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【京都市】右京区・嵐山で秦氏と酒の神様『松尾大社』に祈る

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

『松尾大社』の由来

紅葉の季節になると、一度は訪れたい「嵐山」。嵐山の中でも西に位置し、東端の八坂神社と向かい合うように位置するのが、京都最古級の神社のひとつ、『松尾大社』です。

式内社で、二十二社の一社とされ、松尾山(223m)山麓にあり、全域が風致地区の約十二万坪という広い境内をもちます。

飛鳥時代、701年秦忌寸都理が松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請し、この地に社殿を建立したのが起こりと伝えられ、本殿は「松尾造り」と呼ばれる珍しい建築で、1542年に改築されたもの。

御祭神“大山咋神”は、太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられております。
[秦氏来住]
五世紀の頃、秦の始皇帝の子孫と称する(近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされている)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を一族の総氏神として仰ぎつつ、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられております。
[秦氏の開拓]
伝説によると……
……「大山咋神は丹波国が湖であった大昔、住民の要望により保津峡を開き、その土を積まれたのが亀山・荒子山(あらしやま)となった。そのおかげで丹波国では湖の水が流れ出て沃野ができ、山城国では保津川の流れで荒野が潤うに至った。そこでこの神は山城・丹波の開発につとめられた神である。」……
これらの記述は、秦氏がこの大山咋神のご神威を仰ぎつつ、この地方一帯の開拓に当たったことを示すものと言えます。
(オフィシャルサイト)

渡月橋
渡月橋

[大堰と用水路]
秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」のやや少し上流には大きな堰(せき=大堰→大井と言う起源)を作り、その下流にも所々に水を堰き止めて、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発して行ったと伝えられております。その水路を一ノ井・二ノ井などと称し、今現在も当社境内地内を通っております。(オフィシャルサイト)

この辺り一体に住んでいた渡来人である秦氏が、一族の氏神として信仰した古い社とされているそうです。

松尾大社は本来「まつのお」と読むのが伝統的な呼び方のようで、今でも氏子さんたちは「まつのおたいしゃ」と呼ぶようです。

亀さん

『松尾大社』では大山咋神・市杵島姫命を祀り、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があります。

御手洗でも亀さんが出してくれる水で清めます。夏は風鈴が飾られ、亀さんも涼しそう♪

今は、コロナ禍なので撫で亀さんはビニールの中でした…

お伊勢さんの鶏、お稲荷さんの狐、天神さんの牛など、古くから人々は、神を敬うと同時に、その神と縁故のある鳥や獣などをその神のお使いとして尊崇して参りました。この故事に倣い、亀は不老長寿、鯉は出世開運の御守護としてその御姿を表しております。ご参拝の皆様、末永く大神様のあらたかなお恵みをお受け願います。(オフィシャルサイト)

亀の井では、ご神水をいただけます。

[酒造神]

酒造家の信仰が厚い『松尾大社』。

農業が進むと次第に他の諸産業も興り、絹織物なども盛んに作られるようになったようです。 酒造については秦一族の特技とされ、秦氏に「酒」のという字の付いた人が多かったことからも酒造との関わり合いが推察できます。 室町時代末期以降、当松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれ給う由来はここにあります。(オフィシャルサイト)

お酒資料館も無料で入れます。お酒の勉強だけでなく、歴史や文化も学べる資料館となってます。

お酒と神様は深いつながりがあったのですね。

日本での酒造りは渡来人によってもたらされたもので、応神天皇の御代に朝鮮半島から渡来した人々とともに、多くの文明も伝来。「弓月君(ゆづきのきみ)」と呼ばれる秦氏の祖先と言われる人物は、特に大勢の人々を伴った大移動だったと「日本書紀」に記述があります。

境内には「樽うらない」もあります。

毎年11月の上卯祭で奉納される狂言「福の神」では、松尾大明神が酒の神様として登場します。

そういえば、商売繁盛の信楽「たぬき」さんは酒をいつもたずさえてますね!徳利・恵まれて飲食のみに事足りて徳はひそかに我身につけんという意味があるそうですよ。

天狗の顔が見える滝

境内を奥の方に進むと「滝御前」があります。

なんと、そこには「天狗」の顔が見える岩があるそうで…見えますか?

滝御前さまにお祈りをすると、突如にわか雨が降ってきました。

『平安京誘引』と『平安遷都』

[平安京誘引]時代と共に経済力と工業力を掌握した秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として活躍し、奈良時代の政治が行き詰まると長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものであったことが定説となっております。
[松尾社と平安遷都]上代において秦氏を始めとする山城・丹波の住民から、農産業、土木工業の守神と仰がれた当社は、平安時代以降朝廷の守護神とされるに至りました。桓武天皇は延暦3年(784)11月、都を長岡京(現在の京都府長岡京市)に移されると、勅使を派してこれをご奉告になり、まもなく平安京に都を移されると、当社と賀茂神社とを皇城鎮護の社とされ、賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されて、ご崇敬はいよいよ厚く加わるに至りました。(オフィシャルサイト)

京都で大切な神社の一つである、『松尾大社』は松尾大社と一言で読んでいますが、古くは月読神社・櫟谷(いちたに)神社・宗像神社・三宮神社・衣手神社・四大神社を併せて松尾七社と呼んでいました。特に重要なのが月読神社・櫟谷神社と本社の松尾三社と言われています。

月読神社について→ https://creators.yahoo.co.jp/kozushokairica/0100137640

ロケ地として

映画やドラマのロケ地としても知られる『松尾大社』。

「高津商会」が携わってきた時代劇なども『松尾大社』で撮影されてきました。

必殺仕事人、暴れん坊将軍、遠山の金さん、痛快!河内山宗俊、殿様風来坊隠れ旅、斬り捨て御免!、八丁堀捕物ばなし、新必殺仕舞人などなど…

宝物館には重要文化財である男神・女神像があります。また、昭和を代表する作庭家重森三玲の手によって設計され、「曲水の庭」「上古の庭」「蓬莱の庭」の3種類の庭を残しました。重森三玲最晩年の作としても知られています。

静かに時が過ぎていくように感じられる中で、見所満載の『松尾大社』。これから変わりゆく紅葉を楽しむのが今から待ち遠しいです。

松尾大社
所在地: 〒616-0024 京都府京都市西京区嵐山宮町3
電話: 075-871-5016

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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