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信長・秀吉・家康が要因?時の権力者を表す城壁の色!純白と漆黒に隠された真実

山内琉夢歴史プレゼンター

戦国時代に築かれ、名だたる武将らが本拠地として構えたのが城です。

そんな城には、白い城壁を持つ「純白の城」と黒い城壁を持つ「漆黒の城」とよばれる2種類が存在することはご存知でしょうか。

今回は、純白や漆黒とよばれる城の真相について迫ります。

白と黒の城壁に隠された真実

岡山城の写真
岡山城の写真

純白の城や漆黒の城といわれても、パッと思いつく方は少ないかもしれません。

ですが、日本列島に存在する城のほとんどは白もしくは黒の城壁を持ち、どちらかに当てはまります。

代表的な城には、シラサギのように純白な城壁をもつ「白鷺城(姫路城)」やカラスのように漆黒な城壁をもつ「鳥城(岡山城)」などがあります。

「白鷺城(姫路城)」は日本最大の木造建造物であり、さらに類を見ない白い城壁を持っていることから、1993年(平成5年)12月に世界遺産に登録されました。

白鷺城の白さほどではありませんが、白い城壁をもつ城は日本各地に存在しています。

また、漆黒の城壁をもつ「鳥城(岡山城)」は日本百名城のひとつです。

そして、黒い城壁をもつ城の中には「熊本城」や「松本城」のような有名な城があります。

城壁の色が違う理由

なぜ白や黒の城壁があるのでしょうか。

そこには、時の権力者の趣味やとある思惑が交差していました。

◆漆黒の城のなぞ◆

岡山城の写真
岡山城の写真

黒い城壁の城が建築されたのは、関ヶ原の戦い以前がほとんどです。

というのも、「黒い城壁は敵に見つかりにくく、夜は暗闇で見えなくなるので夜襲されにくい」という戦国時代ならではの理由がありました。

そして、そんな漆黒の城壁を好んだのが戦国時代で権力を保持した「織田信長」と、その跡を継いだ「豊臣秀吉」です。

戦国時代において、非常に強力な勢力を誇った「織田信長」と「豊臣秀吉」の力が影響して、日本各地に黒い城壁の城が築かれたとされています。

◇純白の城のなぞ◇

姫路城の写真
姫路城の写真

白い城壁の城が建築されたのは、関ヶ原の戦い以降のこと。

戦国時代を終結させた最後の戦い・関ヶ原の戦いが終焉を迎え、「徳川家康」が江戸幕府を設けてついに戦乱の世が終わったため、黒い城壁のメリットがなくなったからです。

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉に対抗するかのように、徳川家康は正反対である純白の城を建築しました。

白い城壁は目立ちやすく、膨張色でもあるため、実際の城よりも大きく見えて存在感を発揮します。

そうすることで、徳川家康は自身の権力を誇示して、平民や関ヶ原の戦いの残党による反乱を抑えたのです。

歴史プレゼンター

歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。

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