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【京都市】東山区 「池田屋事変殉難志士墓所跡」の石碑で幕末の京都を知る!

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

観光名所が数多く、常に観光客が絶えない京都ですが、明治の幕末の騒乱を考えるとこの平和で美しい京都に感謝を憶えます。

幕末の京都では「尊王攘夷派の志士」(長州藩・土佐藩など)が「幕府」と対立していました。

「新選組」は幕府方会津藩の支配下で、京都の治安を守る「京都守護職」のもと警備を行うという仕事をしていたのです。尊王攘夷派の志士の活動に目を光らせながら夜な夜な警備に当たっていました。

三条通りにある旅館「池田屋」に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を発見し乱闘となります。

その時に逃げ出した人が三条大橋の上で欄干に刀傷を残していることは、以前にも記事に書きました→ 過去記事参照 『東海道中膝栗毛』の弥次喜多さんと『池田屋事件』の刀傷跡 

その「池田屋」はもうとっくになくて、石碑と説明書きが残されています。

私が幼い時にはケンタッキーがあった場所あたりで、ピアノのレッスンの帰り道によくこの辺に寄って帰ったのを憶えてます。

今では居酒屋さんとなっていますが、池田屋の雰囲気を味わうことができますよ!

池田屋から三条大橋を渡って東へいくと、自転車置き場のところに石碑を見つけました。

なんとこの石碑には、「池田屋事変殉難志士墓所跡」とあります!いつも自転車を駐めているこの場所がまさか、そんな歴史に関係のある場所だったとは!

そこには、1864年6月5日に起きた池田屋事件で死亡した尊攘派の遺骸は,縄手三条下る東側の「三縁寺」に葬られた、とあります。

「池田屋事変殉難志士墓所跡」

元治元年(一八六四)六月五日池田屋で新撰組隊士に襲われ斃れた志士達は、浄土宗法輪山三縁寺墓地に葬られたが、昭和五十四年十月、岩倉花園町に再葬された。 三縁寺への行き方、叡山電鉄「八幡前」下車、北東へ徒歩十五分、京都バス「花園町」下車、東へ徒歩三分。平成二十二年五月建立

三条駅の駅前開発に伴い、三縁寺は左京区岩倉に移動し、碑や墓も移動されたそうなのですが、それでもオリジナルはここの場所だったと思うと、なんだか手を合わせたくなりました。

2010年に京阪電鉄により建立されたこの石碑ですが、今ではこの辺りも老舗旅館から高級ホテルへと変わりつつあり新しいお店も増え、日々の景色も変わっています。そんな中で、歴史は刻まれ我々の日々を見守っているのかと思うと感慨深いですね。

「池田屋事変殉難志士墓所跡」

京都市東山区若松町

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。ジャーナリスト、写真映像家、イベントプロデューサー、特殊ツアーガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深める毎日。

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