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日米の“元祖”怪獣映画『ゴジラ』、『キング・コング』を見直してみると・・・

渡辺晴陽作家・脚本家/エンタメアドバイザー

映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が大ヒットしていますね。
観客動員数は3週連続の1位となり、興行収入も30億円に迫っているそうです。

『ゴジラ-1.0』の面白さは、以前の記事やX(旧Twitter)にも書きました。

記事とXに書いた通り『ゴジラ‐1.0』は、映画としての完成度の高さが素晴らしかったと思います。

今回は、そんな名作怪獣映画が生まれてくる原点を探るべく、ゴジラシリーズ第1作である『ゴジラ』(1954)と、アメリカの怪獣映画の代表『キング・コング』(1933)を観てみました。

ゴジラ
1954年公開(モノクロ)。水爆実験で住処を破壊され、また実験の影響で放射能を帯びるようになったゴジラが東京に上陸し街を破壊する。人々はゴジラを倒すために試行錯誤する。舞台は公開年と同じ1954年で、まだ日本には戦後の空気感が残っている(終戦は1945年)。
反核的な内容や科学兵器への警鐘も込められていて、SFや社会派ドラマ色もある作品。

キング・コング
1933年公開(モノクロ)。冒険映画を撮影するために地図にない未開の島に向かった人々が、そこに住む巨大な類人猿・コングに遭遇する。ヒロインのアンは島の原住民にさらわれ、生贄としてコングに捧げられる。コングはアンを気に入り、アンを取り戻そうとする人々を襲う。
ヒロインと船員との恋愛なども描かれており、冒険映画や恋愛映画の側面もある。

『ゴジラ-1.0』との類似点や違いについて

しっかり見直してみると、『ゴジラ-1.0』には第1作へのオマージュが散りばめられています。そっくりのシーンも何ヶ所かあるので、興味がある方は見比べてみてもいいでしょう。

一方で、作品の空気感は全く違っているのが印象的でした。両作品とも戦後の日本が舞台ですが、『ゴジラ-1.0』はゴジラが復興への通過儀礼のように描かれているのに対し、『ゴジラ』では新たなる災厄の予兆のように描かれていました。

ちなみに、戦後と言っても、『ゴジラ-1.0』は終戦まもない日本が舞台ですが、『ゴジラ』は戦後10年ほどとなる1954年が舞台です。
1950年以降の日本では、海上警備隊や警察予備隊などが組織されだし、1954年7月には自衛隊が成立しています。『ゴジラ』のストーリーが始まるのは8月13日なので、日本には一定の防衛力があったことになります。『ゴジラ-1.0』は戦後のため軍隊はなく、まだ自衛隊もない状況でゴジラが襲来するわけですから第1作よりも過酷ですね。

『ゴジラ』と『キング・コング』の冒頭

『ゴジラ』は冒頭からゴジラの鳴き声や足音が聞こえ、怪獣映画としての不穏な雰囲気が漂っています。本編が始まるとすぐに、ゴジラに襲われたと思われる船の炎上・沈没が描かれます。ゴジラの姿が初めてはっきりと登場するのは映画全体の5分の1くらいの辺りです。

『キング・コング』は、オープニング音楽は最初こそ重厚で緊張感がありますが、だんだんと古いアメリカ映画に多いドラマチックな曲調になり、美女と野獣にまつわる文章が入り、どことなく恋愛ドラマのような雰囲気で始まります。コングが初めて登場するのは映画全体の半分より少し手前くらいです。

この辺りを見比べただけでも『ゴジラ』の怪獣映画としての意気込みの強さがうかがえます。内容的にも一番の主役はゴジラで、人間側の主人公やヒロインは目立ちすぎない描かれ方をしていました。

一方、『キング・コング』では、ヒロインのアンが明確にクローズアップされていて、ジャックとの恋愛や、ジャックの英雄的な活躍も描かれています。作中でも言及されていますが、アメリカでは映画にロマンスを求める傾向が強いのでしょう。

ゴジラとコングのキャラクター

ゴジラは恐竜をベースにした巨大獣で、名前はゴリラとクジラをかけ合わせて作られました。体長は50mで、そのうえ放射熱線を吐くこともできます。目的は不明(自分の住処を破壊した人間への復讐?)なまま、街を破壊していく不条理な存在でした。
後年の作品では、襲撃する対象がはっきりしていることもありますが、行動はおおむね本能的です。

コングはゴジラよりも小さく体長15mほどです。姿は二足歩行のサルかゴリラか原始人といった不気味な姿をしています(続編やリメイクなど後年の作品では、よりゴリラのような見た目になっています)。
島の原住民を襲ったり、主人公たちの仲間の船員を噛み殺したりする一方で、ヒロインのアンに執着したり守ろうとしたりします。後年のリメイク作品『キング・コング』(2005)では、コングがアンと心を通わせる場面も描かれています。

両作品の印象的な違い

『ゴジラ』ではゴジラという怪獣が人類にとって理解不能な脅威として描かれているのに対し、『キング・コング』ではコングにもちゃんと知能があるのが印象的でした。そのくせ、一切の意思疎通ができないゴジラを退治しようとすると反対する人がいるのに、一定の知能を持ったコングを退治することをためらう人がいない点は興味深いですね。

2作品の違いを見ていて分かるのは、ゴジラは第1作から人間にとって畏怖すべき対象として描かれていることです。

そもそもゴジラを呼び覚ましたきっかけは水爆実験でした。また、ゴジラを倒すために「オキシジェン・デストロイヤー」という物質が使われるシーンでは、物質を発明した博士はオキシジェン・デストロイヤーが兵器に転用されることを恐れています。

このように、『ゴジラ』を見ていると、人類への警告のようなものが感じ取れます。
八百万の神のように、自然や物質にまで神様を見いだす日本ならではの感性で生み出された怪獣がゴジラなのかもしれません。

コングは旧時代の生き残りの野獣という描かれ方をしていて、コングの住む島には恐竜や巨大なヘビのような生き物もいます。コングを生け捕りにした主人公たちは、コングを見世物にしようとし、ただの巨大な動物として扱っています。

『キング・コング』はエンタメ作品として、壮大な冒険と、登場人物たちのロマンスを描こうとした作品なのでしょう。
作中でコングは島の原住民に神様のようにまつられていますが大切にされている様子はなく、厄介者を祭り上げることで大人しくさせようとしているような雰囲気です。
世界の中心は人間で、動物は人間のために作られた存在だという意識が根底にあるのかもしれません。大きさも種も異なるアン(人間)に、コングが好意らしきものを抱いたのも、そのためでしょうか。

どちらも古い映画なので、現代ほど派手な演出はありませんし、映像は今ほど綺麗ではありません。そもそも画面は白黒です。ですが、どちらも人気シリーズになるのも納得な出来栄えでした。
『ゴジラ』が持つ強いメッセージ性や、今のヒーローアクションにも通じる『キング・コング』のエンタメ性は、今見ても色褪せません。

また、古い作品を見ることには、当時の時代を垣間見るという楽しみもあります。
昭和の中頃の日本女性たちが思ったよりも活き活きとしているのは意外でしたし、1933年のニューヨークが今と変わらないほど近代的な景観をしているのにも驚きました。

『ゴジラ-1.0』を見たことがきっかけでしたが、『ゴジラ』(1954)と『キング・コング』(1933)を見比べると、日本とアメリカとの怪獣への想いの違いや、価値観の違いなど面白い発見がいくつもありました。

作家・脚本家/エンタメアドバイザー

国立理系大学院卒、元塾経営者、作家・脚本家・ライターとして活動中。エンタメ系ライターとしては、気に入ったエンタメ作品について気ままに発信している。理系の知識を生かしたストーリー分析や、考察コラムなども書いている。映画・アニメは新旧を問わず年間100本以上視聴し、漫画・小説も数多く読んでいる。好みはややニッチなものが多い。作家・脚本家としては、雑誌や書籍のミニストーリー、テレビのショートアニメや舞台脚本などを担当。2021年耳で読む本をつくろう「第1回 児童文学アワード」にて、審査員長特別賞受賞。

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