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大人の日帰りウォーキング ひとり旅の私が夫婦で車の旅をしているのを見て、うらやましいなと思った理由

わか子ライター

歩く、ひたすら歩く。
歩く旅をしていると、必ずひたすら歩くだけの区間がある。今回の旅ではそれが長い。さすがに18kmはかなり長い。
子育てが卒業するころから、趣味で登山や街道歩き等の歩く旅を始めて楽しんでいる。
今日は、全国にある観音霊場巡りの1つである、埼玉県にある秩父三十四観音霊場巡りに来ている。西国三十三か所、坂東三十三か所と共に日本百観音霊場と言われており、結願すると長野県にある善光寺にお参りする。
都内に住んでいる私は日帰りで歩きつなげてようやく終盤に差し掛かってきた。秩父の市街地での巡礼では、霊場であるお寺(札所)が比較的近くにあるので効率よく回れたけれど、巡礼が進むと札所間の距離は長くなってくる。その中でも、一番長いのが札所30番と31番の間で今歩いている場所である。
途中にある道の駅両神温泉薬師の湯でお昼のお弁当を購入し、地元集落を通り抜けて山あり谷ありの道を歩き進み、国道299号に出た先で脇道に入ってく。
やっぱり遠いなぁと、思った矢先に札所を示す石碑が見えて嬉しくなる。時計を見る。何と、予想していた時間より30分以上も早く到着しそうだ。私よ、よく頑張ったと思ったけれど、自分を褒めるのは早かった。その先は、緩い坂道をどんどん登っていくけれど、歩いても、歩いても札所は見えてこない。時間だけがどんどん過ぎていき、思った時間より早く着くどころではなくなり、計画通りに着く予定さえも幻となった。あんな手前に石碑を置くなんて、期待した分先が長く感じるじゃないか。と、文句という罰当たりな事を思って反省をする。

それでも先に進むと、何故かいきなり牧場がある。牛舎にいる沢山のホルスタインをみると、搾りたての牛乳を飲みたいなとを思いながら歩き続け、ようやく建物が見えてきたと思えば違うお寺だったり、その先に進めば、こんな山奥なのに何故か突然現れたのがお蕎麦屋さんがだったりする。しかも営業しており、お客さんも多くてお店の外で待っている人が沢山いる人気があるお店だ。歩いて汗びっちょりの私はどう見ても場違いなので足早に通り過ぎようとするけれど、歩き続けている足では速く歩けずに、ただの変なおばさんになってしまった。
何度も期待を裏切られながら、さすがにそろそろ着くよねぇと思った時でも現れたのは地蔵寺だったりで、がっくり来る。人気もなくなり、どこまで歩いてもたどり着かないのじゃないかと思った矢先にはトンネルまで見えてきた。観音様に見放されていないか心配になってくる。でも、ここまで来たら引き返す気にはならず、なんとしてでも札所に行きたいという気分になる。

トンネル手前の駐車場では、白いセダンに乗ったご夫婦が車を降りて休憩がてら景色を楽しんでいた。この先にも行くかと相談をしている脇を通りぬけて歩き進んで行く。トンネルに入ろうとする私の後ろから先程の白いセダンが走ってきて、まだまだ先へと続く坂道を必死で登っている私を軽やかに追い抜いて行った。車は良いなと心底思った。
真新しいトンネルを通り抜け、急になってきた登り坂をさらに歩き進む。今は使えているのかと疑問に感じさせられる古びた温泉スタンドを過ぎると、観音霊場を示すのぼり旗の向こうに仁王門が見えてきた。ようやく着いた。

仁王様に近づいて見上げながら、その大きさを実感していると、石で出来ているのに驚く。日本で一番大きい石の仁王像と書かれているのに納得していると、その隣には、観音堂がある場所まで登る石段の数は296段と書かれていた。
見なきゃ良かった。
般若心経の276字と普回向(ふえこう)の20字を足したと書かれており、有難い数に違いないと思うけれど、朝から4時間歩いてきた足には嬉しくない予告でもある。
私より先に到着していた白いセダンに乗ったご夫婦は、この階段の数を確認したのか、ご主人は仁王門の前に立つ奥様の記念写真を撮ると二人一緒に車に乗り込んだ。
運動に慣れていないと、この暑さの中で長い階段を登るのは大変だ。服装や足元の靴を見てもご夫婦の様子ではその方が良いかもしれない。
でも、いいなぁ。私より少し年配に見えるご夫婦は60代後半か70代くらいであろうか。きちんとした服装には、清潔感がある中にもおしゃれを楽しんでいるのが伝わってくると共に、夫婦でお出かけの時間を大切にしているように見える。慌ただしさを感じないゆっくりとした動作は何だかほんわかした空気に包まれて仲が良さそうなご夫婦に感じた。年齢問わず、そういう空気感でいられるご夫婦は幸せだと思う。景色をバックに奥さんの写真を撮るなんて夫婦仲が良いとしか思えない。きっと、このご夫婦は新婚旅行でもこうやって写真を撮っていたのだろうな。

秩父三十四観音霊場 31番観音院
秩父三十四観音霊場 31番観音院

シングルおばさんの私は、無いものねだりをしても仕方がないとわかっているけれど、仲の良いご夫婦をみると良いなぁと思う。お互いが相手に対して緊張するようであれば結婚なんてしないと思うけれど、夫婦ならでは穏やかな空気感でいれることがうらやましいと思うし、そういう相手に出会えることはとっても貴重だと思う。そして、一緒に年齢を重ねていけるのは心強いだろう。
この年齢になると思う。今までは気力と体力で何とかなってきたけれど、これから先は老いに向かっていく。老いとは、今まで出来ていたことが出来なくなっていくと聞いたことがある。そうかもしれないと、ようやく最近になって思うようになってきた。まだ、実感は無いけれど、そういう自分を目の当たりにするときはどういう心境になるのだろうか。
いずれにしろ、ひとりの私は子どもたちに心配や迷惑をかけないようにしないと。自分の子育てを振り返れば反省しかなく申し訳ないと思うと同時に、子どもたちが無事に育ってくれたことには感謝しかない。

朝から歩き続けてきた足には疲れが出てきているが、ここまで来て観音様にお参りしないで引き返す程ではない。そして、ここまで頑張ったからこそ、私は階段を登らずに引き返せない。山肌に作られている急な石の階段を眺める。もちろん、階段の先まで見えるはずはない。296段か、大丈夫だよ。たぶん。
登っても、登っても階段が続いている。暑さなのか他に参拝者がいる様子もなく、ただひたすら長い階段を登る。途中、8月の終わりにも関わらず紫陽花が1本だけ咲いており、真夏の色に囲まれる中で、色鮮やかなうすい紫色がとても際立って美しかった。

目も前には巨大な岩壁、一枚岩だろうか。お堂の上にせり出す岩に、とても迫力を感じながら、擦れ落ちないのかと心配にもなる。何事にも絶対と言う言葉はないけれど、この辺りは1700万年前の地層で出来ていると言われている。岩壁は、砂岩らしい風化や侵食を受けながら、人間がこの場でこの姿を見つけるはるか昔よりこの姿を保ち続けてきているのだろう。
せり出している岩壁の反対側には、穏やかに滝が流れるように落ちている。どのくらいの高さがあるのだろうか。滝を見上げる。30m以上あるのではないか。その脇には弘法大師空海が岩壁を掘って描いたという十万八千仏もあるという。
急な石段を登ってきたので、息がまだ落ち着かない。息を整えながらゆっくりと観音堂に近づく。やはり見上げるのは岩壁と岩壁を流れ落ちる聖浄の滝。不動明王や石仏が祀られている。水が流れ落ちる穏やかな池のような滝つぼでは鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。

何だか別世界に来たように感じる。目の前の岩壁を眺め、ただただ圧倒されていると、まだ観音様にお参りしていないことに気付き、観音様にお参りをする。何だか心の中にため込んでしまった私にとって必要のない物が、すぅっと流されて行くように感じた。

パワースポットと言われる場所に何かしらの人間の心を穏やかにする力があるのだとすれば、この場所もパワースポットと言われても良いような気がする。はるか昔、人間がこの場所で何かの気持ちを抱いたから、こんな山奥の不便な場所にも関わらずお寺を造り、そして観音様を祀った。その後も、時代は移り変わっても、人々はこの場所へお参りに訪れ続けている。長く続いているのにはそれなりの理由がある。巨大な岩壁と流れ落ちる滝を見上げると、人々の信仰の対象であり続けている自然が広がっていた。

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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