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【富士宮市】日本三大仇討ちに数えられる『曽我兄弟の仇討ち』の伝説が残る白糸ノ滝周辺を散策!

渡辺雅来地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

「一に富士、二に鷹の羽の打ち違い、三に名を成す伊賀の仇討」といった言葉にあるように『曽我兄弟の仇討ち』は、現在日本三大仇討ちに数えられ、武士社会においては仇討ちの模範とされていたそうです。
伊東祐親(義理の叔父)が工藤祐経の所領を奪った上、祐経に嫁いだ祐親の娘・万劫御前(祐親の娘)と離縁させたため、祐経は祐親に恨みを抱いていました。
祐経は2人の刺客に狩に出た祐親を待ち伏せさせ、刺客の放った矢が一緒にいた河津祐泰(祐親の嫡男)に当たり、祐泰は死んでしまい、祐泰の妻の満江御前とその子・兄祐成と弟時致が残されました。
父の仇討ちを決して忘れなかった兄弟は、仇討ちの成就を願うために箱根権現社に赴き、「この願いが成就するなら祐経の首をください、成就しないなら私達が拝殿を出たらすぐに蹴り殺してください」と祈請したそうで、亡き父を慕った兄弟の意思の硬さが感じられます。
河津祐泰が殺されて17年後の建久4年5月、源頼朝が開催した富士の裾野の巻狩には祐経も参加していました。
5月28日深夜、曾我兄弟は祐経の寝所に押し入り、討ち果たしますが、騒ぎを聞きつけて集まってきた武士たちが兄弟を取り囲み、祐成が仁田忠常に討たれます。
時致は、向かってきた武士たちをことごとく倒して頼朝の館に押し入りましたが、頼朝に近習していた御所五郎丸によって取り押さえられました。
翌朝尋問された時致は「我ら兄弟は兄が9歳、自分が7歳の時より片時も復仇を忘れたことはなかった。しかし、ようやく本懐を遂げることができた」と語り、頼朝の寵臣である祐経を討つことは頼朝に対する反逆につながるため、頼朝の陣所に向かい頼朝の面前で自害するつもりだったと答えたそうです。
曽我兄弟は最初から死を覚悟した上で、仇討ちに望んだのでしょう。
頼朝は助命を考えましたが、伊東祐時(工藤祐経の遺児)が泣いて訴えた為、斬首を言い渡し、時致は抵抗することも、異論を唱えることもせず従容と斬られたそうです。
そんな『曽我兄弟の仇討ち』の史跡が白糸ノ滝周辺にあるので、訪ねてみました。

市営駐車場にある道案内
市営駐車場にある道案内

市営駐車場から、『曽我の隠れ岩』と『工藤祐経の墓』へ続く細い道があります。

徒歩1、2分です。
徒歩1、2分です。

説明看板
説明看板

二つに割れた大きな石。これが『曽我の隠れ岩』です。
二つに割れた大きな石。これが『曽我の隠れ岩』です。

この道を歩くと、右側に真中で二つに割れた大きな岩があります。これが工藤祐経の陣屋を偵察し討ち入りの密議をした場所と伝えられている、『曽我の隠れ岩』です。

路面にある道案内
路面にある道案内

道案内に従って『曽我の隠れ岩』を東に100mほど歩くと、『工藤祐経の墓』があります。この場所は工藤祐経の陣屋があった場所付近だと言われています。

『工藤祐経の墓』
『工藤祐経の墓』

説明看板
説明看板

一度駐車場に戻り、今度は芝川を渡ります。
橋の名前は『曽我橋』。曽我兄弟の名前にちなんでいるのだと思われます。

芝川を渡る曽我橋
芝川を渡る曽我橋

橋の下は芝川が勢い良く流れています。

橋から見た芝川
橋から見た芝川

白糸の滝遊歩道の途中に看板があり、足場で作られたような展望スペースがあります。ここから『音止めの滝』を見下ろす事ができます。

音止めの滝展望スペース
音止めの滝展望スペース

絶壁から轟音をとどろかせているこの滝。

展望スペースから見た音止めの滝
展望スペースから見た音止めの滝

曾我兄弟が隠れ岩で密議をしていた際、滝の音で声がさえぎられてしまい、神に念じたところ一瞬滝の音が止んだという伝説から『音止めの滝』という名が付けられたそうです。

違う場所から。(今は工事中の為、展望できません)
違う場所から。(今は工事中の為、展望できません)

亡き父を慕い、生涯をかけてかたき討ちを成し遂げた兄弟の話は、日本人に愛され、能や歌舞伎、浄瑠璃などになっていますが、時を経て生まれ変わっているのなら、家族みんなで平和に暮らしていて欲しいと願わずにはいられません。
そして改めて今の世の平和さと、家族みんなで暮らせる何気ない日々の幸せを嚙み締めました。

白糸ノ滝:富士宮市上井出273-1周辺
アクセス:大月線(県道414号)を北に向かい、大きな松の木がある上井出の信号を真直ぐ。

地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

身近の新しい発見や、小さな幸せを探して日々バイクで放浪しながら活動しているライターです。記事を通じてみなさまの発見や幸せに繋がれば嬉しいです。趣味はバイク、ガーデニング、猫(無類の猫好き)です。

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