狙われた未亡人…愛する夫の仇敵に強要され妾になることを選んだ美女の結末とは
絶世の美女として語り継がれる「常盤御前」は、平安末期に平氏と源氏の間で巻き起こった6年間にも及ぶ大戦「源平合戦」において、最大の功績を残した源氏最強の武士「源義経」の母親です。
彼女の人生は夫・源義朝を亡くしたことから、急転落。未亡人となった常盤御前は、美しすぎる美貌が災いして「ある男」に目をつけられてしまいます。
今回は、未亡人となった平安美女「常盤御前」の人生について紹介しましょう。
夫の死と逃亡劇
1159年、源義朝の側室であった常盤御前は「牛若丸(源義経)」を妊娠・出産します。
このときが常盤御前の幸せの絶頂であったことを、本人は知る由もなかったことでしょう。
翌年の1160年、夫・源義朝は「平治の乱」で敗走。
謀反を企てたとして、殺害されてしまいます。
常盤御前も追われる身となり、牛若丸を含めた3人の子供たちを連れて、京の都から故郷・大和国に逃げ帰りました。
しかし、京都に留まっていた母が捕らえられたことを知り、大人しく出頭することになります。
出頭した常盤御前は母の助命を乞い、子供の死も見たくないから先に殺してくれと懇願したのでした。これを見たのが敵将・平清盛です。
京の都でも稀な絶世の美女が自分に媚びている感覚と、その美女をものにできるチャンス。
平清盛は、常盤御前とその母、3人の子供の助命嘆願を受け入れたのでした。
もちろん、条件付きで…
源氏から平氏の妻へ、激動する美女の人生
命こそ助かった常盤御前でしたが、平清盛から子供たちの命を盾に言い寄られることになります。
なかには、常盤御前は子供の命を盾にされても平清盛を無視し続けたという説もあるようですが、結局は母親に説得されて妾になることを受け入れるほかありませんでした。
鎌倉時代に成立した「平治物語」には、常盤御前が助命されたのちに女子を一人産んだことが記載されています。しかし、平清盛との関係性については、時代ごとの歴史書によって異なるようです。
今回紹介したのは、自身の美貌で命拾いし、皮肉にも人生を狂わされてしまった「常盤御前」の人生についてでした。現代でも、性別を問わず顔が整っている方が得をするのではないかという話題を耳にすることもありますが、何事もほどほどがよいのかもしれませんね。