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消滅危機のアイヌ語を守る 恋に落ちてアイヌ語講師になった男

山田裕一郎フィルムメーカー

消えゆく言語として存続が危ぶまれる「アイヌ語」。

一見縁遠い言語に見られがちだが、日常会話で使うラッコやトナカイ、シシャモはアイヌ語であり、さらにファッション雑誌「non-no」はアイヌ語で「花」を意味するなど、身近な生活の中にその名残を感じることができる。

このまま消滅の道を辿るのか、それとも再び息を吹き返すことができるのかーその命運を握るのはアイヌの里・二風谷に“たまたまやって来た”男、関根健司さん(47歳)だ。北海道に縁もゆかりもないアウトサイダーの関根さんが、なぜアイヌ語の未来を背負って立つに至ったのか。そこには、彼の運命を変えたある女性との出会いがあった。

<注目を集めるアイヌ語の実態>
いま、北海道のアイヌに対する関心が高まっている。

明治末期の北海道でアイヌ民族の少女たちが活躍する人気マンガ「ゴールデンカムイ」や、映画やドラマにアイヌ民族が描かれることにより、その生活や文化が広く伝えられてきた。また、4月にはアイヌ民族を先住民族として初めて明記し、アイヌ文化の振興に向けた施策などが盛り込まれた「アイヌ新法」が成立したことでも注目を集めている。

その一方で、「アイヌ語」はいま、消滅の危機に直面している。2009年に、ユネスコ(国際連合教育文化機関)が発表した調査結果によると、アイヌ語は消滅する一歩手前の「極めて深刻な状況にある」と定義された。現在では、子どもの頃にアイヌ語を自然に習得したという「母語話者」は一人も残っていない。日常会話で話されることはほぼないというのが現状だ。

<アイヌ語の顔として>
厳しい状況が続く中、アイヌ語の復興のための活動を積極的に行なっているのは、平取町立二風谷アイヌ文化博物館の学芸員補・関根健司さんだ。二風谷アイヌ語教室・子どもの部の講師として、小学生から高校生までの子どもたちにアイヌ語を指導し、過去にはラジオのアイヌ語講座の講師を務めるなど、言語の復興に尽力している。また最近では、アイヌ文化を題材にした創作物への協力も多く、アイヌ語をメディアに発信する人物として信頼を集めている。

しかし、関根さんは元々アイヌ語に関わりがあったわけでも、アイヌ民族にゆかりがあったわけでもない。出身も北海道ではなく、遠く離れた兵庫県だ。なぜ関根さんは、アイヌ語を発信する先頭に立つようになったのだろうか。

<運命を変えたアイヌの里での出会い>
関根さんが北海道にやって来たのは約20年前の26歳の時。「父親が亡くなったことをきっかけに、仕事を辞めて、元々やりたかった日本一周の旅に出ようと思った」と言う。バイクに乗って四国、九州、沖縄を旅した後に、北海道へ。そして、「たまたま」たどり着いたのが平取町二風谷だった。

沙流川流域にあり、森に囲まれた二風谷は、アイヌの人口密度が北海道で一番高い。およそ300人の住民の約75%が、アイヌ民族にルーツがあるといわれている。関根さんが旅人としてやって来たこの地に、現在に至るまで20年以上も住み続けることになったのは、ある女性との出会いがきっかけだ。

このアイヌの里・二風谷での出会いが、それまで全く関係のなかった関根さんと、消滅の危機にあるアイヌ語を結びつけたのである。カメラは関根さんの20年前の出会いを振り返るとともに、現在の関根さんの活動やアイヌ語の今に迫る。

クレジット

監督・撮影・編集 山田裕一郎
プロデューサー  前夷里枝

フィルムメーカー

北海道出身のフィルムメーカー。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校で実験映画を学び、同大学バッファロー校大学院では、ドキュメンタリーとダンス映像の制作を学び、2010年に帰国。2011年に北海道でヤマダアートフィルムを立ち上げる。主に、大学や専門学校、病院などの広報動画を制作しながら、短編ドキュメンタリー映画を制作。2017年には東京都主催Beyond Awardにて、車いすソフトボールを取材した作品が優秀賞と観客賞を受賞。2018年には、札幌国際短編映画祭で「Choreographer/平原慎太郎の創作」がアミノアップ北海道監督賞を受賞した。大学や専門学校で映像制作論の非常勤講師を務める。

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