【富士宮市】夫の病気平癒を願い尼となった愛に満ちた『窪尼御前の碑』は今も西山で大切に祀られています!
以前『古家カフェ自然坊』にお邪魔した時に、駐車場として利用させてもらった西山久保集会所の奥に見えた何かを祀っているような赤い屋根の建物が気になっていました。
その日はあいにくの雨でしたので、日を改めて訪ねてみました。
建物の横には、細い用水路が流れていますが、水の豊かさと綺麗さに驚きます。
西山久保集会所右側に位置する赤い屋根の建物に近付くと、歩く博物館の看板がありました。
看板には下記のように記されていました。
日興上人は日蓮聖人の弟子で日蓮正宗総本山富士大石寺や日蓮宗大本山北山本門寺を開山した方です。
幼年期を過ごした養家の河合家は芝川郵便局付近にあったと言われています。
お堂の前には2基の石灯籠があります。
背後を山に守られたお堂の中を覗くと、立派な題目碑がありました。
供えられた榊も青々としていて、現在もしっかりと供養されているのが見て分かります。
お堂の中を覗いているときに、ちょうど地元のおばあちゃんが散歩をしていて、少しだけお話を聞くことができました。
「窪尼さんは女の神さんだから、女の人だけで集まってお題目を唱える日があるんだよ」と。
窪尼御前は夫の高橋入道が重病を患い、尼となって病気平癒を願い、夫の死後、実家のある西山の窪に移り住んだと言われています。
日蓮聖人遺文に残されている窪尼御前御返事に“一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候ふ”という言葉が残されていて、「すべての善き行いの中でも、父母に孝養を尽くすことはもっとも大切なことです」という意味のようです。
この言葉は農繁期でありながらも、日蓮聖人に供養の品を送った窪尼御前に謝意とともに送られた言葉です。
父母を孝養する気持ちは、住民の方々にも引き継がれているからこそ、時を越えてなお、こうして丁寧に供養をされているのだと、窪尼御前の人徳の深さが伝わって来ました。
「この道を真直ぐ行くとどこかに出られますか?」と聞くと「大久保の辺りに出れるよ」と集会場の外の椅子に腰かけながら手を振ってくれたおばあちゃんに、手を振り返して田畑が続くのどかな西山の風景の中を走り出しました。
もうすぐ母の日と父の日、両親が喜ぶことは何かと考えながら。
窪尼御前の碑:富士宮市西山(西山久保集会所奥)