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1日売上約60万円…料理の鉄人で活躍した洋菓子界重鎮、「天職」から退いた訳

藪雄祐

ディレクター

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「お菓子は笑顔につながる、天職だと思ってやっている」。こう語るのは、4半世紀にわたり日本の洋菓子界を支えてきた洋菓子職人・大山栄蔵(73)だ。東京・世田谷で経営する洋菓子店「マルメゾン」を拠点に、本格フランス菓子の文化を日本に根付かせ、数多くの人気パティシエを輩出してきた。フジテレビ「料理の鉄人」への出演で知られる大山は、スイーツという言葉が普及するきっかけとなった日本初のスイーツ・テーマパーク「自由が丘スイーツフォレスト」の開業に参画。テーマパークでは大山を筆頭に人気パティシエが趣向を凝らした菓子を提供し、初年度の来園者は230万人に上った。そんな大山が2021年3月、マルメゾンを閉店し、菓子作りから引退した。コロナ禍での巣ごもり需要で街の洋菓子店の経営は好調だ。大山の店も閉店直前のホワイトデー期間中、1日の売り上げが約60万円に上っていた。なぜ、彼は「天職」から退いたのか?(敬称略)

■創業44年の洋菓子店、閉店の1日

2021年3月28日(日)、朝8時。2人の従業員が厨房で菓子を仕上げるなか、大山は花への水やりなど、売場の開店準備を1人で進めていた。

大山の菓子作りのモットーは、「良い材料イコール良い菓子」。バターや完熟フルーツなど食材にはとことんこだわり、「そば粉のダックワーズ」やフルーツロールケーキ「プランタン」などオリジナリティーあふれる菓子を次々と発案してきた。その菓子作りのノウハウ全てを弟子たちに惜しみなく伝授。菓子作りのほとんどを弟子に任せる代わりに、自分は店の事務を率先して行ってきた。「くだらない仕事は全部自分がやるべきだ」。その言葉の裏には、経験を積むことで成長につなげてほしいという親心があった。「言い方はおかしいけど、『早く仕事を覚えて、早く店を辞めて、早く独立しろ』といつも言っているのよ」

9時半に開店。マルメゾン最後の菓子を味わうため、次々と客が訪れる。大山に感謝の気持ちを伝えるため、三軒茶屋の人気パティスリーや記念日スイーツの専門店の店主ら、かつての弟子たちも駆けつけた。大山は店頭で接客し、一人ひとりの客と笑顔で別れの言葉を交わす。2週間に1度の美容室帰りに店でフィナンシェを食べるという40年来の女性客は「これ以上美味しいフィナンシェに出会ったことがない。だから本当に残念」と閉店を惜しむ。

夜7時、たくさんの客と弟子に愛されたマルメゾンが閉店した。「いつもと変わらない」と言いながら、大山はショーケースに布をかけていく。

■「外国に行ける職業なら何でもよかった」

大山は、デザイナーの三宅一生をはじめ海外で活躍する日本人に憧れていた。19歳の時、友人の誘いで専門学校に入学し、フランス料理を学ぶ。卒業間近、学校から製菓助手にならないかと誘われた。もともと甘いものが好きだった大山は、学校の製菓助手として1年働いたのち、日本で最初のフランス菓子専門店と呼ばれる六本木「ルコント」で修業。フランス菓子の最先端の技術を学ぶために渡仏し、パリの5つ星「ホテル・プラザ・アテネ」などの有名店で4年半学ぶ。帰国後の1977年、28歳で世田谷区成城に「マルメゾン」を開いた。本場フランス仕込みの菓子は評判を呼び、下北沢や新百合ヶ丘など各地に支店を出す人気店となった。

■全国に送り出した弟子は100人を超える

洋菓子業界はコンビニスイーツの台頭もあり苦境が続いていた。2019年に49の洋菓子店が廃業、その数は過去最多を更新していた。ただ、このところのコロナ禍での巣ごもり需要の拡大で追い風が吹き始めている。2021年1月〜10月の洋菓子店の倒産は前年同時期に比べ約3割減の18件。過去10年で最少ペースだ(帝国データバンク調べ)。大山の弟子たちも、コロナ禍で売り上げ好調な店が多いという。

大山はかねてから後進の指導に力を入れ、マルメゾンで修業した職人を「地域一番店を目指して頑張れ」と全国各地に100人近く送り出してきた。そこには「地域で長く愛される店になってほしい」という思いがある。それに応えるように、多くの弟子が独立して成功を収めてきた。その中には洋菓子世界大会クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで日本人として初優勝した林雅彦(奈良「ガトー・ド・ボワ」)、低糖質スイーツなどが評価され「現代の名工」に選ばれた日髙宣博(東京「パティスリー・ラ・ノブティック」)、ウェディングケーキと記念日スイーツ専門店を経営する本橋雅人(東京「アニバーサリー」)がいる。

長年、大山と取引してきた大手乳業メーカーの社長は、「職人の世界は技術、技術は人だと思う。大山さんがたくさんの職人を育てたことで、洋菓子業界も成長してきた」と語る。

■「80歳までできたけど……」

店の売り上げがコロナ前に比べ3〜4割増という好調のなか、大山はなぜ引退を決断したのか。引退を考え始めたのは、70歳になったころ。後継者を巡って家族が仲たがいした話や、店主の死後店じまいに苦労した話を、同世代から耳にするようになったからだという。それから徐々に従業員を減らし、店舗も縮小させてきた。

「やればね、80歳までできたでしょうけど。自分が健康なうちに店を閉めないと、途中で病気をしたら後に残された人に迷惑をかけてしまう。自分が勝手にはじめたマルメゾンを誰かに継がせる気持ちはまったくなかったですよ」。

閉店から3カ月後、売り場の取り壊しが進んでいた。その作業を見つめながら、大山は昔のことやお菓子を作る夢を見るようになったと語った。現役時代には一度も見たことがなかった夢だという。

「今までパティシエとして生きてきたじゃないですか? それを辞めるというのは、いつか決めなきゃいけないということですよ。限界もないし、やりきったということもないですよね」

大山はまた、数々のオリジナル菓子を生み出してきた製菓道具も処分することにした。音楽家の客を喜ばせるため、わざわざベルギーで入手した楽器のチョコレート型をはじめ、40年かけて集めた道具類が厨房に残っていた。「期待している以上のお菓子を作らないと、お客さんは喜ばない。そのために海外でわざわざ型を買ったり、特注の道具を作るようにしていた」と話す。いまでは入手困難なものも少なくない。

各地に散らばる店の弟子たちならば、自分の道具類をうまく利用して菓子作りに役立ててくれるはずだ。大山は道具類を車に詰め込み、弟子たちの店へ届けることにした。

■水戸で一番店を目指す、若きマルメゾンの弟子

2022年1月、大山が向かったのは、水戸市の「ダルメゾン」。店主の達聖(だる・さとし、31)は、茨城県産の食材の魅力を伝えるため、地産地消をテーマに菓子を作っている。開店から3年目で、売り上げは順調に伸びているという。「達くんは融資を受けられたらお店を大きく改装したいと言っていた。それなら道具を利用できるはずと思ったのよ」と大山は話す。

水戸市の製菓専門学校で学んでいた達は、特別講師として来校した大山に魅了され、マルメゾンに入社。6年半修業したのち、千葉県と東京都内のパティスリーを経て、2019年に独立した。店名やロゴは、敬愛する師匠・大山の店にちなむ。ただ、店名を相談された大山は反対したそうだ。「ダルメゾンというと『ダメな家(メゾン)』みたいに思うじゃない? だからやめろと言ったんだよ。まあ、覚えやすいといえば覚えやすい名前だけど」と振り返る。「自分が弟子に言っているのはね、『地域一番店を目指せばうまくいくよ』ってこと。達くんはまさにそれを実行している。『やってるじゃん!』と思いましたよね」

マルメゾン修業時代のことを尋ねると、達はこう答えた。「僕は多分、マルメゾン史上、最強に怒られた男だと思います」

修業時代はまったく仕事ができず、師匠に迷惑をかけっぱなしだったという。「でも大山さんは失敗したとしても、また次の日から仕事させてくれた。成長を見守ってくれていたのかなと、今つくづく思います」。マルメゾンで求められたのはオリジナリティーだ。自分で新しいものを生み出すことが、師匠である大山への恩返しになると考えていた。

■地産地消のオリジナル菓子で、師匠に恩返し

達が地元食材の魅力を伝えるため考えた菓子は「パート・ド・フリュイ」。果実のピューレを煮つめ、ペクチンで固めたゼリー菓子だ。達によれば、フランスではポピュラーだが、日本ではまだなじみがなく、水戸で販売している店は見たことがないという。地元食材を使ったこの菓子に、商機を感じていた。

2月、達は「ほおずき」を使ったパート・ド・フリュイを試作した。ほおずきは、マンゴーのような濃厚さと、ベリー系の酸味を合わせた果物だ。「高萩市の農産物でもあるんですけど、県内でも知っている人が少ないんですよね」。パート・ド・フリュイは果物の味わいを直接感じられ、ほおずきの魅力がたくさんの人に伝わるのではないかと考えた。

ほおずきを煮つめるのに使うのは、大山から譲り受けた銅鍋。修業時代、カスタードクリームなどたくさんの材料を作る際に利用した相棒とも言える存在だ。そんな銅鍋で新作菓子を作るのは感慨深いと達は語る。「道具には大山さんの思いが詰まっている。その思いを今度は僕がお菓子に乗せてお客さんに提供していくというのが、託されたことなのかなと勝手に思っています」

その数日後、製菓道具を届けに再びダルメゾンを訪れた大山は、達の新作パート・ド・フリュイを試食した。「ファンは増えますよ」と太鼓判を押した大山は、「だって、やっていることがオリジナルだから。うちにいた子はみんなそうだよね。オリジナルをやるんだよね」とうれしそうに語った。

2021年8月、マルメゾンの売場だった場所には紅茶専門店がオープンした。厨房は、次世代のパティシエのためのシェアキッチンとして運営されている。大山は製菓学校の講師などとして、これからも洋菓子と向き合い続けるという。

マルメゾンはなくなったが、大山の思いやオリジナリティーは、弟子たちに受け継がれていく。大山にとっては各地で活躍する弟子たちの姿が、自分が生きた証だ。

クレジット

監督・撮影・編集 藪雄祐
プロデューサー 前夷里枝

写真提供:大山栄蔵 自由が丘スイーツフォレスト 達聖
撮影協力:シェアキッチン・マルフレッジ

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