時間がほしい。しかし、子どもの成長と同時に少しずつ自分の時間を持てるようになってきたので、週末は登山や街道歩きを楽しめるようにはなってきている。

由美子さんは答えた。いつまでも健康でありたいじゃない。生活習慣病にもなりたくないし。健康診断では異常値なしの結果であり続けたいのよね。学生時代の勉強と同じで、私たちの年代では運動することが評価されて、健康診断の結果が成績表だよね。由美子さんは優等生のタイプかもしれない。いや、きっとそうだと私は思う…。

子どもに手がかからなくなったとはいえ、大学生なので学費が必要という事は2人の共通の悩みであり、由美子さんもパートを始めたという。子育て中は専業主婦だったので、久しぶりの職場に人間関係に大変なこともあるという。確かに、働くという事は何かにつけて大変であり、できる事ならば働かずに生活したいと私も思う。「目指せ!年金生活」が私の大きな目標である。しかし、そんな夢もはかなくて、時折送られてくる年金定期便に書かれている、将来支給されるであろう年金額を見れば、いやでも現実に戻されてしまう。私の人生はお金に縁がなかったと、しみじみ感じる50代のおばさんである。

そんな私にとって、比較的と言うか、あまりお金がかからない街道歩きはとてもあっている。使うお金は交通費、飲み物、そして資料館などの入場料ぐらいで一日たっぷり楽しめる。食事は、たまに外食もするけれどお弁当を持参することが多い。お金を使わないで歩いて脂肪を使おう!が私の合言葉だけれど、他人に受けたことがなく、さらに少し、引かれることもあるので残念だ。

少し会話をするけれど、2人は黙々と歩き続けて11時を過ぎていたころ、ようやく次の見どころの蕨(わらび)宿に着いた。蕨宿は中山道で板橋宿に続く2番目の宿場である。

国道17号沿いにある蕨宿の石碑
国道17号沿いにある蕨宿の石碑

蕨宿は荒川の京都側にある。荒川が増水すると京都方面からの旅人が川止めになるために、蕨宿で宿泊することになったので栄えた宿場であった。宿場の規模は比較的大きな宿場であったが、明治時代に鉄道を通すときに猛反対してしまい、宿場から1kmほど東に駅が造られて、時の流れととも宿場は寂れてしまったと。このような場所はここだけでなく、東海道も含めて他にも多くあるそうだ。

蕨宿内に入ると宿場らしく道路の両脇に家々が立ち並んでいる。歩いた先に「蕨市立歴史民俗資料館分館」があり、本館はもう少し先にある。本館、分館とも開館時間内であれば無料で見学できる。

蕨市立歴史民俗資料館 分館
蕨市立歴史民俗資料館 分館

街道脇に建つ歴史を感じる門構えと店構えの建物は、明治時代に織物商をしていた家であり、明治20年(1887年)の建築なので、2023年の136年前、築100年以上の建物である。蕨宿は綿織物が盛んであったという

店舗部分にある帳場机
店舗部分にある帳場机

街道に面している店舗部分には帳場机があり、当時の商いの風景を想像できる。そして、NHK朝ドラの「らんまん」で、主人公が酒屋の主として帳場机に座っていた光景を思い出し、自分も神木隆之介さん気分になって座ってみたくなる。

店舗の奥には住居部分があり、広い敷地内は木々が生い茂り、花が咲きほこり、静かな庭園にいやされる。個人の住宅とは思えない豊かさである。

手入れが行き届いているている庭園にいやされる
手入れが行き届いているている庭園にいやされる

資料館の分館を無料で堪能し、2人は少し先にある本館に向かう。

復元されている蕨宿本陣
復元されている蕨宿本陣

資料館の隣に蕨宿本陣が再現されており、写真に収めた2人は館内にはいる。展示物を見ながら奥に進んだその先にあったのは、繊細な作りで、当時を見ているかのような錯覚を感じられる宿場のジオラマだった。

臨場感があふれる宿場を再現しているジオラマ
臨場感があふれる宿場を再現しているジオラマ

これはすごい!とアラフィフ2人は張り付くようにジオラマを眺めた。まるで、江戸時代にタイムスリップしてドローンのから眺めているような気分である。街道脇には多くの店舗を構えた住宅が一直線に立ち並び、その中心には、周囲とは明らかに風格が違うオーラを放つ本陣建物。住宅の裏には畑があり野菜が作られている風景に人々の生活を感じさせられる。その向こうには生活のための用水路が巡らされ、防風のためか木々が植えられている。これはすごいと感激すると同時に、2人のアラフィフは、これが無料だなんてお得すぎるわよね。おばさんらしい意見は全く同じであった。

旅人が旅籠にはいる様子。当時はわらじを履いていたので足を洗ってから座敷に上がる必要があった。
旅人が旅籠にはいる様子。当時はわらじを履いていたので足を洗ってから座敷に上がる必要があった。

他にも旅籠の復元や商家の店先、本陣建物にあり、お殿様が泊まる部屋である上段の間の復元もあり、見ごたえは十分すぎるほどである。

その中でも、アラフィフ女子に関心が高いのは食事の模型だった。旅籠の食事とお殿様の食事が再現されている。

旅籠で出された食事を再現したレプリカ
旅籠で出された食事を再現したレプリカ

旅籠の食事を眺める2人。由美子さんは言う。卵はついているけれど、これじゃ物足りないわよね。今の食事から見ると健康食を通り過ぎて病院食のような感じ。

由美子さん、とても素直なご意見で…。今の食生活から思えば健康食なのは間違いないだろう。1食500kcalはあるかな?ご飯も玄米だし。こういう食事を続ければ、現代病ともいわれる糖尿病や脂質異常症などの生活習慣病とは無縁になりそうだ。しかし、当時の旅人は1日に40kmも歩いていたのだから、この量では足らないと思う。ご飯のおかわりはできたのかと心配になる。そして、なんだか気になるのは卵。由美子さんは、塩がついていないから生卵かな?と。生卵をご飯にかけて食べるのであろうか?当時の衛生環境を考えると生卵ではサルモネラ菌による食中毒が心配なのでゆで卵ではないかと思うけれども、そこまでこだわって考える必要はないのかもしれない。しかし、卵は高級品であったのではないかと検索すると、卵1個は七文とあった。先ほどの荒川を渡る料金の六文より一文高かった。

本陣で大名に出された食事を再現したレプリカ
本陣で大名に出された食事を再現したレプリカ

殿さまの食事は、庶民の食事に比べると品数は多い。庶民の食事では、たんぱく源になる食べ物は卵と厚揚げしかなかったけれど、殿様の食事には魚はあるしイカもある。卵は厚焼きに調理されているし、漬物もある。しかし、これでも健康食にみえる。私たちは江戸時代のお殿様以上のぜいたくな食事をしているのか。されど、おばさん2人は妙なところに気が付いた。声をそろえて口から出た言葉は、これ、駄目じゃないの?ご飯がおわんのふちで2粒ほどこぼれ落ちそうになっている。これをお殿様にお出しして大丈夫なのか?お怒りになられないことを祈るのみだ。アラフィフ女子は細かいところがあり、老害と言われないかと心配になるお年頃でもある。

ここまで歩いてようやく予定の20kmの半分に少しだけ足りない9km程である。大丈夫そうだと思う2人はまだまだ歩けそうだ。

【見学施設】
蕨市立歴史民俗資料館
開館時間:9時から16時30分(分館は16時まで)
休館日:月曜(月曜が休日の場合火曜も休館)
入場料:無料
住所:埼玉県蕨市中央5丁目17番22号
TEL:048‐432-2517
蕨市公式サイト:歴史民俗資料館<外部リンク>

※ここまで歩いたコースのGoogleマイマップはこちら<外部リンク>

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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